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第74話 意趣返し

 降りきった場所は、小さな部屋のようになっていた。  奥には大樹の太い根が無数に張っている。  その前に槐と楓が立っていた。槐の隣には座り込んだ清人が項垂れている。  思わず前のめりになる紗月を梛木が引っ張った。 「今まさに封印を解呪してたんだよ。奇襲にしても家を壊すなんて、酷いな」  槐が困った顔で笑う。  まるで本心に見えないその顔が、なんだか気持ち悪く感じた。 「清人に何をした」  低い声で唸る紗月を、槐が笑った。 「何かしたのは、そっちだろ。中途半端になったせいで、開いた木の根は閉じるし、清人は意識を失うし。こっちとしても、困っちゃうよ」  槐が清人の肩を叩いた。 「清人、ほら、起きて。お迎えが来たよ。帰ってもいいけど、稜巳の封印を解いてからにしてね」  槐の声に反応して、清人が顔を上げる。  ゆらりと立ち上がる清人を、槐の手が支えた。 「俺に攻撃を仕掛ける気満々みたいだけど、清人はどうする? どっちに味方する?」  清人の耳元で槐が問い掛ける。  まるで言葉を吹き込んでいるように見えて、腹が立つ。  清人が霊気を纏った両手を持ち挙げて、紗月たちに向き合った。 「どうやらまだ俺たちの味方をしてくれるみたいだね。愛する女を自ら殺すなんて、悲恋じみてて妬けるなぁ」  槐の下卑た笑みに、苛立ちが募る。  槐が清人の腰を抱き寄せて、顎を摑まえる。  清人が自分から顔を上げて槐に口付けた。   「俺にこうされるとキスするの、癖になっちゃったねぇ。自分から差し出すの、従順な恋人って感じで可愛いね。清人の嬉しそうな顔、見える?」  槐が清人の顔を紗月に向ける。  たしかに、幸せそうに笑んでいる。しかも可愛い。  紗月は歯が擦り切れる勢いで歯軋りした。 「つまりまだ、稜巳の封印が解けていないってだけでしょ。私を攻撃させるより、さっさと解呪させた方が効率いいと思うけどね」  大太刀を小太刀に差し替えて、紗月は構えた。 「それじゃぁ面白くないだろ。解呪なんか、いつでもできるんだからさ。清人、十年分の想いをぶつけてあげなよ。愛が重すぎて殺《や》っちゃっても、特に問題ないから」  槐が清人の背中を軽く押した。  戦闘開始の合図が鳴ったかのように、清人の体が前に出た。  梛木が地下空間一帯に結界を張る。  同時に紗月は、前に飛び出した。  空気砲を打ち込んで突っ込んでくる清人を軽く避ける。  小さく飛び上がった紗月に目掛けて、更に空気砲を打ち込む。 (攻撃が単調すぎる。目も虚ろだし、言霊術が掛かっているせいで自我が抑圧されてるな。思考力は限りなく低いと考えていい。だったら)  梛木に目で合図を送る。受取った梛木の目が紗月の合図に頷いた。  紗月に向かって飛び上がった清人が右腕を鋭く伸ばした。手に霊力を纏わせた手刀を紗月の腹に向かって繰り出す。  その攻撃を避けずにあえて受け止めた。  清人と紗月の体が地面に落ちる。  瞬間、清人が紗月の体を庇った。 「何やってんだ、お前。この程度の攻撃、避けられんだろ」  絞り出すような清人の声に、その顔を覗き込む。 「あれ? 起きてたんだ。てっきり槐の恋人のままかと思ってた」 「恋人だし、忠犬だよ。犬、だけど。術の調整は、枉津日が……」  清人の頭が不自然に揺れる。   「調整しきれていないんでしょ。だったら黙って犬になってろ」  紗月は右腕を振りかぶった。  それに合わせて梛木が手を翳した。槐の隣で待機する楓に向かい、結界を張る。術を出して相殺しようとした楓の反撃は間に合わず、捕らえられた。一人分の結界に閉じ込めた形だ。  槐の腕にも緊縛術の輪が飛んだ。壁に抑え込まれた槐の視線が紗月から逸れた。 「兄さん! 前!」  自分の腕と楓に一瞬、気を取られていた槐に向かい、紗月は霊銃を向けた。 「陽人からのラブレターだ。受け取れ、八張槐」  紗月の腹から腕を抜こうともがく清人を抑え込み、引き金を引く。  梛木の緊縛術で拘束され動けない槐に逃げ場はない。  槐が無理やりに緊縛術を解いた直後、左胸に霊弾が撃ち込まれた。  よろけた槐の体が、その場に座り込んだ。 「参ったね。稜巳でも清人でもなく、最初から俺狙いだったわけだ」  撃たれた左胸に手をあてて、槐が力なく笑んだ。 「封印の解呪なら、いつでもできるからね。マッカラン分の仕事だよ」  紗月は楓に視線を向けた。  それに合わせて、梛木が結界を解く。  楓が槐に駆け寄った。 「死んだりはしないよ。だけど、早く処置しないと後悔する状態には、なるかもね。さっさと兄貴を連れて、この場から去れ。お前たちに稜巳は渡さない」  紗月を睨みつけた楓が、清人に目を向けた。 「何してるの、清人。《《槐兄さんが》》撃たれたんだよ。その女を殺せ!」  楓の強い言葉に、清人の体が震える。  左手に空気砲を作り出す。 「早く、俺の腕を引き抜いて逃げろ。じゃないと、攻撃しちまう。槐を撃った紗月に、怒りが収まらねぇ」  歯を食い縛って、清人が体を震わせる。術と自我の狭間で意識が戦っているのだろう。この状態が長く続くのは、清人の精神にとって良くない。 「打って良いよ。槐が好きな清人のままで、私を打って良い。十年も待たせたからね。今度は私が清人を追いかけるよ」  清人の肩を抱いて、体を密着させる。  腹を貫通している清人の手から、紗月の血が滴り落ちた。 「何言ってんだ。いくら槐の犬だって、槐が好きだって、紗月を想う俺も消えてねぇんだぞ。好きな女、殺せっていうのかよ」 「清人の攻撃程度じゃ死なないよ、見縊《みくび》るな。いいからさっさと攻撃を終わらせて」  紗月は清人の耳に口を寄せた。 「枉津日神の惟神の神紋を、私にちょうだい」  囁いた言葉に、清人が表情を変えた。  清人の纏う神気が揺らいだ。  同時に緩んだ霊気が手元の空気砲を大きく膨らませて、清人の手を離れた。  勢いよく紗月の胸を抉ると、爆弾のように弾けた。  清人から手を離した紗月の体が後ろに倒れ込む。  爆破の衝撃で服が破け胸と顔に皮膚を抉った傷がいくつも出来ている。手刀を引き抜いた腹からは血が流れている  紗月を見下ろす清人の顔が蒼白に歪んだ。 「紗月……、紗月! 手当……、手当、しねぇと、早く」  血が流れる紗月の腹に清人が神気を纏った手を翳す。  送り込まれてくる神力が、温かい。柔らかな熱が腹に溜まっていくのを感じる。 「清人! 何してるんだよ。早くこっちに戻って、兄さんに手当てしてよ!」  叫ぶ楓の前に梛木が立ちはだかった。  声や言葉が清人に届かないよう弾いて、空間を遮断する。 「死にはせぬと言うたであろう。陽人《ひぃ》坊の趣旨は伝わったか? お主はどう判断する?」  梛木が槐に問い掛ける。  ぐったりと脱力して蒼い顔のまま、槐が梛木に目を向けた。 「あんた、神様なんだろ。随分と俗世に介入するんだな。理は崩れたりしないの?」  13課という警察組織に国つ神が参ずる現状を指摘しているのだろう。  今更に感じるが、槐は梛木と対《サシ》で話すのは初めてかもしれない。 「理を崩す輩を罰するが神ぞ。此度は良い教訓になったであろう」  ニタリと笑んだ梛木の顔を眺めて、槐が息を飲んだ。  梛木が槐と楓の気を引いている間に、清人の神気が紗月の体に満ちていた。  清人が紗月の腹に手をあてて、動きを止めた。 「神紋を与えたら、紗月は俺の眷族になるんだぞ」 「わかってるよ。さっさとしろ」  伊豆能売は祓戸大神二柱の守人だ。しかし、神紋を与えられれば枉津日神の惟神の眷族になる。  清人は、それ以上、動こうとしない。清人の戸惑う理由が十年間の自分の行動にある自覚はあった。 (本当に、待たせ過ぎたね。私がどんな態度をとっても、清人はずっと、待っててくれた。私は甘えてたんだ。誰かに持っていかれるまで気が付かない私は、馬鹿だ)  目が涙で潤みそうになる。 (清人がいる《《普通》》に気が付かなかった私は、大馬鹿だ。だから、今度は私が、清人の普通を守るんだ)  腹に置かれた清人の手に自分の手を添えた。  力を込めて自分の腹に強く押しあてた。 「たとえ清人に、他に恋人ができようと別の誰かと結婚しようと、眷族として守人として、一生離れずに守ってやる。清人の幸せは、私が守るよ」  清人の気持ちが何処に向こうと、たとえ自分ではなくても、八張槐であったとしても、清人が幸せだと感じる場所を、時間を、丸ごと全部守りたい。   (今の私なら、きっと清人の全部を守れる。守り切る覚悟は、もう決めた)  紗月は清人に笑いかけた。  その顔を見詰める清人の顔が泣きそうに歪んだ。  清人が腹に置く手に力を込めた。 「後悔しても、しらねぇからな」 「しないよ。清人がいない人生なんて、私にとって《《普通じゃない》》」 「紗月、それって……」 「清人の普通は私が一生かけて守るから。清人の神紋を、私にちょうだい。神紋があればもっと近くで、清人を守れる」  切なさを残した目が紗月に近付いた。 「プロポーズなら、もっと色気がある場面でしてくれよ。てか、俺に言わせろ」 「槐の恋人の清人が、私にプロポーズしてくれんの?」  清人の指が紗月の唇をなぞった。 「そう……だよな、変だよな。俺は槐が一番好きで恋人なのに、何でこんなに嬉しいんだ。頭、バグりそう」  清人の唇が紗月の唇に重なる。  下唇を甘く食んで、押し付ける。 「わかんねぇけど、今は紗月が愛おしい。槐もダメって言わねぇし、今は、こうさせて。もっと紗月が欲しい」  艶っぽい瞳が紗月を捉える。  一度離れた唇がまた、重なった。口移しで神力が流れ込んでくる。  枉津日神が言霊術を調整して清人の自我を守っているのだとわかった。 (清人が壊れないように、ずっと守ってくれていたんだ。今の清人の言葉が、言霊術の範疇じゃないと、いいな。そう考えるのは、私には贅沢か)  腹にあたった清人の手から神力が溢れ出す。  傷を癒した神気が紗月の腹に凝集する。  腹の奥に、じりっと焼けるような痛みが走った。  清人がゆっくりと手を離す。  藤の花の紋が焼印の如く浮かび上がった。

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