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第63話 稜巳の記憶:優しさという狂気⑥

 大きな洞窟の洞に組まれた祭壇。  その中心に座る禍々しい呪力を醸し出す呪物。いや、あれは人だ。  まるで呪物そのものといえる、人間の女。  紗月が手足を縛られてうつ伏せに地面に転がされている。  紗月ほど霊力の強い人が、ここまで抑え込まれるなんて、普通じゃない。  銃を持っているのは、桜谷だ。何度もカフェに遊びに来ている、優士の親友。  桜ちゃんが銃口を向けているのは、優士だ。 (あの呪物に呪詛を掛けられて、操られているんだ) 「シゲ、早く僕を殺せ!」 「お前を殺しても、次の操り人形ができるだけだ!」 「それでも! 僕よりはマシだ。僕の銃では、全員の霊元を壊してしまう」 「早く、解呪を」 「解呪できる人間は、ここにはいない! 判断を誤るな。僕を殺すのが最善だ!」  優士が桜谷に刃を向けた。  優士の感情が流れ込んできて、苦しい。息ができない。  桜谷の心臓に目掛けて一直線に突き出した刃の前に、英里が割って入った。 「! 英里!」  迅速の突き技が英里の心臓を貫いていた。 「何で、どうして!」  抜くことができずに、優士が刀を手放す。  倒れ込んだ英里の体を抱きとめた。 「桜ちゃん、殺しちゃ、ダメ、よ。これから、13課を、変える人、でしょ」 「だからって英里を犠牲にしていいわけじゃない!」 「いいの、今が、私の命の、使い所、だわ。何となく、そんな気が、してた」 「なんで、そんなこと。俺と添い遂げるんじゃなかったのか」    英里が震える手を伸ばした。  指の先が優士の頬に触れる。 「色んな事、黙ってて、ごめんね。一緒に、幸せに、なりたかった、の。優士と稜巳と、三人、で」  稜巳の心が震えた。  英里の口から、稜巳の名前が出たことに、胸が締まった。 「稜巳に、ごめんねって、伝えてね。幸せを、諦めちゃ、ダメよって……」 「英里……、諦めない。まだ、何とかする方法が」  優士の手が英里の震える手に伸びる。 「シゲ、避けろ!」  桜谷の声と発砲は、ほぼ同時だった。  霊弾が優士の胸を貫いて、霊元を粉々に打ち砕いた。  優士の体が英里の上に倒れ込んだ。  顔だけが、目だけが周囲の状況を睨み据えている。 「さぁて、次は例の魂を汚すか。殺しても生かしても、どちらでも構わんが」  呪物が汚い言葉を吐き捨てる。  桜谷の銃が紗月の後頭部を押し、ぐりぐりと弄んだ。  抗おうとする桜谷の霊力が見る間に消費され、呪物の操り人形になっていく。 「紗月、逃げろ。頼むから、逃げてくれ」  桜谷の悲痛な叫びは無意味だ。  四肢を縛る縄は紗月から霊力を奪っている。力など入るはずがない。 (紗月、まさか、紗月まで死んでしまう。誰か、誰か!)  残影だとわかっていても叫ばずにはいられない。  突然、部屋中に浄化の雨が降った。  キラキラと美しい金色の雫が洞の中一面を覆う。 「紗月! 陽人さん!」  若い青年が駆け込んで来た。  時々、カフェに来ている、確か清人とか呼ばれている男の子だ。  その後ろに、知らない人間の大人が立っていた。浄化の雨を降らせたのはあの大人だとわかった。 「遅くなって、すまない。早く怪我人の手当てを」 「清人は紗月を! 僕がシゲと英里を介抱する! 榊黒さんがいるうちに、早く!」  榊黒の浄化で、桜谷の呪詛が解けていた。  桜谷の指示に従って、清人が動く。  榊黒と呼ばれた大人が、呪物の目の前に立った。 「惟神、四ノ神如きが、私をどういなす? 一ノ神と四ノ神以外不在の祓戸四神など、眼中にないわ」  余裕の笑みの呪物に、榊黒が手を伸ばした。 「そうだ。俺は四ノ神、速佐須良姫神の惟神。出来る浄化は、最初から一つだよ」  伸ばした手の先から闇が伸びた。  真っ黒な闇が呪物に向かい伸びていく。  呪物が顔色を変えた。 「貴様、最初からそのつもりでっ」 「根の国底の国に堕とせば、自力では出られまい。祓いは今でなくていい。惟神が揃ったその時に、お前という呪物を、今度こそ塵も残さず祓おう。それまで闇の中で流離いながら、怯えて待つといい」  闇が呪物に絡みつく。  その体を絡めとって、真っ黒な闇へと引きずり込んだ。 「ああ、待っていてやろう。貴様の神力も霊力も吸い尽くして干からびるまでな。惟神が揃うまで、貴様の神力が持つことを祈っているよ、四ノ神」  歪で醜悪な笑みを残して、呪物は闇に呑まれた。  放った闇を手の中に戻すと、榊黒という大人は意識を失くして倒れた。  映像に(ひび)が入って、画面が割れるように消えた。  優士の霊力が尽きたのか、意識が潰えたのかは、わからない。  蹲ったまま大粒の涙を流す優士を眺める。 「反魂儀呪……」  稜巳の中に憎しみという確かな狂気が生まれた。

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