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第5話

 一週間が経ち、病院へ行く日になった。  診察の予約をしてあるし、敷地内だから大丈夫だろうと高をくくっていたらあっという間に時間は迫ってしまう。  慌てて戸締まりをしたり、持ち物を確認するナオトを尻目に新はのんびりと着替えている。クローゼットから出したお気に入りの紺色のシャツにはきれいにアイロンがかけられていた。  ナオトはセラピー用のヒューマロイドなのに家事も完璧にこなしている。部屋は常に埃一つない清潔な状態だし、洗濯物もきれいに収納されていた。  一人で暮らしていたときは荒野のような状態だったが、ナオトが来てからは新品な部屋を毎日提供されているように気分がいい。  「準備できたか」  寝室を覗いたナオトはまだシャツしか着替えていない新をみて目を眇めた。  「早くしろ。それとも着替えを手伝ってやろうか?」  うるさい!  扉を閉めてナオトを追い出した。  着替えくらい一人でできるっての。着替えを済ませると玄関で待っていたナオトを一睨みし、歩いて三分ほどの病院へと向かう。  広大な敷地を有した病院は関係者の住むアパートや図書館、コンビニ、公園などの設備が充実していた。まるで病院を中心に小さな街を作り、そこに人を閉じ込めた大きな水槽のようであまり好きではない。  けれどこの敷地を出るには槇の許可をもらう必要があるので、引っ越しは夢物語だ。  診察室への道すがら入院している子供たちが通う院内学級の前を通る。  ちょうど自由時間だったらしく、子供たちが読書をしたり絵を描いたりとのびのび過ごしていた。  酸素吸入をつけた子や頭に包帯を巻いている子、車いすに乗っている子ばかりだが、みんな楽しそうに笑っているのでささくれ立っていた心を潤してくれる。  窓ガラス越しに目が合うと太陽のような眩しい笑顔を向けてこちらを指さした。  「お兄ちゃん!」  一人が大声を出すと弾かれるように他の子たちがこちらに顔を向ける。一人一人の顔が輝きだす。あたふたとする新をよそに子供たちが二人を囲った。  「ナオトお兄ちゃん、遊びに来てくれたの?」  「一緒にぬりえしようよ」  子供たちがナオトの足にしがみつき、遊ぼうとせがんでいた。  ヒューマロイドは子供とお年寄りには特に優しくするように設定されている。病気がちで学校に行けない子を元気づけたり、先の短い高齢者には余生を気持ちよく過ごしてもらえるようにするためだ。  子供たちからの懐かれようをみるとナオトは院内学級で世話をしていたのかもしれない。でも秘密裏に作っていたという槇の話と矛盾する。  「ごめんな。今はこのお兄ちゃんのお世話をしているんだ」  ふと子供たちの視線が新に集まり皮膚をちりちりと刺す。純粋な黒い瞳たちは新という価値を探っているように感じた。  「この人だれ?」  「みんなが大好きな『ドラバト』のオープニングを歌ってる人だよ」  「本当!?」  好奇心と興奮の混ざった顔がより輝きを増して新を見上げた。  「すごいね」「本物なんだ」と子供同士が話し始め、そこここから歌声が響く。  「ぼく、毎日聴いてるよ」  「私も大好き」  競うように子供たちは新の足下に集まってきて、「歌って」と強請った。  新の事情などまったくお構いなしに期待に満ちた瞳が輝いている。子供たちの輝きに耐えきれず新は視線を逸らし唇を引き結んだ。  新の様子に子供たちは不安そうに互いの顔を見合ったあと、ナオトに視線を向けた。  「ごめんな。今はちょっと歌えないんだ」  「残念」  「聴きたかったな」  子供たちの落胆の声が胸に刺さる。  俺だって歌えるものなら歌いたいよ。でも今の声はもう俺じゃないんだ。  子供たちから離れて診察室に向かう途中、前を歩いているナオトのシャツを引っ張った。  突然後ろを引っ張られ前に進めなくなったナオトはこちらを振り返る。  その目を思いっきり睨みつけた。  「何か文句でもあるのか」  鋭利な刃物をナオトの喉元を刺すように睨め付ける。けれどナオトはまったく動じていない。  俺は歌えないのにどうして余計なことを言うんだ!   あんな期待させるようなことを言って、子供たちを裏切るような真似をして、おまえは平気なのかよ!  ありったけの言葉を目線で伝える。  ナオトも負けじと見下ろし、数センチ高いナオトに見下ろされると迫力があるが、相手はヒューマロイドだ。何をびびっている。  「歌えないのを俺のせいにしたいのか?」  おまえが期待させるようなことを言うからだよ!  だんの足を踏み込むと廊下の壁に音が反響した。  誰もいないので音がよく響く。  「声よりも大事なものがあるだろ」  うるさい!おまえに何がわかるんだ。  シャツを握る手に力が入る。いっそ引きちぎってしまおうか。  「喧嘩はそれぐらいにして早く診察室に入りなさい」  扉から顔を出した槇の歌うような声にはっと我に返った。  「すいません、ハカセ」  「僕に害がないならどーでもいいけど。一応何があったか訊いておこうか」  院内学級の前であった出来事をかいつまんで説明したナオトに槇はうんと頷いた。  「新にはいい薬さ」  「そうでしょうか。本人は怒っているようですが」  「自分の立ち位置を知るいい機会だったじゃない」  そうでしょ、と同意を求められても新はぷいと顔を逸らした。  「ま、この子は頑固なところがあるからね。じゃあ診察をナオトくんから先にしようか」  「お願いします」  気遣わしげにナオトは新の方をみたが新は頑なに視線を合わせず毛を逆立て、「俺は怒っている」ということを全身で表した。  ナオトが診察室に消えると苛立ちをぶつけるため壁を強く蹴った。

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