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第16話

 真っ暗な部屋は同居人の存在を否定する。  玄関横にあるボタンを押して部屋に明かりを灯す。廊下、リビング、キッチンと周り最後に寝室を点ける。  部屋をぐるりと見回すとたくさんの視線を感じた。本棚もギターも壁も、何もかもが新に視線を向け、「また一人だな」とあざ笑われているような気がする。  前よりも一人が虚しい。  寂しい。  誰かと一緒にいる安らぎを知った心には、一人の辛さが身に沁みた。  ふいに視線をずらすとドアに備え付けられたポストに何か入っていた。よく目を凝らすと封筒だった。  水色の無地の封筒には差出人も宛名もない。  けれどその質素さは一人の人物を思い浮かばせた。急いで封を開けて手紙を取り出すと大きな文字が目に飛び込んできた。  『下手になってんじゃねぇよ』  聴いてくれていたんだ。新の歌を。嬉しくて涙が零れた。  繊細な文字はナオトの性格をよく表している。  文字から新を気遣ってくれているのが伝わってきて、この紙にナオトが触れたのだと思うと、ナオトの体温がまざまざと蘇ってくる。  初めて頭を撫でられたときや、後ろから抱きしめられたとき。枝葉のようにナオトとの記憶が広がってくる。  ナオトの顔を浮かべるともう限界だった。  会いたい。  ナオトに会いたい。  でももう手が届かない。  どこにいるのか知らない。  知らないなら探せばいい。  探してみつけて連れて帰ればいいんだ。  こんな単純なこと、どうして気付かなかったんだろう。  ナオトの喪失に鈍くなった思考は簡単な道筋すら思い描けなかった。新は部屋を飛び出して病院へと向かう。  とっくに外来受付が終わった病院はしんと静まり返っている。でも緊急外来用に非常口は開けられている。  新はそこから病院内に入り、まっすぐ特別棟へ向かった。  診察室を過ぎると医師たちのプライベートルームになる。その入り口に警備員が立っていた。  「ここから一般の方は入れません。お戻りください」  「うるせぇ!」  走る勢いを殺さず、新は警備員を振り切った。  身体の奥から溢れてくる力を制御できない。警備員は悲鳴を上げて床に倒れた。  悪いと思いながらも先に進む。  長い廊下の突き当たりに目的の部屋はあった。ノックもせずに扉を開ける。  「そろそろ来るころだと思ってたよ」  槇の背後の窓にはまるで絵画のような満月が昇っていた。月明かりだけなのに部屋は明るい。  槇の表情は逆光になってわかりにくかった。  「ナオトはどこにいる?」  「このまま知らない方が幸せだと思うよ」  「おまえに決められる筋合いはない」  「それもそうだね。でも一応警告しとかないと、ナオトくんに怒られちゃうし」  槇は白衣のポケットに両手を突っ込んでから語り始めた。  「ナオトくんの居場所を知る前に、きみには知らなければいけないことがある」  「何だ」  「本当の役割をさ」  すっと細められた眼光の鋭さに新は身構えた。  「今まで疑問には思わなかった?ナオトくんがあまりにもできすぎてると」  「それはまぁ。でも最新型なんだろ?」  「それね、嘘なの」  「嘘?」  「ナオトくんは人間なんだ」  槇の言葉は身体を貫くような衝撃を与えた。けれど一方で納得する自分もいた。  薬のカラを見つけたときや時間がわからなくなるなどナオトはヒューマロイドとして完璧ではない部分が多い。  「……そうか」  「あんまり驚かないね。もしかして知ってた?」  「思い返せばナオトはヒューマロイドらしくない点はいくつかあった」  「さすがだね。さすが僕の作ったヒューマロイドだ」  「やっぱりな」  「僕としてはもっとビックリして欲しかったんだけど」  「最初に役割が違うと言ったのはおまえだろ。そこで大体の想像がつく」  「きみは最高だ」  抱きつかんばかりに槇は両腕を広げたが新はひょいと躱した。不服そうに渋面を浮かべたが槇はすぐに平静を取り戻す。  「きみは自分で自分の記憶を消したんだよ。ヒューマロイドであることも、それ以前の記憶も。ご丁寧にバックアップの方も壊されてね。復元することは不可能だった」  「どうして俺はそんなことを」  「きみの喉が壊れたからさ」  槇は自分の喉仏をさした。  「ヒューマロイドのスピーカーはみんな同じなんだ。でも偶然できた傷のおかげで、きみは美声を手に入れた。それを酷使した結果、壊れちゃったんだよ」  事実はあまりにも呆気ないものだ。形あるものはいつか壊れるとはよく言う。  「きみは最初は歌うだけしか脳のないロボットだったんだよ」  院内学級にいたアザラシの歌うアニマルロボットが浮かんだ。初めてみたとき懐かしさに心打たれた。あれが俺の始まりなのか。  「その次はアニマルセラピーを元にしたアニマルロボット。そして今のきみになった。たくさんの人間に愛されてきみは自我を手に入れアイロイドになった」  興奮した様子の槇は一度唇を湿らせた。  「僕はアイロイドを作り世間に認めてもらうことが目標だったんだ。今だってヒューマロイドが介護をすることに反対する人間はいるだろ?」  「介護には愛情が不可欠だからな。ヒューマロイドがいくら万能でも、それは持ち合わせていない」   「だから僕はアイロイドがどれだけすごいか知らしめるために551を作ったんだ。きみたちがヒューマロイドとは知らずに551の人気は鰻登りさ。僕の目標は達せられつつある」  「そうか」  「あまり関心なさそうだね」  「自分のことはどうでもいい。どうしてそこにナオトが関係してるんだ?」  「きみは相変わらず身勝手なアイロイドだよ。ナオトくんのことは彼自身から訊きな。あそこにいるよ」  槇が指さしたのは一般病棟の最上階だった。

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