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草野が背負うもの

 あの後アルフォードは射撃場から逃げるように出た。それから草野との接触を断ち、書類仕事に邁進した。  何日も経ち、とうとう草野の処遇を決める日が迫る。後は草野の実家に行って接収する家財などを確認しなければならないが、その頃には仕事として草野のことを調べ尽くす心算が出来ていた。  草野の実家に行く日、収容所から出て来る草野と合流して、電車を利用しながら二人で向かった。電車には出稼ぎや買い出しに行く人が多く乗っており、二人きりになる心配はなかった。車中でも草野が変なことを言ってくることはなく、庶民的かつ平穏に過ごせた。  草野の実家の最寄駅は、派手な繁華街や政治の中心地からは少し外れているが、政界の要人が住むような堅実で静謐な街だった。駅付近の人の流れも落ち着いており、駅員に切符を渡すと二人は何も言わずに歩き出す。アルフォードは一応、草野の実家の住所を頭に入れているが、いつもとは違い草野を先頭にして後を着いていくように歩いていた。  今日は口数少ないが、そういえば草野の言葉は驚くほど流暢だ、と感じたアルフォードは、ミッチェル共和国の言葉をどのように勉強したのか聞いた。 「勉強方法ですか。幼少から外国人の家庭教師に学び、士官学校でも学び、ああ自習では本を暗記させられました」  草野は遠い目をして思い出しながら、物語の序盤らしき一文を空で言い出した。アルフォードも読んだことのある名作で、草野がつらつらと語り出すのを聞いていた。 「まさか暗記したのを全て話すつもりか」 「いえ、全てという訳では。久しぶりですからところどころ抜けがありますし……やはり私の記憶というのは頼りになりませんね」  アルフォードも、何度も読んだ母国語の物語とはいえ、百ページ近い文章を一言一句間違わずに覚えている自信はなく、完璧に暗記しているのかは確かめようがないが、流れてくる草野の声には覚えのある話を再現されているような気分になった。  暗唱に飽きた草野は、 「この辺りは何もないでしょう。住む分には困らないのですが、遊ぶとなると不自由です。どのみち私に遊ぶ余裕なんてなかったのですが」  街について自嘲気味に言った。草野は裕福な家庭に育ち、成人してからも軍の大佐となった。遊ぶ余裕がないなんてことがあるのか。男たるもの多少の遊びは人脈を構築するのに重要だ。アルフォードはその点が引っかかった。  空襲の的となるような軍の基地や工場と隣接していないからか、この辺りは生き残っている家も多い。アルフォードが普段見ている街と比べて大きな民家が多く、屋根や外壁も手入れの行き届いた巫洋の建築が見える。家の外には樹木が植えられ、深みのある色の塗装がされた木材や塗り壁の塀に守られていた。  歩いていると草野の家に到着し、ここが私の家です、と草野が右手で指し示す。周辺の家々の例に漏れず、草野の家も大きいものだった。立派な巫洋の建築で、塀の彫りや重厚な木の門などが目に入る。家は塀に姿を隠し、重そうな瓦屋根を被って、この土地にどっしりと座していた。  アルフォードは共和国風の、木造二階建てで上背のある、板材を横向きに敷き詰めた外壁の、暖かみと思い入れのある生家を思い出し、こんな緊張感のある家には住めないなと足を強張らせた。  アルフォードは草野の案内に従い、広々とした玄関に通される。真紅の絨毯や横に置かれた置き物など、中は意外と外国を意識していた。  草野の他には、居た堪れない顔の使用人らしき女がいた。 「この家には今誰がいるんだ?」 「使用人を除いて、家の者は私だけですよ。母は静養に、父は仕事で家を離れています」  家の者が他にいれば渋られたり水を差される可能性があった。アルフォードとしては好都合だったが、異様なほどお膳立てされていた。 「土足でも構いませんよ。外国の方を招く時のために敷物を用意していますから」  草野にそう言われて、床に張り巡らされた敷物が見て取れる。アルフォードは靴を脱ぐのも仕方ないと考えていたのだが、ここまでされては土足で上がる他ない。  アルフォードは草野と共にそのまま床に上がり、まずは客間に向かった。そして草野からいくつかの家財の説明を受けながら、接収、接収と内心で目星をつけていた。  草野の家は、罪を贖うのに良さそうな、価値ある物が揃っていた。  今全てを把握する必要はない。目ぼしい物をあらかた見ておいて、いざ持ち出す時に揃っているか確認するための工程である。巫洋帝国の占領において、家宝、とくに刀の類は接収を免れようとすることが多い。共和国の者は家に何があるか把握し、それらを逃すことのないよう心がけていた。  客間の物をあらかた見終わったら、次は草野の自室に入る。数々の置き物と、おびただしい数の本が棚に収まっている。狭くはない部屋のはずだが、アルファードは本の数を認識した途端圧迫感を感じた。  ここでも物の説明が始まる。父が買った物、遠征先から持ち帰った物など、客間よりは格が落ちるが個性豊かな物だった。そして草野は机の引き出しに手をかける。 「士官学校の成績表、ですね……」  草野は一枚の紙を取り出し面前に広げる。一番上に置かれていたのは、草野の士官学校時代の成績表だった。  アルフォードが、見せてみろ、と横から覗き込むと、欄内には高い評価が並んでいた。アルフォードたちは敵を知るために、巫洋帝国の高名な軍人の成績表(スペック)を頭に入れており、この成績表の見方もわかっている。元帥や大将クラスまでは及ばないものの、優秀で先の見通しの立つ成績だった。特に射撃は非常に優秀で、射撃場での一幕も頷ける。 「お恥ずかしい……」  眉を寄せて紙を畳もうとする草野に、アルフォードはどこが恥ずかしいんだと言ってしまう。 「水準に達していないからです」  草野の言う水準とは一体何なのか。もしかすると最高クラスを目指しての基準なのかもしれないが、戦時中なら上げた戦果によって出世が見込めるため、これくらいあれば困難であろうとも活躍次第でその階級を得る可能性もある。アルファードからすれば、そう悲観するものには見えない。 「ほら、こことか甲じゃありません。最高評価ではないんですよ。この欄も、もっと良い評価が書かれていなければ……」 「貴様は元帥でも目指していたのか? 貴様の言う水準とはなんなんだ」 「親族が私に要求していた水準です」  俯いた草野の重い声が、真っ向から聞いたアルファードに跳ね返って来る。 「代々軍の有力者を輩出してきた草野家の本家にやっと生まれた初子、長男、それが私でした。少々小さく生まれましたが、親族は小さいながらも立派な顔をしていると、様々な期待をしていました。伊藤さんとこみたいに異例の速さで大将にならなくてもいいから、最低でも少将、頑張って大将、席次は主席でなくていいから十番以内に入ってほしい。親族は私のその水準まで育てるために、多くの投資をしました。様々な家庭教師を雇い、多くの時間を勉強に費やし、私は世間一般では優秀と言われるようになりました。そこで学業に入れ込んだら武力が足りない、基礎的なことはやっているがもっと技が必要だ、と次から次へと習い事をつぎ込まれました。士官学校に入って成績が明らかになると、お前はもっとやれるはずだ、我が国を列強に勝たせるためにはお前の力が必要だ、と変わらず要求し続けました。それに答えるため私なりに努力はしていましたが、とうとう弱い体が持たなくなって倒れ込んでしまいました。それからはお前の小さな体には無理があったか、と要求する水準は下げられました。そうなって、確かに体は楽になりましたが、自分の器を目の当たりにして、突き抜けたところのない、生まれながらの二三番手という感じは否めなくなりました。親族の思いに沿えなかったことやお国への貢献が足りないことは非常に心苦しかったです。ですが士官学校卒業後、分家に私より優秀そうな兄弟が生まれてからは、興味がそちらに移り、私は宙ぶらりんで自由に生きることが出来ました」  草野は虚ろな目で己の生い立ちを語り、自嘲気味に成績表を振り回した。  草野の能力は苦手なところが少なく、全体的に平均またはそれ以上、射撃においては特に優秀で、悪い言い方ではこじんまりとしているが、非常に良くまとまっていた。年齢を含めて考えると軍での立場は安定性のある中堅どころ、それにもなれない者が見えないところに沢山いるのだ。  当初アルフォードは、巫洋の者は我々より体格が小さく、草野のこともどんな小男が来るのかと思っていた。しかし草野は士官学校出の軍人として見てもそれほど小さくはなく、巫洋国民全体で見れば中の少し上といったところだった。  度々出る草野の謙遜は、親族の化け物のような期待の産物だった。  今のことで、アルフォードは草野のことをよく理解した。自分が持つ、男たるもの能力の許す限り上を目指す、などという規範意識など生温く感じるほどの重圧を見た。  これ以上棚の中身は見なかった。二人して部屋の出口に足を向け、アルフォードがため息をついて家の中を見回し、黒い箱状の物に目を向けると、草野は何も言わずにそこから酒を取り出した。  客間で未開栓の酒瓶の栓を抜き、二人で酒を飲む。酒を飲めば体が熱くなり、アルフォードの元帝国軍人に向ける敵意は削げ落ち、顔を赤くした草野が哀いらしく思えた。 「飲み過ぎたな。今日はここで休んでもいいか?」  アルフォードがどこで休もうと勝手だが、草野は使用人だけ残して元敵兵を家に置いておく訳にもいかないし、かと言って収容所に帰らない訳にもいかない。しかしアルフォードがいる今そんなことはどうでも良い。  二人はまた草野の自室に戻った。

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