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第62話 稜巳の記憶:優しさという狂気⑤
集魂会の事件があってから、半年以上は過ぎただろうか。
紗月が潜入捜査の仕事に出向くことになったらしい。
何故か英里が一緒に行くと言い出した。
「賛成できない。英里は13課の正職員になったばかりだ。正式なバディ契約を、つい最近、交わしたばかりなんだよ」
優士が何時になく声を荒げている。
「今回はどうしても行きたいの。紗月ちゃん一人だけなんて、あまりにも危険だわ」
「だからと言って、英里が行く必要はないだろ。英里は13課じゃ回復師だ。潜入には向かない」
「私の言霊術は、回復術だけじゃないわ。本来なら禁忌に抵触するような強力な術だって、優士も知っているでしょ?」
優士が言葉を詰まらせた。
「それでも、英里である必要はない。他の術者を須能班長に見繕ってもらって」
「それじゃ駄目なのよ。私じゃなきゃ、私が紗月ちゃんの役に立ちたいの」
英里が紗月との潜入捜査に拘る理由が、稜巳には何となくわかっていた。
先の集魂会の事件で紗月の父を殺してしまったこと。
紗月に行基を入滅させたこと。
あの時の召喚のせいで、紗月が人類最強として良くも悪くも目立つ存在になってしまったこと。
総てを紗月に被せてしまったように感じて自分を責めているのを知っていた。
毎晩のように話し合っても二人の意見は平行線で纏まらなかった。
いつも扉の隙間から、二人の会話を漏れ聞く。
「稜巳、ごめんな。俺たちは喧嘩している訳じゃないんだよ」
「心配しないで。遅いから、稜巳は先に寝ていてね」
英里の服の裾をキュッと握る。
二人が顔を合わせて息を吐いた。
「私たちも寝ましょうか」
「そうだね。稜巳は一人じゃ眠れないもんな」
毎晩、英里と優士に挟まれて眠る。
隣に温かな息遣いを感じて眠るのが何より安心できて、幸せだった。
あの時の事件のことを英里が優士に話さない理由は、わかる。
優士は幼少を集魂会で過ごした人らしい。
行基はきっと父親のような存在だったに違いないと、英里は話していた。
(知っていても、ああするしかなかったのかな。どうしてだろう。あんまりよく、わからない)
今の稜巳には封印が掛かっていた。
神の御許から落ちた後、集魂会に召喚される前に掛けられた封印だ。そのせいで記憶がぼんやりして頭があまり働かない。
(私に封印を掛けたのは、誰だったっけ)
考えようとすると、頭の中に霧がかかって真っ白になる。
そのうちに疲れて寝てしまう。
起きると、忘れている。
そんなことの繰り返した。
(英里と優士が傍にいてくれたら、それでいい)
今の幸せが続いてくれたら、それでいい。
そう思っていた。
結局、優士が押し負けて、英里が紗月と共に潜入捜査に入ることが決まった。
潜入は長くて三か月くらいかかるらしい。
「英里さんは何があっても私が守るから、大丈夫だよ」
紗月が稜巳にそう断言した。
「三か月なんて、きっとあっという間よ。二人で無事に帰ってくるから心配しないでね。それまでは優士と仲良く待っていてね」
英里が稜巳の頭を撫でる。
二人の言葉がやけに耳に残って、不安になった。
見送る背中が遠くに行ってしまうのが、怖かった。
それから毎晩、優士と二人で眠った。
優士は稜巳が寂しくないようにと、絵本を読んで聞かせてくれた。
英里のように上手ではないけど、といいながら、時々子守唄を歌ってくれる。
「英里の声は安心するだろう。彼女の声帯は特別なんだ。霊力を強く帯びていてね。そういう能力を歌姫《セイレーン》というらしい。言霊を使う術者はとても希少なんだよ」
稜巳が寂しくないように話してくれる内容は、まるで優士が自分の寂しさを紛らわせているように見えた。
優士の左手の薬指にはめられた指輪をなぞる。
「これはね、俺と英里が生涯の相棒である証なんだ。指輪がある限り命も絆も消えない、とても大切な繋がりなんだよ」
稜巳の手を優士が指輪の上に乗せる。その上から稜巳の小さな手を包んだ。
英里と優士の絆に混ぜてもらえた気がして嬉しかった。
それから数カ月して、優士にも緊急招集が掛かった。
潜入捜査で掴んだ儀式が始まって、一斉突入になったらしい。
「すぐに戻るから、一人で良い子にお留守番しているんだよ」
優士の表情はいつもと違った。
予期せぬ何かが起きたのだと思った。
数日間、稜巳はカフェ兼自宅で一人で過ごした。
英里が大切に育てているハーブ畑の手入れをして、部屋の中を掃除して、食事をする。
英里と優士と共に過ごした生活をなぞるように暮らした。
夜だけは、ベッドの中で一人が寂しかった。
握ってくれた手の温もりを思い出したくて、自分の手を握った。
数日後、優士が帰ってきた。
帰ってきた優士は、出掛けて行った時の優士とは違っていた。
「どうして、優士の中に英里がいるの? 英里はどこに行ったの?」
優士の胸の中に感じる英里の温もりに、不安が募る。
左手の薬指に指輪がない。
苦しそうに顔を歪めた優士が稜巳を抱き締めた。
「ごめん、ごめんな、稜巳。英里を連れて帰ってこられなかった」
「英里は優士の中にいるよ。出てこられないの?」
優士の目から涙が溢れた。沢山溢れて、稜巳の上に落ちた。
「英里の霊元を、俺の中に移植したんだ。英里はもう、この世には、いないんだよ」
この世には、いない。
どういう意味だろう。英里は優士の胸の中にいて、英里と同じ声が優士から聞こえるのに。
「もう、一緒にご飯食べられないの?」
「……うん」
「もう、頭を撫でてもらえないの? 手も、握れないの?」
「うん」
「三人で一緒に眠れないの?」
優士がさっきより強く、稜巳の体を抱き締めた。
「英里は、死んでしまったんだ。もう会えないし、触れられないんだよ。一緒にも、眠れない」
死、という言葉はあまりにもリアルで身近で、遠い響きだった。
「絆は、消えてしまったの? 命が、消えたから?」
優士の左手の薬指に触れる。
震える優士の手が、稜巳の小さな手を握った。
「指輪が消えても、絆は消えない。俺も稜巳も、ずっと英里を忘れたりしない。そうだろ?」
「うん、忘れない。ずっと覚えてる」
そうか、忘れなければ、覚えていれば、絆は消えないんだ。
「どうして、英里は死んでしまったの?」
稜巳の問いかけに、優士はすぐに応えてはくれなかった。
「大事な人を守るために、死なせないために」
小さく零れた声があまりにも心細くて、稜巳は優士を抱き締めた。
「誰が、英里を殺したの?」
誰が優士から英里を奪ったの?
誰が、優士をこんなに悲しませたの?
誰が、自分から英里を奪ったの? 三人で暮らす幸せを奪ったの?
「前にも話した反魂儀呪という組織で行われた儀式で、呪詛を掛けられた親友に混乱した俺が、英里を殺してしまった」
優士の言葉が、巧く理解できなかった。
「俺が、殺したんだよ。この手で英里を。なのにどうして、俺は今も生きてるんだ。英里は死んだのに、何で俺だけ。殺した、俺だけ」
優士の体が力なく崩れ落ちて、床に蹲った。
「あーーーーー!!!」
号泣、という言葉を聞いたことがある。
叫びとも悲鳴ともとれない悲痛な音が、優士の声帯を揺らしている。感情が乗った音に霊力が混じって、稜巳の中にも流れ込んでくる。
反魂儀呪で起こった災厄が、脳の中に残影として映し出された。
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