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第10話 謝罪と報告
◆◇◆
「はい、じゃあよろしくお願いします!」
仲の良い同級生たちが就職することでバラバラになるからと、記念にリングを作りたいという依頼を受けてから三ヶ月。父が全て手作りしたシルバーリングを納品した。
発送のお知らせを作成しつつ、時計をチラリと覗き見る。その視線の先には、残業強制魔が俺を睨みつけていた。できる限り気が付かないふりをして、定時のタイミングで急いで席を立つ。
——急げ、今なら敵は不在だ!
つい先ほど集荷に来ていた配達のお兄さんは、敵のお気に入りだ。おそらく五分は立ち話をするはず。その隙に……。
「公音、来週のデザイン打ち合わせだけどな……」
「うわあああ!」
思わぬ方向から敵が現れた……珍しく父に声をかけられてしまい、その場に止まらざるを得なくなってしまった。結局そのまま五分引き止められてしまい、お気に入りと話し終わった敵のボスが、こちらに向かってズンズンと迫ってきた。
——もー、父さんのばかー!
俺が心の中で父さんにグーパンを喰らわしていたところ、敵はやってきた。そしてニヤつきながら、俺の耳元で「泊まるならメッセージだけしておいてね」と言い残して去っていった。
「……はっ!?」
あまりに突然のことで、俺は一瞬何を言われたのか分からずにいた。その意味を咀嚼して飲み込んだ頃には、「社長! 専務がセクハラします!」とデカイ声で叫びながらその場を逃げ出した。
「デートならいくらでもしなさいねー!」
今日もまた、夕暮れの住宅街にデリカシーの無い大声が響き渡っていく。本当に、夕方の母は迷惑でしかない。どうにかしてあの口元に弱音器を取り付けてやりたい。そのうち、とんでもない下ネタを言われそうで、戦々恐々としていた。
あの、光希と快斗くんが庭先でディープキスをしていた日、やっぱり母さんはそれを見ていたらしい。そして、それが一体どういうことなのかを聞こうと、二階へかけ上がってきたところ、息子が夜中にやって来たお友達と抱き合っていた。
『驚いたけれど、息子が幸せならなんでもいいわよ。よかったわね!』
そう言ってくれた時には、いい母だなと思って感動したりはしたけれど、それもその時だけで、それ以降はいつも通りだった。
「あーもういいや、あんなデリカシーの無い人は放っておいて……時間、大丈夫だよな」
左手の時計をチラリとのぞいて、まだ待ち合わせまで三十分以上あることを確認した。今日は、これから俺を騙した三人から謝罪を受けることになっている。そして、この集まりは、お互いの交際報告会もかねているらしい。
光希からの連絡には、職場の近くで良さそうな店を見つけたから、そこの個室を予約したとあった。送られてきた情報を見ると、そこは普段俺と飲みに行く店とは比べ物にならないほど畏まっていて、いかにも肩が凝りそうな店だった。
俺はてっきり、快斗くんのお父さんの店に行くものだとばかり思っていたため、それを聞いて少々面食らってしまった。
「え? こんなにいいところに行くのか? お前、デートの時ってそんな感じ? 快斗くんと一緒なのってそんな浮かれるんだ?」
連絡が来た時に俺がそう訊いたところ、一瞬ぐっと息を呑んだような間が空いた。ややぶっきらぼうに「いいだろ、別にっ!」と言い放った光希は、声を聞くだけで真っ赤になっているのが丸わかりで、俺の中に無いはずの母性が、うっかり開花しそうなくらいに可愛らしかった。
「あ、公音、こっち! 迷わずに来れたな、やるじゃん」
医療事務として働いている光希は、仕事帰りでスーツ姿だった。今日は窓口当番だったそうで、髪もいつもよりカッチリとセットされていた。いつもよりさらに、清潔感あふれる好青年だった。
穏やかな笑顔で手を振っているが、どうにもいつもより照れが見える。それもそうだろう。光希の向こうには、すでに快斗くんが来ていた。こちらはスーツではなくカジュアルなジャケットとチノパン。それでも色味が抑えめであるからか、上品にまとまっていた。
快斗くんは美容師で、今日が固定の休日だ。そんな貴重な休みを謝罪に充てるなんて申し訳なかったのだが、快斗くん自身がどうしても俺と話したいと言うから、同席することになったという。
「こんばんは、公音さん。色々と失礼しました。詳しい話は後で。颯紀は先に店に入ってます。行きましょう」
俺よりも二つ年上であるはずなのに、躊躇いもなくぺこりと頭を下げてくれる。その姿はとても清々しく、彼らは俺を悪巧みに嵌めたわけではなさそうだと、少しだけ安心できた。
——オーラも綺麗だし、気持ちのいい人だな。
「うん。そうだね」
細かいことは後で考えようと思い、俺は光希の背中をポンと叩いた。そしてそのまま三人並んで、店の門をくぐった。
「いらっしゃいませ。ご予約のお客様ですか?」
細工の施された引き戸の向こうには、上品な装飾と穏やかな笑顔の女将さんが控えていた。本当に気後れしそうなほどの料亭で、俺は結婚報告に来た新郎の様に、緊張していた。
「四名で予約した松田です」
光希が女将さんに予約の確認をとり、俺と快斗くんは後ろに控えて待っていた。その間に目に入る店の内装に心を奪われた。
「うわ、すっごい綺麗だな。色がたくさん使われてるのに、ガチャガチャしてない。すごい!」
その控えめ且つ煌びやかな色彩に、ため息が次々と溢れていく。俺自身はあまりデザインに明るくは無いけれど、父がいつも楽しそうに研究している所を見ているからか、少しはそれを面白がることが出来るようにはなっていた。
「綺麗だろ、ここ。俺の趣味のデザイン仲間に教えてもらったんだ」
光希が医療事務をしているのは、残業が少なめで副業を許可されている職場を探した上でのことだった。それは趣味のジュエリーデザインをするためで、その師匠はうちの父さんだ。
社交的な性格をしているため、色々なコミュニティに顔を出しては人脈を広げ、時にはうちに仕事を持って来てくれたりもしている。光希は、俺の家族ともそうやって深く関わってきた。
「今度、叔父さんたちを連れて来てやれよ。きっと喜ぶだろうから」
「そうだな。ありがとう。そのためにも、給料上げてくれって言っておくわ」
俺がそう返すと、光希は「それじゃ意味ない気がする」と言って、困ったような顔をして笑っていた。
「店の中は全体的に暗めだけど、それが雰囲気出て良いな……」
細い廊下には赤い敷物が敷かれ、その上を静々と歩く。自然と、周囲の雰囲気に自分を馴染ませようとしてしまうほどに、世界観が強かった。
一足ごとに感じる木の温もり、足元にふわりと月が浮かび上がる水鉢。ガラス障子から覗く庭には、竹と紅花山帽子が佇んでいた。一見派手に見える真っ赤な実は、竹と暗闇がその強さを和らげている。水鉢の水面が波打つ時にだけ、その赤は光を纏い、微かに主張が増すように思われた。
そんな美しい和の空間に、颯紀くんが一人で空を見上げたまま立っていた。
カッチリとしたスーツを着て、あの銀髪をガチガチに固めている。これまで見たことが無いほどに、厳かな雰囲気の彼は美しく、俺は思わず見惚れていた。暗闇の中で、金色の瞳は、眩しいくらいに光っている。
「公音さん。来てくれてありがとう」
薄暗い廊下の足元には、竹の灯籠が置いてあった。その揺らぐ光の中を、颯紀くんがこちらに向かって歩いてくる。穏やかに微笑みながら、俺の方へと手を差し出してくれた。
「え?」
生まれてこの方、エスコートなどされたことのない俺は、驚いて狼狽えてしまった。すると、後ろから光希がやってきて俺の手を掴み、「はい、どうぞ」と颯紀くんに手渡した。
それはまるでバージンロードを歩く新婦の父と新郎の儀式のようで、俺は思わず吹き出してしまった。
「お前それ、バージンロードのお父さんみたいだな」
すると、光希は俺をじっと見つめながら、熱のこもった口調で答えた。
「そんな気分だからな。お前を人に預ける、バトンタッチであることに変わりはないよ」
そう言って、少しだけ寂しそうに微笑んだ。俺はその時、光希のオーラが少しだけ変化したのを見逃さなかった。ほんの少しだけだけれど、色が赤っぽく変わった。それはすぐに消えてなくなったけれど、それだけで俺には光希の言いたいことが伝わった。
『お前のことが、本当に好きだった。あれは、演技じゃない』
きっと光希だって、今俺にそう伝わってしまったことはわかっているはずだ。それでも、あえてそれを口にしないのは、快斗くんへの配慮なのだろう。だから俺も、それには気がつかないふりをした。
颯紀くんと手を繋ぎ、その隣を歩くことにだけ、意識を向けるようにした。
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