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第9話
久しぶりの海に夢中になっていたものだから、気づけばいつの間にかカシスオレンジの空になっていた。
「そろそろ帰らなくてはですね」
「そうだな……」
帰らなくてはいけないということは雨霧も分かっていた。永遠なんて言葉は存在していないことは十分に分かっていたのに、夕方に帰る寂しさに似た感情を抱いていた。そんな雨霧に気づいた晴明は苦笑いを浮かべる。
「そんな顔しなくても、また一緒に行きましょう」
「本当?」
「えぇ、例え一緒に暮らしていなくても私は誘いますよ。その、私は雨霧さんを友達と思ってますから」
その言葉に雨霧は嬉しい反面心の奥が鈍い痛みが襲う。晴明は自分が旅立っても今日のように一緒に遊んでくれるだろう。親身になって話を聞いてくれるだろう。だが、心の奥で足りないと叫ぶ醜い自分がいる。そんな自分が嫌であった。
「友達嬉しいな。ありがとう」
叫ぶ自分を無視して雨霧は笑う。そして、笑顔を見た晴明も笑った。カシスオレンジの空の下で笑う晴明はとても綺麗で触れると壊れる黒水晶のようだと思ったとき、雨霧は気づいた。
あぁ、自分は晴明に恋をしているということに。
そして、その感情はバレてはいけない。実らせてはいけない。だって、優しい彼は避けることはしない。ただ困ったように笑うだろうと予想がつくからだ。
自分の身勝手な思いで振り回したいわけじゃない。咲いた恋の花が萎れてしまうことを願うこと。それが友人雨霧 翔平ができる恩返しであった。
二人は陸へと上がり、帰る準備をする。車の中で他愛のない会話を繰り返すが雨霧は悟られないか不安で仕方がなかった。雨霧の不安など知らない晴明は途中コンビニに寄る。一人になった雨霧は大きなため息を吐く。
新鮮な酸素に先ほどから火照った身体を冷ましていく。意識しないようにすればするほど晴明の瞬き一つすら気になってしまう。時々覗かせる優しさが自分だけのものじゃないかと勘違いしてしまう。そんなことないのに、恋とは一種の感情により引き起こされたバグのようだと感じられた。
「どうしよう」
答えなど一つしかないのに、穏やかな日々に侵された脳は現実を拒否してくる。言いたいのに言えない矛盾を抱えたまま、友達として接することができるのか。終わりが見えないトンネルに心が折れそうになっていた時、突如首筋に冷たいものが当たる。
「うわっ、つめた!」
「ふふっ、すみません。疲れている様子でしたので、コーヒーを買ってきましたよ」
驚いた雨霧に悪戯が成功したような楽しそうな笑みを浮かべて晴明は缶コーヒーを渡す。こんなことされるとまた勘違いしてしまうだろと悪態を心の中でつきながらも受け取る。
「ありがとう」
「いいえ、私がしたいからしただけですから」
カシュッと音を立たて開けられたコーヒーは安っぽい香りがする。毎朝晴明が淹れてくれるコーヒーには見劣りをするが、まるで自分の抱いた恋の味みたいで嫌いにはなれなかった。休憩が終わると晩御飯として、ハンバーガーショップでドライブスルーをし、マンションへとたどり着いた。
その後はいつも通りの日常へと戻っていた。ただ変わっているのは雨霧が抱いた恋心のみ。
自分の勘違いだと言い聞かせても、時より見せる笑顔や意地悪な顔にますます惹かれていく。穏やかな日々の中で、今の関係を保つため、ひた向きに隠す雨霧の前に嵐は静かに近づいているのであった。
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