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第7話
アルスカが仕事に慣れたころ、事件が起こった。
その日、アルスカが何枚かの書類を翻訳していると、翻訳事務官が扉からひょこりと顔を出した。
「アルスカ、ちょっといいか」
呼び出されてついていくと、上官は廊下で窓の外を指さした。そして困り眉でこう言った。
「お前に会いたいって人が来てるぞ。あそこに立ってる奴だ。知り合いか?」
アルスカは指の先を見て、顔をしかめた。しかし、相手が上官であるので、すぐに平静を装った。
「……まぁ、知らないこともないですがね」
「会ってきたらどうだ? お前、ちょっと根を詰め過ぎだ」
アルスカは嫌々ながら外に出て、その男に声を掛けた。
「なんでここに?」
アルスカの質問に、男は応えない。
「アルスカ、俺が悪かった」
そこに立っていたのは、もう二度と会うことがないと信じていたケランであった。
アルスカは首を振った。この悪夢が早く終わってほしいと思った。
「怒ってない。もう忘れた。帰ってくれ」
「話を聞いてくれ」
「聞きたくない。それが用件なら、もう帰ってくれ。私は怒ってないし、もう気にしてない。二度とここに来ないでくれ」
ケランはなおも食い下がる。
「誤解なんだ」
アルスカは急に腹立たしい気持ちになった。彼はこれまで悲しむばかりであったが、ここにきて忘れていた怒りがこみ上げ、止めることができなくなった。
「そうであることを願って、何回も確認して! 調べたんだ! 結果はこれだ! もういいだろう!?」
つられて、ケランも声を荒らげる。
「こんな終わりでいいのか!? ちゃんと話そう! 俺たちは14年も一緒にいたんだぞ!?」
「14年もだまされてたんだ! あなたがそんな人間だなんて気が付かなかった!」
「だましてない!!」
2人は大声で怒鳴り合った。
もっと前、それこそ、アルスカの心が冷めてしまうより前にこうして喧嘩をしたならば、もしかしたら違う未来があったかもしれない。アルスカが泣いて、ケランがその涙をぬぐってくれたなら、またはじめからやり直すという選択肢をとったかもしれない。しかし、現実はそうならなかった。
アルスカはひとりでケランの裏切りを抱え込み、心が擦り切れてしまったのだ。裏切りを裏切りとして責め立てることができない関係しか築いてこなかったのは、アルスカにも責任がある。
だからこそ、傷つけ合わずに終わる道を選んだのだ。
2人は一通り大声を出したあと、肩で息をした。少しだけ頭が冷えた。
アルスカはいつの間にか流れていた涙を袖でぬぐった。
「あの相手の男はどうしたんだ?」
「別れた。遊びだったんだ」
「信じられない」
2人はどこまでも平行線だ。
ケランは弱った声で尋ねた。
「どうするつもりなんだ? この国はお前も知ってる通り、東方の異邦人には厳しいところだ。こんなところで生活できるのか?」
アルスカは強く言い切った。
「どこの国でも、私は異邦人だ」
故郷が焼け落ちてから、どこへ行ってもアルスカは異邦人だ。そして異邦人だからと見くびられるのにも、慣れてしまった。そんなことよりも、今はケランに侮られる方が耐えがたい。
「でも……」
なおも言い募ろうとするケランに、アルスカは言い捨てた。
「もう放っておいてくれ。私たちは終わった」
ケランは肩を落として帰っていった。
アルスカはなぜここがばれたのかと首を捻ったが、よく考えてみると、ここしかないことを思い出した。
アルスカの故郷はいまだに戦火がくすぶり、とてもではないが帰れない。そしてガラで私の知り合いは皆ケランの知り合いでもある。ケランはその知り合いに連絡をとり、アルスカがガラにいないことに気が付いたのだ。
そうなると、次にアルスカが行く国といえば、メルカしかない。
アルスカはため息をついた。それから頬を一度叩くと、彼は仕事に戻った。
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