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第79話 穏やかな昼下がり
稜巳の封印解呪から四日が経った。
警察庁に戻った忍が何より先に手掛けたのは、陽人に霊銃を戻すことだった。
目を覚ました陽人に異常はなく、直桜と清人の神力を送りこまれて、むしろ前より元気なくらいだった。
眠っている間はずっと律が傍についていた。
その間も、律が神力を送り続けていたようだ。
看病明けの律は目の下に濃い隈を作っていた。
陽人が目を覚まし、身体に異常がないことが確認できた時点で、紗月、優士、陽人の三人は忍の部屋に連行された。
紗月と優士から離れない稜巳も一緒についていった。
それから一日以上が過ぎているが三人、いや四人はまだ帰ってこない。
「何となくさ、陽人が正座して忍に説教されている姿は、見てみたかったな」
コーヒーカップを揺らしながら、直桜はぼんやりと想像する。
地下十三階の部屋で、直桜と護、清人の三人は昼食の準備をしていた。
「私は見たくありません。気まずさで胃が痛くなります」
胃の辺りを抑えて、護が苦い顔をする。
「俺もあんまり見たくねぇなぁ。主に護と同じ理由で」
昼食の炒飯を運びながら、清人もまた苦い顔をした。
「清人って、いつから陽人と知り合いなの?」
そういえば、詳しい話を聞いたことがないと思った。
コーヒーを並べ、三人分のスープを準備しながら、問う。
「いつって、物心ついた時には知ってたよ。一応、藤埜家は桜谷家と繋がりが深いからねぇ」
藤埜家の追放は便宜上の、関東に拠点を作るための移動に過ぎない。
(便宜を図る必要が、その頃からあったって訳か)
桜谷家と八張家に存在するであろう集落の裏切者は、直桜が思っているより根が深いのかもしれない。
「そんなに歳は違わねぇけど、子供ながらにぼんやりと、将来この人の下で働くんだろうなぁって思ってた。別に強要されたわけでもねぇけどな」
椅子に腰かけて、手を合わせると三人揃って「いただきます」をする。
そういう子供の頃に躾けられた癖は、清人と直桜は似ている。
今日の昼食は清人が作ってくれた。何のかんのと、清人も料理がうまい。
「だから重田さんに、陽人さんの犬とか言われんだろうけどな」
清人が自嘲気味に吐き捨てた。
「え? もしかして重田さんの言霊術って、そこから?」
「まぁ、そんな感じよ。話の流れに違和感なかったけど、恋愛感情を操って下僕にする言霊を仕掛けるのは、槐の指示だったっぽいけどな」
あの時、優士は「抜いた相手を好きになって犬になる」ような話をしていた。
(なんで犬なんだろうと思ってたけど、忠実な下僕、みたいな意味合いだったのか)
清人が残した煙草で見た残影術を思い返す。
あの時の槐の清人を見詰める目は、何となく本気に見えなくもなかった。
(あの槐が、他人に本気になったりするかな。そういう演技をしてただけ、とか? そもそも槐は護に執着してるし。でも)
ちらりと清人を窺う。
戻ってきた清人は、言霊術が解けたせいか、すっきりして見える。
「清人が戻ってきてくれて、良かったよ」
ポロリと本音が漏れた。
「ん? そりゃ、術が解ければ戻ってくんだろ。槐も最初からそのつもりだったっぽいぞ」
炒飯を頬張る手が、思わず止まった。
「そうなの? 槐は清人を欲しがっていたし、手放さないかと思ったんだけど」
禍津日神の儀式の時の槐と楓の会話から考えたら、手に入れた清人を易々と手放すとは思えない。
「多分だけど、枉津日神の惟神が欲しいタイミングが今じゃねぇんだろ。今回は俺を懐柔したかったみたいよ。俺の方から残るって言って欲しかったのかもなぁ」
事も無げに話しながら、清人が炒飯を頬張る。
「そんなこと、絶対にありえません。人懐っこそうで人の中身を冷静に観察している清人さんが簡単に懐柔されるはずがありません」
護が眉間に皺を寄せて炒飯を食べている。
そんな護を、清人がじっとりした目で眺めた。
「言霊術で槐の恋人になってたくらいだから、すっかり懐柔されてたよ。てか、何気に俺に失礼な発言だな、今のは」
「それは術のせいであって、今は何とも思っていませんよね。アレの何処に好く要素がありますか?」
「お前、本当に槐が嫌いだねぇ」
清人が、呆れたような感心するような顔をする。
護が眉間の皺を深くした。
「嫌いです。思い出すのも胸糞悪い。話し方も表情も仕草も総て、気分が悪いです。出来ることなら直桜にも清人さんにも、二度と関わらせたくないです」
本当に嫌いなんだなと、改めて実感する。
そこまで嫌いだと、かえってメンヘラの槐の術中にハマっているように思う。
「俺は正直、護ほど嫌いではねぇかな」
護が持っていたスプーンを落とした。
「言霊術のせいでいよね。術のせいで感情がバグっていただけでしょ」
前のめりになる護から、清人が仰け反って身を引いた。
「それは、そうだけど。術を解呪しても、あん時に見たことや話したことは覚えてる。槐も楓も、言うほど嫌な奴じゃなかったよ。悪い奴では、あるだろうけどな」
信じられないモノを見るような目をする護から逃げて、清人がスープを啜る。
「楓も?」
直桜の問いかけに、清人の目が直桜に向いた。
「巫子様は大きな儀式をする時の贄なんだってよ。もしかしたら楓は、好んで反魂儀呪にいるワケじゃねぇのかもな。信用できる人が槐しかいないとも言っていたし」
「そうなんだ……」
直桜の顔がスープに映る。
我ながら同情的な顔をしていると思った。
「あの兄弟の場合、会話の総てが本音とは限りませんよ。相手の同情を誘って追い込むのは只の手段でしかない」
護の判断は正しい。
実際にその手のやり方で槐にも楓にも、これまでやり込められてきた。
(でも、あの時の楓の表情と、あの言葉は。どういう気持ち、だったんだろう)
仲間が助けに来たはずの状況で「俺を殺しに来てね」と言い残した楓が、ずっと気になっていた。
(好きな相手を殺したい楓は、好きな相手に殺されたいとか、思うのかな)
護の手が、スープカップを握る直桜の手を掴んだ。
「直桜、今、何を考えていますか?」
護の目が怒っているように見えて、まずいと思った。
直桜の考えは、きっと表情に現れている。護相手に誤魔化しても意味がない。
「ごめん、ちょっと同情的になってた。でも、大丈夫だよ。俺の気持ちはこれからも多分、変わらないから」
護が守ってくれた、許すということ。
槐と楓と向き合って、本音を聞かなければ始まらない。その為に、反魂儀呪を解体したい。それが直桜の本音だ。
(槐はきっと、俺の感情を煽って自分の思惑通りに操りたいんだろうけど、そうはならない。なってやらない。八張の暴走は、俺が止める)
槐のやり口は気に入らないし、正直に嫌いだ。だが、集落にいた頃の槐を直桜は覚えている。
(陽人もきっと同じはずなんだ。陽人の方が、俺より気持ちはずっと強いはずだ)
自分の総てを込めた霊銃を紗月に託した陽人の想いを考えると、自分の想いも間違っていないと思える。
「直桜と清人さんが揃って懐柔されたら、私はどうしたらいいかわかりません」
大きな溜息を吐く護を前に、清人と直桜は揃って苦笑いした。
「懐柔というか、向き合いたいと思う気持ちは変わらないけど、槐がしてきた罪を許す気はないよ。槐のやり方は俺も嫌いだよ」
「そうねぇ、俺も反社として犯してきた罪を許してやるつもりはねぇよ。ただ、アイツ等を見捨てる気もねぇってだけ」
清人と直桜を見比べて、護が諦めた顔で困った笑みを浮かべた。
「ウチの神様二人はお人好しで困ります。そんな二人だからこそ守りたいと、思うんですけどね」
スープを飲んでいた清人が吹いた。
「だったら、せめて眷族は厳しい見解をしないといけません。私や紗月さんは厳しめでいかないと。話し合いをしておかなければいけませんね」
稜巳の封印の解呪の時、清人が紗月に神紋を与えた話は聞いていた。
その日のうちに神紋を定着させたのも、何となく知っている。
直桜と護と同じように、一生消えない繋がりが清人と紗月にもできた。
「紗月ねぇ」
ぼんやりと、清人が空を眺める。
「多分、護と同じだろうな。槐に嫌いだって直接言ってたから」
護の表情が明るくなった。同志を得て嬉しいんだろう。
「清人と紗月は正式なバディ契約しないの?」
紗月が正式に13課の所属になれば、きっと清人をバディに指名する。
清人も、そのつもりでいるはずだ。
「まぁ、そのうちに、な」
清人が目を逸らした。耳が赤い。
もしかしたらもう、二人の間では決まっているのかもしれない。
「やっぱり清人と紗月は運命的な二人だったね」
清人が、今度は飲んでいたコーヒーを吹いた。
「運命的かは、わかんねぇけど。こんな風に落ち着けたのは、お前らのお陰だと思ってるよ。だから、その、ありがとな」
目を逸らしたまま、清人がぼそぼそと話す。
直桜と護は顔を合わせた。互いに自然と笑みが零れた。
「本当に良かったです。私はお二人を、ずっと見てきましたから」
護の顔をちらりと覗いて、清人が顔を赤らめた。
きっと護は直桜が知らない清人と紗月をたくさん見てきたんだろう。嬉しい思いは直桜以上に強いはずだ。
「幸せなトコ悪いんだけど、清人に手伝ってほしい仕事があるんだよね。まだ解決してない、一番大変な仕事なんだけど」
清人が緩んだ表情を引き締めた。
「流離と修吾さんか。久我山あやめを、どうにかしねぇといけねぇよな」
事件が色々重なって遅くなってしまったが、瑠璃と修吾の状態も、長く放置できるものではない。
「惟神を殺す毒は私と清人さんでどうにかするとして、久我山あやめを封じる器が見つかっていませんね」
護が難しい顔をする。
「それなんだけどさ、封印に拘る必要もないって考えてるんだ」
直桜の言葉に護と清人が視線を向けた。
「忍に相談しながらになるけど、試してみたい術がある。護と清人と、紗月にも手伝ってほしいんだ。だから早く、お説教が終わってほしいんだよね」
ちょっと困った気持ちになって、直桜は一口、コーヒーを含んだ。
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