36 / 86
第33話 繋がる恨み
警察庁地下六階、呪法解析室の下の階には、13課に所属する者たちのための回復室がある。
病院のワンフロアのようなものだ。
その奥の個室のベッドの上で、直桜が眠っていた。
紗月の浄化を無理やりに行ってから、もう丸二日、目を覚まさない。
護は直桜の手を握って、その顔を見詰めていた。
「私があの時、止めていたら……」
いつになく焦った様子で突然浄化を始めた直桜には、違和感があった。
紗月の事情や集魂会で聞いた話、楓との接触。
直桜を焦らせる要素は、考えればいくらでもあった。
「どうしていつも、相談せずに一人で走って行ってしまうんですか」
まるでたった一人で戦っているように、一人で考えて一人で遠くへ行ってしまう。いつか手の届かない場所へ行ってしまうのではないかと、怖くなる。
(今だって、俺の手が届かない場所で、直桜は一人で戦って)
誰かの手が、護の肩に触れた。
見上げると、桜谷陽人が立っていた。
「すまないね、化野。また直桜が迷惑を掛けたようだ」
「謝るのは私の方です。私は惟神の眷族なのに、鬼神なのに、直桜を守れなかった」
直桜の手を強く握り直す。
本当なら、ここで寝ているべきは自分だった。身を挺してでも直桜を守らなければならなかったのに。
強い後悔と自責の念が護の中に溢れてくる。
「お前は充分、直桜を守ってくれているよ。恐らくは死んでもおかしくなかった毒、いや、毒と呼べるかもわからない。しかし直桜は、呪詛とは言わなかったんだろう?」
「はい、確かに直桜は、毒と呼んでいました。惟神を殺す毒だと」
直桜が残してくれた幾つかの言葉は、今の状態を解析するための、恐らくヒントだ。
「私の腹の中にあった、魂魄と同じだと」
声のトーンが低くなったのが、自分でもわかった。
「紗月の魂に掛かった呪詛と化野の腹の中の魂魄が、どちらも惟神を殺す毒なら、浄化した時点で死に至る危険性を孕んでいたんだろう。直桜が死ななかったのは運が良かったか」
陽人の目線が後ろに向く。
「或いは直桜の神力が勝っていたかの、どちらかだろうね」
部屋に入ってきた朽木要が、Padを眺めながら陽人に続けた。
「紗月さんは、目覚めましたか?」
護の問いに、要が首を振った。
あの後、紗月も気を失って倒れた。数時間後には女性の姿に戻っていたが、目を覚まさない。
「紗月に関しては、心配いらない。呪詛が剥がれ、体内に直桜の神気が満ちたお陰で魂の融合が叶った。怪我の功名というやつだろうね。伊豆能売の魂と馴染むのに時を要しているだけさ」
要の説明に、少しだけ、ほっとした。
きっと清人の時と同じだ。清人が枉津日神の魂重をした時も数日、目を覚まさなかった。
「本当にお前たちは、次々と難題を解決してくれるね。まさか、紗月の中に伊豆能売の魂が移植されていたなんて、桜谷家現当主の僕ですら、知らなかった」
驚いて、護は顔を上げた。
「桜谷さんが、知らなかったんですか?」
陽人が護を見下ろす。
「そう、知らなかったんだ。これが、どういう意味か、分かるかい?」
護は首を振った。
陽人の顔は、心なしか怒りを孕んで見える。
「紗月の父親は不当な取引で直霊術の術法を入手し、集落の人間は不当に伊豆能売の魂を売り払った。伊豆能売は本来、魂が人を選ぶが、それは集落の中の人間とは限らない。魂が消えれば宿木を見付けたのだと、集落の人間は判断する」
「伊豆能売の魂が突然消えても、疑う者はない、と」
陽人がゆっくりと頷いた。
「あの当時、二代前の桜谷家当主は伊豆能売の魂の行方を探した。だが見付からなかった。祓戸の神と違い、誰に降りるかわからないし姿がないから顕現もしない。探すのも一苦労でね。依代たる人が死ねば伊豆能売の魂は集落に戻る。だから碌に探しもしなかったんだ」
淡々と話してはいるが、声の端々にも怒りが滲んでいる。
まるで陽人らしくないと感じた。
「一体、誰が伊豆能売の魂を売り払ったんですか?」
陽人の気配がピリッと張り詰めた。
「あの狭い集落において、桜谷家以外でそんな真似ができるのは、五人組の一家である八張家くらいだよ」
桜谷集落の五人組の一家、八張家。桜谷家に継ぐ、集落のリーダーの家柄だ。久我山あやめが嫁いだ家であり、八張槐の実家だ。
今の反魂儀呪は、八張家の人間が仕切っていると言って、過言でない。
「伊豆能売の魂を売り払ったのは、久我山あやめですか?」
「わからない。当時のあやめにそれだけの力があったとは思えない。だが、夫を巧く使えば、可能だったろうね」
久我山あやめが意図的に伊豆能売の魂を売り払った可能性は十分にある。集落から反魂香と神蝋を持ち出して逃げた女だ。
これまでのやり方を考慮しても、したたかさと計算高さは、語るべくもない。何よりその精神は、息子である八張槐にしっかり引き継がれている。
「直霊術は一家相伝の術法だ。八張の人間であっても、他者に伝授など出来ない。つまりは桜谷家にも裏切者がいたって話だよ」
陽人の声に凄みが増した。
「この事実が判明しただけでも十分な功績だ。集落の膿を出し切れる。だが、売り払った先もまた、功績だった」
陽人を見上げたまま、護はぎこちなく首を傾げた。
「紗月の父親は理化学研究所の職員だった。あそこは今でも生命倫理に反した非合法な人体実験を繰り返している。国の管轄で迂闊に手出しができなかったが、付け入る隙ができそうだよ」
見下ろす顔が笑みを灯す。目が怒りに満ちた笑顔が、恐ろしい。
ともだちにシェアしよう!