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第9話

 それから、フェクスは街の大きな病院に運ばれた。彼は腹部をナイフで刺され、大量に出血していた。  医者が手を尽くした甲斐あって、彼は一命は取り留めたものの、昏睡状態が続いた。  アルスカはフェクスの傍を離れなかった。  気のいい上官はアルスカに長期休暇を許した。  アルスカは後悔していた。すべてはケランの不義から始まったことではあるが、アルスカは向き合うことから逃げた。これはアルスカの不義だ。ケランを壊してしまったのはほかでもない、アルスカなのだ。アルスカとケランはお互いに不義に不義を重ね、積もった澱がフェクスを襲った。  フェクスにとっては災難な話だ。  戦争で金も物資も食料も足りないというときに、異邦人が家に転がりこんで来ただけでなく、さらにその異邦人の元恋人に刺された。  どれほど謝罪をしても足りない。アルスカはフェクスの体を見つめて頭を掻きむしった。  アルスカは懸命に介抱した。ひと匙、水のような粥をすくってフェクスの唇に当てる。根気のいる重病人の看病を、彼は弱音ひとつ吐かずにやりつづけた。  そうして10日ほど経ったとき、フェクスの指がぴくりと動いた。アルスカはそれを見逃さず、フェクスに向かって呼びかけた。 「フェクス」  彼の声に応えるように、フェクスのまぶたがゆっくりと開いた。それを見て、アルスカの口からはまっさきに責める言葉が出た。 「無茶を……なんで……」  アルスカの声は途切れ途切れではあるが、フェクスは言わんとするところを理解した。  それから数日後、フェクスは起き上がれるほどに回復した。そこに至って、ようやくフェクスはアルスカの言葉に反論した。 「守って、悪いか。……好きなんだ、お前のことが」  アルスカは泣きたくなった。恋や愛を捨ててやって来たこの国で、愛を囁かれるとは思わなかった。 「気の迷いだな」  アルスカの言葉に、フェクスは笑った。 「そうだな。14年間会わなくても消えないくらい、強烈な気の迷いだ」 「……」  フェクスは片眉を跳ね上げて、おどけて見せた。 「ケランと別れたって聞いて、俺は喜んだんだ。最低だろ?」 「……そんなことは……」 「で? どうなんだ? 俺は命を懸けたんだが、お前の気は迷いそうか?」  アルスカは首を振った。 「そんな言い方は卑怯だ……」 「ああ、俺は卑怯だ。お前が異邦人で、立場が弱いのをいいことに、家に居候させて、あげくに罪悪感で縛ろうとしてる。……嫌ってくれていい。……異邦人に家を貸さないってのは嘘だ。お前は家を借りれるし、なんなら軍の宿舎もある」  アルスカはこの馬鹿な男を叱った。 「もっとやり方があっただろう。死ぬところだったんだぞ」 「これしか口説き方を知らない。正攻法で口説いて、学生の頃にケラン相手に惨敗した。覚えてるか? 俺、お前に結構言い寄ってたんだぞ?」  2人は黙った。アルスカの気持ちを整理するには時間がかかる。フェクスもそれを理解している。彼は目を閉じた。待つのには慣れている。

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