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第60話 稜巳の記憶:優しさという狂気③

 人の世の都合に疎い稜巳でも、あまりに無謀な計画だと思った。  たったの二人で集魂会を潰そうなどと、英里と紗月は本気で考えている。 「集魂会の活動を止めれば、理研は霊元移植の実験ができなくなる。理研を直接狙うより現実的ではあるんだけどね」 「大丈夫よ。私に作戦があるの。あくまで話し合い。それで無理なら実力行使するけど、戦力なら負けないわ」  英里の作戦に、紗月はあまり乗り気ではないように見えた。 「紗月、大丈夫?」  声を掛けた稜巳に、紗月は笑って見せた。 「何とかするよ。稜巳は気にしなくていい。安心して暮らせる場所を、守って見せるから」  自分の父親の仕事に、紗月は負い目を感じているように見えた。  英里もまた、両親の仕事を疎んじていたが、紗月の気持ちとは違って見えた。  わからないながらに、英里が優士に協力を求めないのが不思議だった。 「怖いかもしれないけど、必ず守るから。私を信じて、決して離れてはダメよ」  英里に連れられて集魂会に出向くことになったが、不思議と怖さはなかった。  久しぶりに会った行基は笑っていたが、心の奥が怯えていた。  英里になのか、稜巳になのか、別の何かなのかは、わからない。 「安倍所長の娘さんが乗り込んで来るとはねぇ。まぁ、さして意外でもねぇけどなぁ」  困った顔で笑う行基の心は、既に諦めているように見えた。 「角ある蛇がこの地域でどれだけ重要な妖怪であるか、知らない貴方ではないはずだわ。土地神の怒りを買えば、組織の維持どころの話じゃない。欲を出し過ぎたわね」 「俺だってやりたくてやってたワケじゃぁねぇのよ。研究所が持て余す失敗作の受け皿は必要だろ? 提供している妖怪だって本人の合意の元だ。大目に見ちゃくれねぇかぃ」  英里の纏う気が逆立った。  こんなに気を尖らせた英里は初めてで、稜巳でも怖いと感じた。 「失敗作? 優士が失敗作だっていうの? 貴方はそういう気持ちで、研究所から送られてくる人間を育てているの?」 「怒るなよ。あくまで研究所の判断だ。俺にとっちゃぁ可愛い子らだよ。優は特に優秀に育っただろ。今や警察庁のエリート候補だ。だからこそ、旦那に内緒でここに来たんだろ、副所長殿」  英里が唇を噛んでいた。  血が出るくらい痛そうで、ハラハラした。 「そうね。何もかも終わらせる。あんな場所、なくなればいいんだわ。だから、派手に爆破してやろうと思うの。仕掛けは済んでる。私が今日、ここに来たのは、貴方の目の前でこのボタンを押すためよ」  握り締めたスイッチを英里が行基に突き出した。 「おいおい、流石にそりゃねぇぜ。働いている職員こと吹き飛ばすつもりか?」 「研究が明るみに出れば非難も処罰も免れない。場合によっては死刑判決が下る人間もいるような研究所よ。実刑が早まったと思えばいいわ」  英里の目が仄暗い闇を纏っている。  まるで英里ではない人間を見ているようだった。 「本気じゃないんだろ? 爆破なんてそう易々とできるもんじゃない。正義感振った我儘はいい加減にしたほうが良いぜ。でなきゃ、こっちも手を出さざるを得なくなる」  行基の後ろに妖怪たちが集結した。  ほとんどが行基を慕って集まった妖怪だが、召喚されて行き場がなく、残っている者も多かった。 「可哀想な子たちを使い捨ての駒にするなんて、見下げた根性ね。大僧正が聞いて呆れるわ。行基は庶民の味方の僧侶ではなかったのかしら?」 「俺はいつでも弱き者の味方だぜ。庶民を守るために大仏の開眼式に関わったんだ。あの頃と、心意気は変わってねぇつもりだよ」  少しずつ、少しずつ、英里の心が静かに閉じていくのが分かった。  それが怖くて、どうにかしなければと、何度も英里の服を引っ張った。  でも、届かなかった。 「そう、なら仕方がないわ。千年以上前から変わらない性根を叩き直すなんて、私には無理だもの」  何のためらいもなく、英里がボタンを押した。  あまりにも自然な仕草に、行基も妖怪も、誰も動けなかった。 「おいおい、脅かすなよ。爆破なんて、本気じゃねぇんだろ。大体、そんな大量の火薬を準備するなんて、アンタ一人じゃとても……」  奥から慌ただしい足音がして、黒髪の青年、八咫烏の黒介が飛び込んで来た。 「行基! 理研の霊元移植実験室からプラズマが異常発生して、霧咲吾郎が死んだ!」  行基が息を飲んだ。  英里が静かに目を開いた。 「爆破って、火薬でしか起こせない訳じゃないのよ。実験管理棟のセキュリティは掌握してる。もっと大きくプラズマを発生させれば、爆破も火災も簡単に起こせるわ。次は一部屋だけじゃなくて、棟全体を崩すわ」  行基が慌てて英里を振り返った。 「待て、アンタの本気はわかった。取引をしよう。俺の命をくれてやる。そうすりゃ、霊元の実験はできねぇ。アンタの望みはそれで叶うだろ? だから、理研の爆破はなしだ」 「貴方が居なくなったって、ここに残っている人間や妖怪が、同じことを繰り返せば変わらないわ」 「霊元の移植には俺の法力が不可欠なんだよ。霊元移植ができなきゃ、妖怪は必要ない。集魂会自体が必要なくなる」  行基の慌てぶりは、本気に見えた。 「少子化対策の人体実験で産まれてくる子供たちはどうするの? 《《失敗作》》の受け皿がなくなるわね」  氷のように冷たい目で英里が行基を見下ろす。  後ろにいる黒介が、行基を庇うように前に出た。 「俺が受け入れる。社会に出られるものが働いて資金を得て、集魂会を維持する。理研とは今後一切、それ以外の取引をしないと誓う。だからどうか、行基の命一つで納得してくれ」  英里が黒介を見る目は、蔑みのような憐みのような、酷く乾いた目だった。 「行基の命は貴方にとって随分、軽いのね」 「軽くはない! 集魂会は行基が居なければ、成り立たない。だが、この場所でしか生きられない者が大勢いる。その命の方が、重いだけだ」  英里の目が黒介に真っ直ぐに向いた。 「だったら理化学研究所を爆破した方がよっぽどいいんじゃない? 大事な行基を殺さずに済むわよ」 「ここに送られてくる人間も、戻されてくる妖怪にも、理研に家族がいる。魂の近しい存在がいる。優だって、同じES細胞から生まれた兄弟がいるはずだ。顔を知らなくても、それは家族だろう」  英里の瞳が揺らいだように見えた。 「それ以上、黒介を責めないでくれ。アンタが本当に欲しいのは俺の命だろう。理化学研究所の非合法実験は、ほんの一部だ。ほとんどは正規の実験を国営で行う機関なんだ。爆破なんて、現実的じゃねぇ。わかってんだろ」  行基の顔はさっきと違って真剣だった。  英里の顔は納得しているようには見えなかった。  奥歯を噛んで黙り込んだ英里は、気持ちの落としどころを探しているように見えた。 「そうね、わかったわ。行基の命一つで納得してあげる。それで、どうやって死んでくれるのかしら。二度と戻ってこない方法でお願いしたいわ」  黒介の後ろで、行基が立ち上がった。 「俺も流石に高僧だからな。そう簡単に殺されるもんでもねぇ。この辺りで一番強い生き物でも召喚して、ソイツに入滅させてもらうさ」  行基の提案に稜巳は驚いた。  英里が描いたシナリオ通りの言葉を吐いたからだ。 「なら、さっさと召喚してもらおうかしら。ちゃぁんと、私の見ている前で死んでね。行基大僧正様」  顎を上げて行基を見下しながら笑む英里の顔は、稜巳の知っている英里ではなかった。

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