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第42話 とびら
寝室の扉を開いたのは泉だった。
音川の手を握り、引き入れるように誘う。
その遠慮がちながらも情熱の籠もった眼差しに音川の胸は激しく高鳴り、泉に触れる瞬間を待ち望む思いが募ってゆく。
音川の手によって静かにベッドに横たえられると、親指が優しく頬を撫でる。
腰を引き寄せられ、身体のラインがぴたりと重なった瞬間、泉は音川の男の熱さと硬さにはっと息を呑んだ。
期待と不安が熱となり体の芯へと広がってゆく。
「この時を、どれほど待ったか……」音川が呟く。
その唇はゆっくりとじらすように泉の素肌を滑り降りてゆく。
「……ん……どれ、くらい……?」
「何ヶ月も。きみを押し倒して自分のものにしたいという衝動と、何ヶ月も闘い続けてきたんだ」
音川は上体を起こしてわずかに頭を傾け、泉の頬に鼻先をすべらせながら、耳元でそっと息を吐いた。その声は低くかすれ、抑えきれない欲を滲ませている。
泉の背筋をぞくりと震えが走った。胸の奥で、言葉にならない想いが膨れ上がる。
音川はその一瞬の隙を見逃さず、唇で泉の首筋をゆっくりとなぞり始めた。肌に触れたその熱が、瞬く間に泉の全身を灼く。
泉の指は無意識に音川の黒髪に絡みついた。
髪を掻き抱くその感触に、音川もまた反応し、僅かに身を震わせる。泉の指先に呼応するように、欲望が頭をもたげる。
音川の唇が泉の首の敏感な一点を探り当て、吸い上げる。泉の口から、抗いきれない吐息が漏れる——その響きは、寝室の空気を熱く揺らした。
「おと、かわさん……」
音川は頭を少し引き、泉を見下ろした。
その瞳は欲望に濡れ、普段の冷静さはどこにもない。乱れた髪、わずかに開いた唇、荒く上下する胸——今にも理性が崩れそうなその姿はあまりに妖しく——泉は自分の中心が堅く痛いほどに張り詰めるのを感じた。
彼をこうしたのは、自分だ——その事実が突然、雷のように泉の胸に落ちる。あの冷静沈着な男を、ここまで乱しているのは、自分なのだ。
音川は泉の顎を指で持ち上げ、さらに距離を詰めた。唇と唇のあいだに残された空気さえ熱く感じられる。
「言って。どうしてほしい?」
低く命じるようなその声はさらに泉を戦慄させる。
自分の言葉が、彼にどれほどの影響を与えるのか。
泉の中に、音川の反応を想像する興奮が、ぞくりとした熱をともなって広がっていく。
「触って……」
次の瞬間、音川は泉に覆いかぶさり、激しく唇を重ねる。
そのキスは、優しさとは程遠い。まるで、長い時間抑え込んでいた渇望が一気に爆発したかのように、唇が強く、深く食い込んでくる。幾度も重ねられる口づけには、募らせた思いのすべてが詰まっていた。
泉の背中が押しつけられ、音川の体が容赦なく重なる。
音川の手が泉の体を彷徨いはじめ、思考はたちまち霞み、全身がふわりと浮かぶような錯覚に陥る。
腕にさらに力が込められ、泉は逃げ場を失ったように感じながらも、そのぬくもりに心が揺れる。熱い体を押しつけられる感覚に、意識はどんどん奪われていった。力強く、それでいてどこか優しさを感じさせる重さ。そして、かすかに香る花のような彼の匂いは、泉の心拍をさらに早めた。
唇が離れたとたん、泉は名残惜しさに小さく息を漏らす。
それに気がついた音川は再び泉の首筋へと顔を埋め、やわらかなキスを繰り返した。肌に残された感触と熱が、まるで愛おしさの証のように泉の胸を満たしていく。
手のひらは余す所なく泉の体を撫で、名残惜しげに次の箇所へと移動する。その度に温度は増し、泉の全身をとろとろと溶かしていくようだった。
唇は首筋から鎖骨へ、そして胸へを降ろされ、小さな突起をついばむように触れられると、泉は背を反らして反応する。
「こんなに敏感だったんだな……」
あられもない言葉に泉は顔を赤らめ身を捩るが、さらに両胸をいたぶられ、自身から雫が垂れてきてもまだ解放されない。
音川は舌でそこを蹂躙しながら、泉の起立をゆっくりと上下に擦る。かすかな濡れた音が卑猥に響き、泉はまたくらりとめまいを感じた。
音川の指が突起の先端を撫で、同時に乳首をそっと噛んだ瞬間——
泉の背中に快感のしびれが走り抜け、喘ぎながら吐精してしまう。
「僕……また……」
音川は口角を上げた。
「期待してて。まだ始まったばかりだ」
甘い言葉が泉の官能を震わせる。
「……もっと……して欲しい」
その言葉に、音川がうめきにも唸りにも似た声を漏らす。それはまるで、最後に残った理性の糸を断ち切る音だった。
「……本当に、いいんだな?」
音川は四肢で逃げ場を塞ぐように泉を包み込んだ。
ますます霞んでいく理性に身を任せ、身をかがめて泉の耳たぶを甘噛みする。
張り詰めた熱が泉の身体を貫き、思わず喉の奥から甘い声が漏れた。
「もしも……少しでも躊躇があるなら……ここから逃げてくれていい」
「……まだ、迷ってるですか?……僕は、音川さんを永遠に僕のものにしたいのに」
その言葉は、音川の胸を貫いた。
誰かに所有されることに喜びを感じるなど、これまでの人生にはなかった。
ずっと一人でいるものだと思っていた。孤独は当然で、運命だと。
けれど、いま、泉がそう口にした瞬間、胸の奥にじわりと見知らぬものが湧き上がる。温かくて、優しいそれは——
夜の戯れとしてもおかしくはない言葉だったはずなのに——
音川には、そうは聞こえなかった。
「——わかって言ってんだろうな?もう何があっても、お前を手放さないよ」
荒い声に抑えきれない感情が滲む。
「それが僕の望みです」
泉は痛いほどに抱きしめられた。
トレーニングで堅くなった粗雑な掌が、まるで触れる場所全てを刻みつけようとするかのように止まることなく全身を這う。
「……全て終わってもそう言えるかどうか……確かめてやるよ」
泉は数度、軽く瞬きをした。
こちらが望んでいるというのに、なぜ音川がこうも慎重なのか、その原因に思い至ったからだ。
「……もしかして、かなり痛い、のかな……?」
音川の腕に筋肉の筋が浮かび上がる。囁く声は、先程までの優しいトーンが影を潜め、代わりに危うく濃密な熱を孕んだ響きに変わった。
「どうだろうね。でも、受け入れるんだろ?」
「……はい」
泉の瞳の奥に拭いきれない不安を見て、音川は意識的に身体から力を抜いた。
「大丈夫だよ。きみを壊したりなんかしない。だから……俺を信じて、全て任せて」
情熱の奥に確かな責任感を感じながら、音川は泉の頭をゆっくりと撫でた。
「はい……この期待と、少しの怖さが混ざった時間って、とても愛おしいものなんですね。できることなら、この瞬間がずっと続けばいいのに」
音川が喉の奥で笑う。
「いつまで経っても、気持ちいいことを知らないままでいいのなら」
首筋に唇をつけてそう囁き、敏感な皮膚をついばむ。そのまま耳たぶを優しく噛むと泉の身体がびくりと大きく震えた。
「綺麗だ。いくら触れても足りない」
「僕の上にいる音川さんは、とてもかっこいい」
音川はふっと笑みをこぼした。泉の言葉に心の奥が微かに震えるのを感じながら、柔らかい髪の毛に顔を埋める。背中には、泉の指がゆっくりと円を描くように動き、音川の官能をさらに刺激する。
「……きっとわかっていないんだろうが……きみの姿も、声も、こうして腕の中にいる感触も——全部が俺を狂わせる」
「僕だって、同じです……鋭い視線と、色気と、誰にも叶わない男らしさ。音川さんの澄んだグリーンの瞳に見つめられると標本にされたように、思考が止まって動けなくなる」
「ほら、分かっていない。きみにそんなふうに言われると、男の理性なんて簡単に飛ぶ。口には気をつけろよ。狂った男に何をされるか分かったもんじゃねえ」
泉が笑みを漏らした。
「大丈夫ですよ。音川さんにしか言ったことありませんし、僕は死ぬまで音川さんだけです」
その確信に満ちた声に、音川の瞳は欲望に覆われ、瞳孔が大きく開く。
泉を抱く腕はより一層強く、支配するように締め付ける。
先程から泉は、音川の身体が自分の言葉一つ一つに反応しているのを自覚していた。熱を帯びた肌を越えて、筋肉の硬さと力強さが伝わってくる。
「……クソ、そろそろ黙ってくれよ……もう抑えられそうにない」
「僕を、音川さんの好きにしてください……」
泉は、自分の身体に起こる奇妙な……しかし抗い難い快感を自覚しつつあった。
それは先程、浴室で音川の指先によって体内に植え付けられた快楽の種が、少しずつ芽吹いて来ているのだった。身体の中からぞくりとした戦慄が脳に走る。
音川はゆっくりと唇を下方へ移動させ、泉のへそからすぐに先端へとたどり着く。
そこにそっと舌を這わせると、泉から嬌声が漏れる。
かぷりと咥え、舌で蹂躙しながら後ろへと指を伸ばし、ことさら泉が仰け反った瞬間につぷりと差し入れた。
泉から発せられた声に明らかな快感を感じ取り、音川は安堵する。
朝までかかろうが、昼までかかろうが、途中で泉を離すつもりはない。
愛する人に求められ、想像もしていないような快楽を与え、応える。
この使命に一生服従することがきる。
それは、音川にとって、至上の喜びの他ならない。
長い夜はゆっくりと始まり、そして泉が意識を手放したところで——序章を終えた。
◆ ◆ ◆
翌朝。
音川は半分眠りの霧に覆われたままの意識で、身体に走るこそばゆい感覚でうっすらと覚醒した。隣にいる人物がこちらへ身体を向けているのが分かる。
「ん……?何してる……?」
喉の奥だけで発せられた低い響きに、泉の手が止まる。
「ご、ごめん。起きてると思わなくて……。本当に音川さんが居るのかな、と。夢だったらどうしよう」
音川の表情はほんわりと和らいだ。
「夢なわけねぇだろ。それとも……俺と同じ夢を見ていたってんなら話は変わってくるけど。覚えてる?昨夜、きみがどうなったか」
「お、覚えてます!」
泉はカッと身体が熱くなるのを止められなかった。
ずくりと体内に、音川の形や堅い熱が蘇る。
その表情の変化に気付いた音川が、更に笑みを大きくする。泉の体内が何を思い出しているのかは明白だった。
「なるほど……。そんな目で俺を見つめているのは、そういう理由か」
からかうような声に甘さがたっぷりと混ざり、音川は手を泉の内ももにすべらせた。
「……あの……まだ、音川さんが入ってるみたいな……感覚が……」
腰をよじる泉の姿は音川を焚きつけるのに十分だった。
「足りなかった……?」
内ももをしっかりと握り、支配的な声が囁かれる。
「まさか!意識がなくなるまでいかされて、死んだかと思ったくらいです……でも、もう恋しくて」
泉は自分の貪欲さに唇を歪めた。
昨夜、音川が自分の体の中から引き抜かれた時には、すでに意識は朦朧としていた。
ゆっくりと快楽を与えられ、それは天国と地獄が一度に押し寄せてきたような、恐ろしいほどに甘美で……
再び、身体の奥が明らかにずくりと疼く。
身体をすくめ、眉間に皺を寄せた泉に、音川自身も高ぶっていた。
「欲しいの?」
「は、はい……もう一度、僕の中をいっぱいにして欲しい……」
音川は激しく泉に口付けた。
唇の隙間から、切羽詰まった吐息が漏れる。音川が待っていたのは、これだ。
「言って」
「んぅ……」
「どれくらい俺が欲しい?」
「い、今すぐ……来て。もう待てない」
唸るように音川は吐息を漏らし、身体全てを密着させる。
泉は気がついていないだろうが、昨夜一度泉の体内に入り込んだのは、音川にとってはまだほんの前戯だった。泉から快楽を求めるようになるまでの。
一夜でこうなるとは想像していなかったが……よほど馴染んだのか、泉は唇をぽてりと腫らし、濡れた瞳で音川に懇願している。
そうして昨夜の名残のまま、柔らかく膨らむ泉の蕾に、音川は自身を押し付け……
入口を開かれた衝撃に、泉は鋭く息を呑み、そのまま呼吸が止まる。
ゆっくりと着実に、遠慮も何もなく刺し貫かれる快感に声を上げ、音川の背中に指を立てる。
既に身体は音川の形を覚え、彼のすべてに反応してしまう。
「……あぁ!音川さ、ん……んぁ……」
音川も快感に身を震わせ、小さく呻く。指が埋まるほど強く泉の腰を掴み、最奥まで躊躇なく突き入れる。
「俺がどれほどきみに夢中で、きみに支配されたいと思っているか……」
泉の体内にすべてを包みこまれ、音川は大きく吐息を吐いた。
そして身体を伸ばし、泉に口付ける。
「愛してる」
「もっと、言って……」
「愛してるよ、泉」
泉は音川が与える質量で下腹部をいっぱいにしながら、最奥に届いた音川が再び快楽を与え始めるのを感じていた。
昨夜より強烈な感覚が、背骨まで砕けそうなしびれを走らせる。
音川は泉に身体を埋めたままで口付けを離さない。時折、耳に愛の言葉を注ぎ、首筋を吸い、なのに自身はまんじりとしない。
泉は、じわじわと波紋のように内側から広がっていく快感で気が狂いそうだった。
体温が上昇し、勝手に息がどんどん上がっていく。酔っているかのようにくらりと脳が揺れる。
終わりの見えない、何が来るのかわからない、でも止めたくはない。
「音川さん……!あ、あ……、僕……もう……あぁぁ!」
それでも音川は動かず、根本の筋肉だけをぐいと堅くする。
その微かな動きは泉に決定的な快楽を与えた。
叫び声のような嬌声と共にとろりと精液が泉の先端から流れ、音川の腹を濡らす。
音川は、荒い息で肩を上下させる恋人をしっとりと見つめ続け、果てる姿に愛おしさを募らせていた。
そうしてまもなく、泉の内壁が再び動き始める。これは本人に制御できるものではない。
「う……あ……ま、待って……これって……んああああっ」
音川は再び果てた泉の髪をそっと撫で、口付ける。
「音川さん、ぼ、僕、いくの止まらな……ん、ああ!だめ、また……」
「うん……。綺麗だよ」
「こんなのって……」
「今日が終わっても、俺に抱かれるたびに、きみはこうなるんだよ」
「あ、う……あ……なにか、くる感じが……」
「受け入れて。俺の全てを」
音川の囁きに、泉は息も絶え絶えながら、何度も頷いた。
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