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第3話
アルスカが睡魔の中でぼんやりと考え事をしていると、部屋にノックの音が響いた。
「フェクス、キタ」
東方系の顔立ちの男がたどたどしく、そう告げた。彼はみすぼらしい服を着て、右手に箒を持っている。アルスカは彼に礼を言って宿の入口へ向かった。
宿の薄汚れた扉の脇に、フェクスは立っていた。アルスカはその顔を見て、苦笑いをした。
その昔、学友の間で美少年と名高かったフェクスであるが、十数年の月日で丸い頬が削げ、指が節くれ立って、目じりには皺ができていた。この国でありきたりな赤毛の髪には白いものが混ざり、碧眼までもがくすんでしまったように感じさせる。
それでもフェクスがこちらにくしゃっとした笑顔を向けると、青年のときを共に過ごした鮮やかな記憶が一気に蘇り、アルスカは懐かしさで胸がいっぱいになった。
「長旅だったでしょう。疲れていませんか」
フェクスは丁寧な言葉を使った。それでアルスカも思わず他人行儀に返した。
「もう十分休みました」
「いつ着いたのですか?」
「3日ほど前でしょうか」
「早かったんですね。葉書には春祭りの後と書いてありましたが……念のため寄ってよかったです」
しばらく当たり障りのない会話をした後、フェクスは気楽に笑ってアルスカの背を叩いた。
「歳をとったな、お互い」
それを合図として、彼らは青年のころに戻ったように笑いあった。
「相変わらずお前の発音は完璧だな。この国に来るのは久しぶりじゃないのか」
フェクスに尋ねられて、アルスカは大学を卒業してからの年数を指折り数えた。
「14年ぶりかな」
「それはすごい。ふつう、言語ってのは使わないと忘れるらしいが、お前は前よりうまくなってる」
「ありがとう。少し前まで通訳の仕事をしていて、話す機会があったおかげかな」
「それはいい商売だ。こんなご時世だ。さぞ儲かっただろう」
遠慮のない物言いをする友人に、アルスカは苦笑した。
「まぁ、明日のパンに困らないくらいさ」
「もったいないな。お前がこっちの国の生まれならもっと稼げるのに」
歳をとると円滑な人間関係構築のためのいくつかの技術を自然と身に着けられると思っていたが、そうでもない場合もあるようだ。アルスカは青年時代となんら変わらない奔放な男に安堵を覚えた。
変わってしまった街で、変わらない友人がまぶしかった。
このフェクスという男はかつて大学で政治を学んでいた。若いころのフェクスは野心家の片鱗を見せていたが、その失言の多さから敵が多く、学生時代に大きな実績を残せなかった。
しかし、アルスカたち留学生にも平等に接し、文化を学びたがるような節もあったため、決して政治家に向いていないわけではないとアルスカは思っていた。むしろ、フェクスのような男が失言癖を治して政治家になってくれれば、きっといい未来があると思ったくらいだ。
アルスカは尋ねた。
「フェクスはここで何の仕事を?」
「軍の仕事を手伝って食いつないでる」
その言葉に羞恥が含まれていることにアルスカは気が付いた。
大学時代、2人の青年は壮大な夢を語ったものであった。フェクスは政治家になると息まいていた。それが14年後、ただ日銭を稼ぐだけのくたびれた壮年になってしまったのだ。
アルスカも自身の堕落をよく知っているだけに、フェクスの羞恥が痛いほどわかった。かつて、アルスカも故郷とこの国の懸け橋になると目を輝かせたが、ついに外交の仕事には就けなかった。いつかそのうちもう一度外交の仕事を探そうと思っているうちに、戦火によって故郷を失い、夢は夢のまま終わった。
しかし、アルスカはその羞恥に気づかないふりをした。彼は円滑な人間関係の構築を学んでいたのだ。
「へぇ、いい仕事じゃないか」
フェクスは肩をすくめた。
「いいもんか。手の付けられない連中のお守りだ。ところで、なぜこんな街に? 何も面白くない街なのに」
「実は、仕事を探しているんだ。軍で通訳を探していないか?」
「なんでまた」
「家を飛び出してきたんだ。いま、少しの金と、数着の服しか持ってない」
「はあ?」
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