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第75話 無駄な会話

 一通り、清人と紗月のやり取りを眺めていた槐が体を起こした。  楓に支えられて、座り直す。 「やれやれ、霊力も呪力も封じられたら、何もできないね。まさか自分の霊力全部込めてまで俺を封印しに来るとは思わなかったよ。陽人も思い切ったなぁ」  感心した声を上げながら、槐が自分の左胸を抑えた。 「俺が何もできなくても、楓と清人は動ける。稜巳の封印の解呪には、それで十分だ」  槐が紗月に視線を向けた。  紗月の腹に浮いた神紋を眺めて、満足そうに笑む。 「伊豆能売が枉津日神の惟神の眷族になるのは望ましいね。紗月なら、清人の二番目の恋人くらいにはしてあげてもいいよ。ついでに子供でも産んでくれたら神子になるし、ウチとしては大歓迎かな」  苛立ちで気が逆立った。 「わざと清人を止めなかったな。私は子供が産めないからお前の期待には応えられないよ。何より清人はあげない。清人の心は返してもらうから」  気を静めて、槐を睨みつける。  槐が笑みを失くして呟いた。 「返さないよ。むしろ術が解けた清人を俺の恋人にしたいね。それに、紗月はもう子供が産めるだろ。悪いようにはしないから、清人と一緒にウチにおいで」  その表情があまりに本気で、紗月は一瞬、言葉を失くした。 (コイツ、どこまで本気なんだ。それに、何をどこまで知ってる?)  紗月の魂に伊豆能売が重なっているのを槐が知っているのは不思議ではない。恐らく十年前の、あの儀式の時から知っていたんだろう。  今の紗月には、まだ伊豆能売の魂が定着していないはずだった。今回、稜巳の封印の解呪と清人奪還のために、梛木に無理を強いて協力してもらい、自分の魂にしてきたのだ。本来なら数カ月かかる魂の定着を三日で終わらせた。そのお陰で紗月の体は、完全に女になった。  その事情までも、槐が知っているとは考え難い。 「はい、わかりました。なんて、言うわけないだろ。霊力を封印されてるのに、随分、余裕だね」  槐がまた余裕の笑みで清人と紗月を眺めた。 「だって、今の清人から神紋を貰っちゃったら、紗月は清人に逆らえないだろ? 紗月こそ俺の忠犬だ。清人《主》にお願いされたら、眷族は嫌とは言えないよね?」  槐の目が清人に向く。  清人がフラフラと槐に歩み寄った。  座ったままの槐が清人に手を伸ばし、その腰を抱いた。 「俺は槐の恋人だから、槐を守りたい。紗月、一緒に槐を守ろう。俺と一緒に反魂儀呪に来い」  清人が紗月に向かって手を差し伸べた。  その目は虚ろで、最初に紗月を攻撃した前と同じに見えた。 (神紋をくれた時、ちょっとだけ自我がはっきりして見えたけど。槐が術の強弱を操っている? いや、言霊術はあくまで重ちゃんの術だ。術の対象者でしかない槐にそこまでの行使力はないはず)  だとすれば、この調節は枉津日神になる。  迎撃している最中の清人も、術が浅いように見えた。枉津日神が清人の自我を守るための術の強弱を調整しているのは確かだが。 (それにしては、槐に都合のいいように術が浅くなったり深くなったりしているように感じるな)  なかなか返事をしない紗月に業を煮やしたのか、槐が清人の手を引いた。  それだけで、清人はいとも簡単に槐に口付け、その肩を抱く。 (ああ、嫌だ。言霊術のせいだってわかってても胸糞悪い。全部、解呪されたら重ちゃんを殴ろう) 「そんな姿を見せられたら、苛々して素直にハイっていえない」  槐が自分の足の間に清人を座らせて、後ろから抱きかかえる。 「それもそうか。伊豆能売は神に準ずる高位の巫女だ。惟神の眷族になった程度じゃ命令に従う奴隷にはならないね。あくまで自分の意志で神を守る誇り高き巫女、それが伊豆能売だ」  紗月は、ぐっと息を飲んだ。 (コイツ、神紋がどの程度の拘束力を持つか試したな)  桜谷集落の五人組の一家・八張家の長男であれば、伊豆能売についても神紋についても知識はあるはずだ。  未知の部分を試しながら自分の知識を埋めている、そんな印象を受けた。 (霊力も呪力も封じられた状態で、私と梛木を前にしても、それができる度胸。ちょっと頭おかしいとしか思えん)  槐が清人の顎を撫でる。うっとりと目を細めた清人の顔が請うように上向く。ためらいなくキスをする槐に、紗月の苛々が止まらない。 (何回キスするワケ? 見せ付け過ぎだからな。あぁもう、苛々するな。それより、今やるべきは)  紗月はそっと腹の神紋に手を伸ばした。  触れる熱から、枉津日神の神力を感じる。  槐の腕に抱かれる清人が、ピクリと肩を跳ねさせた。 (反応するなよ、清人。枉津日神様だけが、気付いてくれたら、良いんだから) 「随分、御執心なようだけど、本気で清人を気に入っちゃった? 今回の件が終わったらポイ捨てするんだと思ってたけど」  紗月の問いかけに、槐が顔を上げた。 「本気でほしくなった。枉津日神の惟神でなくても欲しいね。紗月が十年も清人を放置した気がしれないよ」 「私には私の事情があるんだよ。お前には関係ないけど。反魂儀呪のリーダーが執心するほど、清人には価値があるんだ」 「反魂儀呪のリーダーだからじゃないよ。俺個人が清人を欲しいんだ。本当は紗月を殺して清人に俺を憎んでもらう予定だったのに。霊力を封じられたら流石に紗月には勝てそうにないし、取り込むしかないかなって思ってね」  紗月は、げんなりと肩を落とした。 「何それ、好きなんだよね? 憎まれたいの?」 「憎しみや恨みって感情は愛より強いし深いよ。そういう感情で清人には俺に縛られてほしかったんだよ。楽しみだったのになぁ」 「槐がメンヘラってのは、よくわかった」  なんだか馬鹿らしくなってきた。  そもそもが馬鹿らしさ前提でしている、どうでもいい会話だから仕方がないが。  神紋を通して枉津日神に紗月の真意を伝え終われば、会話はどうでもいい。 「でももう、憎まれなくてもいいかな。従順な清人も、ちょっと反抗的な清人も、俺を好きな清人は全部可愛いよ。真意を隠して俺に抱かれてる時すら、可愛い」  清人を抱き締めて頬を寄せる槐の仕草に、思わず目を止めた。  その手も抱く腕も、清人を本気で愛でるように優しい。 「自分を好きじゃなくなった清人も、可愛いって思う?」  声を落とした紗月の問いかけに、槐が笑んだ。 「可愛いよ。そういう清人のほうが俺はきっと好きだね。どうやって俺に堕ちてもらおうか考えると、ゾクゾクする。術が解けても清人はきっと、俺に縛られているはずだからね。嫌だと思いながら俺を求めてしまう清人、可愛いだろ」  愛おしそうに清人の顎を撫でる槐を、紗月は冷めた目で見ていた。 「そう。じゃぁ、私の一番のライバルは槐だね。けど、残念。清人は槐が思うような男じゃないよ」  紗月は両手に日本刀を霊現化した。   「あれ? 準備は終わった? 俺との無駄な会話で時間稼ぎはできたかな」 「無駄だと思ってたけど、私にとっては無駄でもなかったよ」    両手を振るい、二本の刀で空を斬る。 「清人は槐に縛られたりしない。けど、見捨てもしない。きっと何かあれば、アンタを助ける。清人はそういう奴だ」  槐が表情を変えた。無表情にも見えるが、不機嫌そうに見えなくもない。 「陽人が私に託した霊銃の意図、感じただろ。アイツは性格が悪いし素直じゃないから、槐がどう思うかは、わかんないけど。きっと、清人に似た感情だと思う」  槐は表情を変えない。  しかし、纏う気が逆立って感じられる。霊気は封じられているのに、感情が滲んで見える。隠す気がないのか、隠せないのかは、わからないが。   「私は、二人ほどお前に思うところはない。むしろ嫌いだ。けど、信じた人間二人がお前を助けたいと願うなら、この力はそのために使う。だから、受け取れ!」  刀を構えて走り出す。  同時に清人が槐を庇う結界を張った。 「何なんだよ、鬱陶しい」  楓が術を繰り出そうとするのを、槐が止めた。 「何もしなくていいよ、楓」 「でも、兄さんは今、霊力が使えないんだから」  槐が清人を見下ろした。楓の視線も清人に向く。 「愛する俺が傷つく姿なんか、清人は見たくないはずだからね。清人、もっともっと俺を愛して、大切に想っていいんだよ」  首筋を撫でられた清人が立ちあがり、紗月に向かって手を翳した。  空気砲が発動する。 (そうか、言葉か。重ちゃんの言霊術の文言を利用して、清人自身に術を深めさせている。枉津日神様が調整する前提で使ってるんだ。なんて厄介な)  清人が壊れるギリギリを攻めたやり方だと思った。  尤も槐にとっては壊れた清人も可愛いんだろう。 (違う意味で愛が深過ぎて気持ち悪い。けど、負ける気もしないけどな!)  刀を握った腕を十字に交えると、思い切り開き斬る。  清人の結界が砕けて粉々に消えた。  瞬間、刀を消して霊銃に持ち変える。清人と、後ろに座る槐に向けて撃ち込んだ。  霊弾は清人を貫通して槐の心窩に留まった。 「そんなつもりなかったけどね。これは私からのプレゼントだよ」 (本当は清人を撃って動きを封じるだけで良かったけど。槐に埋め込んだ桜ちゃんの霊弾の助けくらいには、なるだろ)  今日一番に驚いた顔をしている槐を眺めて、紗月は少しだけ満足した。  力なく座り込み倒れこんだ清人を槐が抱きかかえる。  その姿には嫉妬してしまうが。 (まさかだけど、槐は本気で清人に惚れたのかな。ムカつくけど誇らしい気持ちになるのは、何故だろう)

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