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草野の能力

 それからアルフォードは草野と面会する際は決して二人きりにならないようにした。同席していた者が場を離れようとした際には、自身も席を外して部下を呼びつけるという徹底ぶりだ。  このように無事純潔を守りながら仕事をして、戦時中の草野に関する情報は順調に集まっていた。  当時の状況はわかった、後は草野の判断能力と倫理観を確かめよう。アルフォードはそう考えた。  情報整理の次に行うのは、草野自身の観察だ。アルフォードは草野と行動を共にして、彼のことを測ることにした。  草野のような軍の責任者が収容されている施設でも、素行が良ければ週に一回外出することが出来た。社会的な影響力の大きい収容者が外出する際には、騒ぎになったり、ましてや暗殺されるなんてことがないように姿を隠すことも多いが、草野の場合は人当たりが良くて人望も厚く、認知度も全ての国民に覚えられているというほどでもないため、特に隠すことなく外出することが出来た。アルフォードとしても人の目のあるところで行動出来るのは助かる。 「外出なんて久しぶりですね。許可は出ていましたが、収容されて以来敷地外に出たことはありませんでした」  草野は久しぶりの外出に大層喜ぶでもなく、外の景色をしみじみと眺めていた。草野の青白い肌が日差しに照らされて、姿形が光に溶け入るかのようだった。 「さてどこに行きましょうか?」 「久しぶりなんだろう。行きたいところはないのか」 「ええ。あなたの行きたいところが私の行くべきところです」  草野がアルフォードを覗き込むように上目で見てきた。思いがけない答えにアルフォードは、厄介で気味が悪いと感じた。  しかし自分で行き先を決めていいなら都合がいい。アルフォードは喉が渇いていたため喫茶店に向かうことにした。  草野を従えるようにして喫茶店に入る。アルフォードが大人しく控えていろ(そうしろ)と命じたのでもなく、草野が勝手に慎ましくしているのだ。  席についてすぐ、アルフォードは店員にアイスコーヒーを注文する。そしてアルフォードは草野に何か頼むものはないか聞く。お構いなく、という思った通りの答えが帰ってきて、アルフォードはふと、性欲の強い者は食欲も人並み以上だという与太話を思い出す。その理屈で行けば、性欲は食で置き換えることが出来る。 「この人に、この店で一番腹持ちがいい食べ物を。デザートもつけてくれ」 「かしこまりました」 「そうなさるんですね、アルフォードさん……! では私にも同じコーヒーを一つ」  そう来たか。恐るべき一手を使われてアルフォードは驚いたが、すぐに佇まいを正して平静を取り戻す。  コーヒーはすぐに届き、アルフォードは喉へ素早く届けるように飲み込む。今日の目的は草野の観察だが、自分から草野に話しかける気は起きなかった。言葉を投げかけたらどんな気味の悪い答えが返ってくるかわからないからだ。  草野の食事が届くまで、二人は無言のままでいた。  しばらくしてテーブルに届いたのは、オムレツと何かのフライと味をつけて炒めたライスが同じ皿に集っているものだった。草野は代金は自分が出すと言うかもしれないが、アルフォードとしてはこれで草野の狂気が鎮まるなら高くない出費だった。 「こんな豪勢な物をいただいていいのですか……!?」  施設では階級に応じた食事が用意されていると説明されているが、風説では黒パンだの薄いスープだのつまらない缶詰だのを出されているという収容者には驚くべき内容だろう。 「いただきます」  草野は巫洋式の食事の挨拶をして、フォークを手に取った。粗末な食事で空腹なのか、食べ物が速やかに消えていく。アルフォードは皿の上の食べ物が減っていく様子ばかり眺めていたが、三分の一が消えたあたりで、草野の所作に目が行った。  フォークを持つ手は肘を張らずに柔らかく収め、その姿は非常に馴染んだものだった。ほとんど音を立てずに、手と口だけが動く様子は見ていて不思議な気分になる。  アルフォードはテーブルマナーをよく理解しているという訳ではない。しかし普遍的な品の良さを感じた。 「誰かからテーブルマナーを教わっていたのか?」  草野はアルフォードの質問に気を留めて手を止める。 「はい。ある程度の階級になればテーブルマナーは学びますし、私の場合は幼少期にも家庭で学ぶ機会がありました」  幼少期から実家でと聞くと、生まれ育った環境の違いを感じさせられる。アルフォードは至って普通の家に生まれ、せいぜい食べるのに困らず変に零さない程度の持ち方くらいしか学んでいない。男たるもの強くなれ、とは何度も聞かされてきたが。  生まれ育ちの違いというのは、アルフォードにとって蹴り払うものだ。これまでそれがなんだと虚仮にして来た。しかしここまでの差異を見ると、蹴り払うことも出来ず、素直に感心するしかなかった。草野の仕草から見て取れる育ちの違いは他人を蔑むためのものではなく、ただひたすら洗練されている、自分とは別の流れに存在するものだった。  アルフォードが様子を眺めた末に草野が全て食べ終わると、店員が皿を取り下げて、食後のデザートを持ってくる。さっき食べた量を考慮してか、机に置かれたのは小さなサンデーだった。 「私、こんなに幸せでいいのでしょうか……!」  感激する草野にアルフォードは、 「構わん、さっさと食べ始めろ」  と突き放した。アルフォードは、せいぜい味わっておけ、俺の決定次第で貴様は処刑されるかもしれないのだからな、と心の内で冷たい現実を引き出していた。  アイスをスプーンですくう姿も、例に漏れず美しいものだった。  食後、ここでの会計はやはりアルフォードが済ませた。草野は、お金は持たされていますから私が出しますのにと行ったが、収容者の身分で身銭を切らせる訳にはいかない、とアルファードは断じる。ここで金を使わさなくても、どうせこいつの私財は没収されるという思いもあった。  喫茶店を出た後は、草野に聞いても仕方ないため、二人で何を話すでもなく街を歩く。比較的立ち直りの早いこの街は、外国人向けの店や戦後の間に合わせの店などが混在し、今風で瓦礫も少なく整えられているが、雑多なところは否定出来ない。  酒場、レストラン、金物屋と来て、アルフォードはある程度の時間滞在できてなおかつ人目につく場所を探していた。すると白ペンキの壁に共和国の言語が書き付けられた建物が目に入る。店の入口に回って見ると、それは共和国民が集う射撃場だった。  アルフォードは、ほう……と見入って手をぶらつかせ、たちまち腕を鳴らしたい気分になった。  敵国の元軍人に銃を持たせるなど何事だと思われそうだが、共和国の軍人たるアルフォードが許可し、その監督の下で持つなら問題はないだろう。それにここなら襲ってきても反撃出来るし、襲ってきた元帝国軍人を撃ったところで罪には問われない。  アルフォードは、草野と腕比べをし、戦闘での草野の価値観を知りたかった。  アルフォードは射撃場の入口をまたぎ、代金と引き換えに銃を受け取った。アルフォードの射撃はやはり手慣れたもので、その射撃場の中でも腕は一つ抜けていた。 「銃からは少しばかり離れていたが、このくらいは出来るか」  アルフォードは撃ち切ってから崩れた髪を振り払った。 「貴様もどうだ? 当然訓練はしていたんだろう」  アルフォードが後ろで見ていた草野に振り向いて言うと、 「ええ……ですが私がそれを持ってもいいのでしょうか? 私は敵兵ですよ」  草野は困惑した様子で胸元の手を硬直させ、退いた。 「俺が見ているんだから構わん。もしも貴様があたりに銃を撃ち放そうとしても俺がいるなら止められる」  アルフォードが草野の目を見つめて尊大に言う。 「そういうことでしたら」  草野の顔は平常に戻り、銃を受け取って、先程アルフォードがいた場所に構える。  姿勢は良く、たとえ当たらなくても手本にしたくなるような風貌だった。  草野が引き金を引くと、初弾から的の中心部へ入った。それから次々と発砲し、弾の数々は集束するようにじりじりと心に迫る。  結果として、命中率は周囲の者やアルフォードと比べて五から十%ほど上回っていた。 「お粗末さまでした。あ、場所をお貸しくださりありがとうございます」  草野はなんてことないように微笑んで振り向いた。  アルフォードは驚愕し、冷静に言葉をかけることが出来なくなった。 「これはなんだ……貴様、まさか収容所でも撃っていたんじゃないだろうな!?」 「とんでもない! 銃の類いは没収されていますよ。隠し持つことなく正直に差し出しました」 「どんな気持ちで引き金を引いた!? 機械のように無心で、あるいは誰かを恨んで……」  アルフォードは食い気味に、言葉が堰を切ったように飛び出す。  草野はそうですね……と口を開いてから、 「たとえ人より腕が劣っても、いつかあなたの心だけは撃ち抜くと考えていました」  草野は甘い声でアルフォードの胸に寄りかかり、顔と手を沿わせた。アルフォードは、出会ってからの経緯を全て聞かせれば草野を撃っても正当防衛になるのでは、と思うほどの恐怖を覚えた。

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