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第6話
「……んっ」
雀の鳴き声で雨霧は眩しそうに目を開ける。いつの間にか睡魔に負けて眠ってしまっていたようだ。
なんだか背中にぬくもりを感じる。とりあえず喉が乾いたから、水を取りに行こうとするが、身体が動かない。
一体なぜと動かない頭で考えていくと、だんだんと脳も起きていき今の現状を鮮明に伝える。
「……えっ?」
雨霧が声を漏らして驚いたのは無理もない。自分の身体を抱きしめる晴明の腕があったからだ。寝ている間に抱き枕と勘違いされてしまった可能性が高い。
首元に寝息がかかり、くすぐったいし、恥ずかしい。かといって起こすには忍びない。しかし、このままでは水は飲めない。
申し訳なさを感じながら、晴明を起こそうと小声で囁く。
「晴明、起きろ。頼むから起きてくれ」
「んー……」
その声に起きているのか起きていないのか一層抱きしめられた。同じシャンプーを使っているはずなのに、晴明の方が爽やかな柑橘のような香りがする。
まるで恋人のような朝に、昨日の羞恥心が顔を覗かせて雨霧を辱める。
晴明にはその気はないだろうが、雨霧はそっちの気はある。
こんなことされたら勘違いしてしまいそうだと思っていた。どうするかと頭を巡らせていると、腰当たりの圧迫感が抜けていく。後ろから欠伸が聞こえてきたので晴明が起きたのだろう。
よかったような残念なような複雑な気持ちに雨霧は蓋をする。
「おはようございます雨霧さん。よく眠れましたか?」
「おはよう。よく眠れたよ」
「そう、それは良かったです」
朝から爽やかな笑顔に眩しさを感じ、目を細めながらも雨霧は嘘をついた。
しかし、晴明にバレることはなく、よかったと口にされると嘘をついたことに罪悪感を感じた。
そのまま起きて、二人で朝食の準備を始める。初日よりも会話が増えたのは、緊張しなくなったからだと雨霧は感じた。
それに、晴明は聞き上手だ。こちらの話を途切れさせることもなく、会話したくなる返事を返してくれる。仕事柄もあるだろうが、晴明の人を安心させる人柄あるのだろうと分析する。
今日の朝ごはんはパセリが乗ったシラスチーズトーストと、具だくさん味噌汁と、キウイだった。この二日で分かったことがある。晴明は朝はパン派だということだ。
新たな発見に雨霧は、自分だけしか知らない秘密を握った気がして嬉しくなった。
いつも通り手を合わせて、いただきますをすれば早速雨霧はトーストに齧り付く。
最初しらすとチーズが合うのかと疑っていたが、しらすの塩味とチーズのコクがマッチしている。隠し味だと言っていた海苔もパリパリとした触感が楽しい。
具だくさん味噌汁はサツマイモや人参、大根、小松菜にお揚げさんとヘルシーでありながら、満足感を感じられる。
「晴明はすごいね。いろんな料理を知ってるし、全部美味しい」
「ありがとうございます。このレシピは母から教わったものなんですよ」
「へー、お母さんも料理上手なんだな」
「えぇ、母は和食が特に得意でしたよ。肉じゃがが一番好きでした」
「いいなー。おれのお母さんはあまり料理しないし、上手ってわけじゃない。でも、作ってくれるカレーは大好きだったな」
「じゃあ、せっかく話題に出ましたし、昼は肉じゃがで、残ったものをカレーにしちゃいましょう」
「やった。めっちゃ楽しみ」
楽しい食事の時間も終わり、二人で分担をしながらお皿を片づけていく。
「机借りてもいい?仕事したいんだ」
「ええ、勿論いいですよ」
机も拭き終わり綺麗になったのを確認すれば、雨霧はカバンからノートパソコンを取り出し晴明に尋ねる。
無論、机を使うななんて言わない晴明は快く貸してくれたのを確認すれば、起動し確認する。取引先のメールの確認や返事、液タブで依頼されている。
デザインを描いたりとしていると、コトリと何かの音に気が付いて、そちらを見ると晴明が温かいコーヒーを机に置いたのだと分かった。
「何も飲まずに仕事をするのは大変でしょうから、コーヒーを注がせていただきました。迷惑だったら、申し訳ないです」
「いや、とても嬉しい。ありがとう」
恋人の出雲にもされたことのないことに、雨霧は内心驚きながらもコーヒーをまだ飲んでいないのに暖かい気持ちになれた。
ミルクが入っているコーヒーは、砂糖が入っているのかほんのりと甘い。リラックスできる味に吐息を漏らす。
一度集中しすぎるとご飯も食べずにしてしまう癖があるが、たまに休憩しないと遠くで見ることを忘れてしまうから本当によかったと思った。
横目で晴明の様子を見ると、自分にもブラックコーヒーを注いでおり図書館で借りたと思われるミステリー小説を読んでいた。
本を読む姿も様になっており、かっこいいなと感じた。見すぎたようで、雨霧の視線に気づいた晴明は悪戯っぽく微笑み、自分の唇に人差し指を当てた。
「見すぎですよ雨霧さん」
「あっ……、ごめん」
「いいんですよ。見惚れてくれていたなら嬉しいですから」
「えっ、あっ」
「冗談ですよ」
「……揶揄うな」
照れ隠しで顔を逸らし、仕事をし始める雨霧に対して、晴明は苦笑いを浮かべれば本に集中し始めた。
晴明は時計を見るとそろそろ昼ごはんを作らなければならない時間だと気づく。雨霧を見るとまだ仕事をしているので、自分一人で作るかと思い、なるべく音を出さないように席を立つ。
トントンと包丁で野菜を切っても近づかれることなく、キーボードの音がすることから集中しているのだろう。
失恋して本当はまだ辛いだろうに、不貞腐れることなく仕事に打ち込める姿に好感が持てる。
自分が出来ることは、そんな彼に美味しい料理を作ることだろう。一人の時よりも多い材料たちに魔法をこめて火をつけた。
「雨霧さん。ご飯ですよ」
「……えっ? あっ! ごめんなさい! ご飯手伝わず」
「いえ、仕事の方が大事ですよ。私が呼びかけなかっただけですし」
申し訳なさそうに眉を下げる雨霧は、優しく微笑みながら気にするなという晴明に罪悪感を覚えた。いくら仕事に集中しているとはいえ、料理の音ぐらいは気づかないのは問題だ。
パソコンを片づけて机の上を綺麗にすると、先ほど話に出ていた肉じゃがと、ごぼうサラダ、ご飯が食卓に並ぶ。
使いすぎた頭は栄養を欲していると雨霧のお腹を鳴らした。
お腹が鳴った恥ずかしさから、ほんのり頬を赤く染める雨霧を見て晴明は微笑ましく思いながら自分の席に座る。
「いただきます」
「いただきます」
いつもの挨拶を交わせば味が染みこんだであろう肉じゃがに箸を伸ばす。ホクホクとし、醤油の味が中まで染みている。安心する優しめの味に疲れきった脳は喜んでいる感覚を雨霧は感じた。
「この肉じゃが美味しい。柔らかいし、味が染みてるし落ち着く」
「ふふっ、雨霧さんは褒め上手ですね」
「そう言われるの初めて。思ったこと言ってるだけだから」
ごぼうサラダもマヨネーズで和えられており、まろやかでシャキシャキしていて箸休めにぴったり。自分も料理作れたらいいのになーとのんびり雨霧は感じた。
「今晩は仕事なんで、先にカレーを作っておきますので食べてくださいね」
「あっ、うん、分かった」
昨日はお休みだったから忘れかけていたが、晴明はバーテンダーだ。仕事は夜だから夕方ぐらいにはいなくなるだろう。
その事実になぜか切なくなる自分に不思議に思う雨霧はいた。
「では、いってきます」
「気を付けていってらっしゃい」
午後三時、仕事に行くために晴明は出かけて行った。玄関で見送った雨霧は仕事の続きをするためにリビングへと戻っていく。
一人になった途端にキーボードの音だけが部屋を支配する。自分で注いだコーヒーは、すでに冷めきってしまった。
ただ無言に仕事を続け、時計を見たときには午後七時半だった。
せっかく作ってくれたカレーを食べそびれてしまうと慌てて、パソコンを片づけて机を綺麗にした後キッチンに向かう。
冷蔵庫の中を見るとタッパーの中にカレーが入っていた。肉じゃがからカレーができるなんてすごいなと感動をしながら、レンジで温めながらお皿にご飯を盛る。
「いただきます」
お皿にカレーを盛って自分が座る席へと運べば、手を合わせてスプーンで一口頬張る。元肉じゃがとは思えないぐらいカレーだ。
自分が甘いものが好きだと言ってうたからか、甘めの味付けになっていて嬉しいなと思った。
「……美味しいのになんか味気ない」
好みの味付けなのに、昼間と比べるとなんだか寂しい。出雲といた時も一人で食べることは多々あったはずなのに。
まだ二日目なのに晴明に毒されていると薄々感じている。失恋したばかりで、行き場のない自分に同情してくれているだけで、きっと自分だけに与えられた優しさじゃない。甘えすぎたらダメだと雨霧は自分に言い聞かせた。
「今日はここまでにしようかな」
いろいろと作業をしていたら、時間は午後十一時。そろそろ寝なくてはいけないよなと思い、寝室へと向かう。冷たいベットの中で、昨日感じた温もりを思い出す。
今思えば、出雲とさえ身体重ねる時以外、一緒に寝るなんてことはしてこなかった。
晴明はパーソナルスペースが狭いのだろう。自分は広いはずなのだが、昨日は緊張はしたものの不快にはならなかった。
何故だろうと疑問を抱いたが、きっと人に優しくされたことがあまりないから、心を許しているのかもしれない。
「あまり甘えないようにしないと」
誰に言うわけでもない独り言を雨霧は呟いて瞼を閉じた。
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