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第73話 英里のカフェ跡地

 清人の拉致から三日後、紗月は梛木と共に英里のカフェ跡地に立っていた。  紗月にしては珍しく十全な準備を終えての敵地襲来だ。  ポケットに仕舞っていた、蛇の根付が付いた木札を取り出した。 「何のかんの行基は、稜巳を見捨てるつもりなんか、なかったんだね」  木札に付いた白い蛇の根付を揺らす。  数日前に突然、流れ込んで来た稜巳の記憶は、紗月の知らない事実までも含まれていた。 (木札を持っている直桜たちも、同じ記憶を見たはずだ。忍にも、全部バレちゃったかな)  それは、隣に立つ梛木も同じだ。  梛木もまた、紗月と共に稜巳の記憶を見た。  紗月の視線に気が付いて、梛木が振り返った。 「今更、言い逃れを考えるのは無意味じゃぞ。すべて終えたら、三人揃って忍に説教される心の準備でもしておくんじゃな」  気持ちを言い当てられて、ぐうの音も出ない。 「やっぱり優しくないね、梛木。梛木は昔から私にだけ優しくない。私のこと、嫌いだろ」  梛木が呆れ顔で紗月を眺めている。 「何をどう突っ込まれたい? 好きと言われたいのか? 嫌いといわれたいのか?」 「どっちも微妙だよ」 「そうじゃろうなぁ」  梛木がしみじみと答えた。 「一つ確かなのは、紗月との捕物は、極めて愉快。此度も楽しめような」 「それについては、私も同感だよ」  梛木が空地全体に結界を敷いた。  何もなかった空間に、白い三階建ての建物が浮かび上がった。建物は、大きな木を飲む込むように立っている。  姿を現した大樹によると、紗月は木肌に触れた。 「遅くなって、ごめんね。迎えに来たよ、稜巳」  気持ちを送り込むような思いで、木に額を合わせた。 「直桜が気枯れをやらかした以上、ここに来るのは望ましくない。さっさと済ませて帰るぞ」 「忍が一緒にいるなら、ここには来ないんじゃない?」  集魂会に行ったと思われる直桜が『気枯れ』をしたのは一昨日だ。直桜の神力を感知した梛木の見立てでは、忍は直桜と護と共に行動している。  梛木が難しい顔をして首を傾げた。 「今の忍では、わからぬ。どうにも気が急っておる。万事解決して、安心させてやらねばなるまい」 「へぇ、忍が焦るなんて、珍しいね。千年以上生きてる仙人でも、焦ったりするんだ」  紗月の頭に拳骨が落ちた。  顔を上げて、恨めしい目で梛木を睨む。 「何で殴るんだよ、理解できない」 「誰のせいだと思っておる? シゲ坊と陽人《ひぃ》坊と紗月のせいじゃ」 「悪かったと思うし、反省もしてるけどさ。忍が焦るほどの事態じゃないでしょ? この程度の惨事なら、今までの13課でもあったはずだよ。戦後だって一度は殲滅してるんだから」  12課だった特殊係が13課になった時に比べれば、なんてことはないはずだ。 「そうじゃ、忍は特殊係が殲滅する事態を恐れておる。だから誰一人、失いとうはないのじゃ。13課の要ともいえるお主らが揃って秘密を抱え倒れる状況は、忍にとり何より心を抉られる事態であったろうな」  梛木の顔を見ていられなくて、紗月は目を逸らし俯いた。   「そう……か、そうだよね。大人しく、説教されとく」 「そうしておけ」  梛木の目が頭上に向いた。 「ともあれ、さっさと片を付けるぞ」 「了解。やっぱ、上から攻めるよね」 「片付けは、大きなものから始めるのが定石じゃ」  紗月は梛木と顔を合わせた。  納得の視線を交えて、上に飛び上がる。  真っ白い建物の三階より高く飛び、霊現化した大太刀を振り上げた。 「さぁ、出てこい、八張槐! 清人は返してもらうよ!」  大きく振りかぶった大太刀を勢いよく振り下ろす。  真っ白な建物が真っ二つに切れた。  大樹を飲み込んだ側を残して、梛木が反対側を軽く蹴り落とす。  蹴られた建物が轟音と共に粉々に崩れた。 「見える範囲に、人はいないね」  分断した建物の中の部屋を見回す。 「恐らく、この下じゃ」  一階の部屋の端に、やけに強い結界は張られた場所があった。  梛木が歩み寄り、手を翳す。結界はあっけなく消えた。 「地下に潜ったのか。稜巳が自分から、かな」 「わからぬが。角ある蛇の生息地は元々が沼地じゃ。妖力を維持するために湿度の高い場所に逃れた可能性は高いじゃろうな」  それはつまり、封印されている稜巳の力が落ちている証だ。 「急いだほうがよさそうだね」 「さっきから、そういうておる」  苦言を呈する梛木は敢えて振り返らずに、紗月は足下の床を刀で切り割った。  歪に開いた床の下には階段が伸びていた。  迷うことなく紗月は階段を降りた。梛木が続く。  湿り気の強い地下空間は階段にも水滴が浮いていた。

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