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第6話

 自室に帰り扉を閉めるともう限界だった。  新は溜まりに溜まった怒りを放出するように物に当たり散らした。下駄箱にある花瓶に始まり、カレンダーやステレオ、壁にかけてあったジャケット、カーテンなど目に入るすべてのものを引っ掻き回す。  吐き出せない怒りは頂点にまで達し、新の視界を赤く染めた。  火山が噴火するような衝動のままに周りに当たり、ものがなくなるとナオトに殴りかかった。が、新の拳は遅く簡単に捕まれてしまう。  「こんなことをやって、まるで駄々っ子だな」  ナオトの軽薄な笑みがさらに助長させる。  おまえに俺の気持ちなんて分かるもんか! 歌えない鳥がどれだけ惨めな思いをするか、おまえは考えたことがあるのか!  奥歯を噛んで顎を上げた。目頭が痛むほどナオトを睨みつける。  それでもナオトは余裕そうな笑みをたたえて、暴君と化した新を面白そうに眺めている。  反対側の腕を振り上げるがまた押さえられてしまう。完全に両腕の自由は奪われた。  「言いたいことがあるなら口で言え」  それができないから怒っているんだろ!  ナオトの脛を蹴ろうとするが簡単に避けられてしまう。イライラする。  両手は塞がれ、足も役に立たないとなると新の怒りを表すにはただ睨みつけるしかない。  「これが551のシンと聞いて呆れる。ただの子供じゃないか。だからおまえが入院しても誰も見舞いに来ないんだ」  沸点は越えた。マグマのように爆発的な感情が一気に駆け上がる。  「ーーっうるさい!おまえに俺の気持ちがわかってたまるか!」  新の声はからからに枯れ、聞くに耐えられない代物だ。あれほど聞きたくなかったのに、ナオトの挑発にこれ以上無言を貫くのは無理だった。  「この声のどこがシンだ。もうあの声には戻れないんだ……俺はシンには戻れない」  喉の調子が悪いと気付いたときには遅かった。日に日に声は枯れていき、天使の歌声ともてはやされた美声は地に落ちた。  蛙の鳴き声のようだと囁かれた。  三オクターブ出ていた声域も一オクターブが限界だった。  551のシンは、死んだも同然だった。  新は頭を垂らし嗚咽を漏らした。誰よりも自分の声を愛し、育んできた。天使の歌声だと謳われ当たり前だとすら思っていた。  でも、もう天使はいない。  掠れた声を聞いたとき自分に絶望し、そして世界が恐怖の対象に変わる。あれほど人の目を集めることが嬉しかったのに、今はからかわれているのではないかと怖い。  「やっとおまえの気持ちを聞けた」  ナオトは目尻を下げて笑っていた。さっきまで怒鳴り合っていた人物とは思えない穏やかな表情に呆気に取られてしまう。  けれどどうにか気持ちを立て直し、新は口を開く。  「俺は怒っているんだ!」  「そうだよな。挑発するようなことを言って悪かったな」  「急に手のひらを返すなよ」  「どうしても新の気持ちを聞きたかったんだ。自分でも荒療治だったと思う。すまない」  謝られてしまうと怒りの感情がしゅるしゅると萎んでしまう。あれほど腹が立ったのが嘘みたいに波が穏やかになる。  「別に、もういい」  段々と意固地になっている自分が莫迦らしくなってきた。  「じゃあ子供たちのためにソロライブをやろう」   「は? なんだよ、じゃあって。俺は今の声が嫌なの。さっきの聞いてなかったのか?」  「ちゃんと聞いていた。だからライブをするんだ」  「意味がわかんねぇ」  新を挑発したり、謝ったり、ライブをしようと言い出したり。ナオトの意見がぐるぐると変わる。試作段階といっていたしどこか損壊したのだろうか。  「おまえ壊れてるんじゃね?さっきから支離滅裂だぞ」  「……大丈夫だ。全部正常に動いている」  表面上には変化はみられないが内側まではわからない。ヒューマロイドに詳しいといっても、新は専門家ではないので槇に訊くしかない。  「それよりライブは絶対にやろう」  「俺は絶対に歌わない! 歌いたくない!」  「日にちはいつにするかな。その前にハカセに許可を取らないと」  「おい、俺の話を聞いているのか?」  ナオトは鼻歌でも歌わんばかりの上機嫌で、曲目はどうするか時間はいつにするかと計画を始めた。この話の通じなさは一人の奇人と被り頭が痛くなってきた。  「おまえは槇にそっくりだな」  そう言うとナオトは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

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