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第59話 稜巳の記憶:優しさという狂気②

 それから稜巳は英里のカフェで暮らしていた。  怖い匂いがするシゲとかいう男は、英里の(つがい)らしい。名前は優士といった。  稜巳が正直に優士が怖いと話すと、理由を聞かれた。  わかる範囲ですべて話した。  英里と優士は難しい顔をしていたが、稜巳には笑いかけてくれた。 「優士は、稜巳がいた場所で産まれたの。だから同じ匂いがするけど、怖くないのよ。もう、関係がない場所だから」  英里の言葉は嘘ではないのだと思った。 「稜巳が嫌じゃないなら、何時までだってここにいていい。俺たちと一緒に暮らそう。ここには今までも、稜巳みたいな妖怪がたくさんいたんだよ」  そう話した優士は確かに怖くなかった。 「結婚したばかりなのに、子供ができたみたいね」  英里の言葉に優士が照れていた。  どうして照れるのか、不思議だった。番が子を産むのは当然なのに。  稜巳の目から見ても英里と優士は仲睦まじい番だった。  それからしばらくして、英里が紗月を呼び出した。  優士がいない時を狙ったんだと、稜巳にもわかった。 「稜巳に話を聞いたんだけど、どうやら理化学研究所から逃げてきたみたいなの」 「理研か……」  紗月が重たい声を出した。  いつも明るい紗月らしからぬ声と顔だと思った。 「間違いなく、ウチの親父絡みだろうね。妖気は霊元の定着に使えるらしいし、稜巳みたいに古い妖怪は妖気だけじゃない、血も鱗も髪も触媒になる」 「紗月ちゃんのお父さんだけじゃないわ。研究チームの責任者は私の両親だもの。もう、猶予はないと思うの」 「英里さん、でも……」 「このカフェで、可哀想な妖怪たちを匿っているだけじゃ、事態は変わらないわ。根本的に解決しなきゃ」 「そうなると、集魂会にも手を出さなきゃいけないよ。重ちゃんには、話したの?」  英里が首を振った。 「優士は13課の職員よ。きっと桜ちゃんと一緒に出世する人だわ。迷惑は掛けられない」 「それ以前に、英里さんの旦那だよ。隠し事したまま、一緒にいられるの? 英里さんは、それでいいの?」  英里は黙ってしまった。 「理研に関わることは、優士に知られたくないの。私の両親は死んだことになっているのよ。今更話せない、話す気もないのよ」  紗月が納得できない顔をしていた。  皆が皆、隠し事をしているのだと悟った。しかし、その嘘は、皆がそれぞれに相手を想う嘘なのだと、そういう嘘もあるのだと知った。  集魂会について、英里と紗月に話をした。  名の通り、御霊を集め妖怪を引き寄せる集団。妖怪である反魂香を囲っている。  稜巳が最初に捕らえられたのも、集魂会だった。  体内に反魂香を飲み込んだ角ある蛇は希少で、最初は召喚に利用されていたが、要望を受けて理化学研究所に送られた。  それ以降は、理研と集魂会を行ったり来たりさせられた。 「理研と反社の癒着の噂は、事実だったのか。本来なら13課の案件だけど」 「話せないわ。私たちだけで、何とかするしかない」  英里は頑なだった。  それはきっと、優士の生い立ちや自分の両親を考えての結論なんだろう。 「集魂会が禁忌術で御霊や妖怪の召喚をしているのは周知の事実だったけど、まさか理研に売りさばいていたとはね。同朋を売るなんて、どういうつもりなんだか」  全く理解できないといった風に、紗月が吐き捨てた。 「養うため」  稜巳の一言に、紗月と英里が揃って顔を向けた。 「妖怪や、研究所から逃げてきた人を、養うため」  紗月の顔が険しくなった。 「じゃぁさ、売る妖怪と残す妖怪は、どう決めてるわけ?」 「自分から行くって言った子が行くの。皆のために、死ぬの」  紗月と英里が絶句している。 「稜巳も、自分から行くって言ったの?」  英里の問いかけに、稜巳は首を振った。 「私は特別だから、殺さないって。研究所と、行基のとこ、どっちも何回も行った」 「どうして、逃げたの?」  紗月に聞かれて、稜巳は俯いた。 「研究所は、痛いの。雷みたいの、いっぱい流されて、痛い。反魂香は、使うと魂が減るみたいで、怖い」  黙り込んだ稜巳を英里が抱き締めた。 「辛かったね。思い出させて、ごめんね」  どうして英里が謝るのか、わからなかった。  どうして英里が泣いているのか、わからなかった。  ただ、英里が泣くのは、とても心が苦しかった。  

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