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第8話

 昼食をご馳走してもらうことになった土曜日までに那央から二回電話があった。アレルギーの有無や嫌いな物の確認、それと和洋中のどのジャンルが好きかだった。雅也はアレルギーはないが、ピーマンが苦手と伝えると、笑いを押し殺した声でわかりましたと那央が言った。  雅也は手土産をどうしようか悩んだ。職場の同期に料理上手の先輩夫婦の家に行くことになったが、何を持っていけばいいかと聞いてみた。それを傍で聞いていた後輩が、この間友達に高級なトマトジュースをプレゼントしたらとても喜んでくれたと言った。同期もそれありだな、と言い、雅也は早速スマホで検索して購入した。  週末の土曜日。  朝から雨こそ降らないが曇天だった。強い陽射しがないだけまだ過ごしやすかった。  12時過ぎ、雅也はこの間利用したパーキングに車を停めた。車から那央に電話をすると那央は明るい声でお待ちしてますと言ってくれた。  アパートの階段を上がると那央の部屋の外でもわかるくらい、いい匂いがしていた。思わず腹の虫が鳴き出しそうになった。 「いらっしゃい、雅也さん。どうぞ」 「お邪魔します。むちゃくちゃいい匂いだな」  那央は嬉しそうに雅也を部屋の奥へ促した。テーブルの上には所狭しと多彩な料理が並べてあった。魚のフライに刺身、野菜の炊き合わせ。那央は他にも炊き込みご飯とツミレ汁があると言った。魚を使った料理が多かった。雅也は那央は魚が好きなんだと勝手に思っていると 「あの、この料理の魚、俺が捌いたんですよ。本当に料理ができることをちょっとお伝えしようと思いまして」  那央は、はにかんだ表情で肩をすくめた。 「この間の麦茶で、料理ができる人だとわかってたよ。最近魚食べてなかったから 最高だな」  雅也はそう言って、手土産のトマトジュースを渡した。 「あぁ、すいません、お気遣い…あっ、これむちゃくちゃ美味しいやつじゃないですか。雅也さん」 「実は職場の後輩からの薦めでね」 「じゃあ、今開けてもいいですか?」  那央は氷を入れたグラスを用意し、濃厚なトマトジュースを注いだ。グラスを持って乾杯した。 「美味しい、このジュース。雅也さんこのジュースと鰺フライ、絶対に最高の組み合わせですよ」  那央は雅也の前に置かれている小皿にフライを入れて雅也に勧めた。 「ありがとう、いただきます。那央君は本当に凄いな」  那央が作った料理はどれも美味しかった。嬉しそうに食べる雅也を見て、那央もまた嬉しそうだった。 「ほんっと、美味しかったよ。ご馳走様でした」 「そんなに喜んでもらえるなんて、嬉しいな」  那央は食後のアイスコーヒーを出した。 「ねぇ、那央君はどこか行きたいとこないの?遠くは難しくても近場でさ、ドライブに行こうよ。今日のお礼じゃないけど…どう?」 「えっ…あの、それじゃ、ドライブスルーに連れて行ってくれませんか?」 「ドライブスルーって、ハンバーガーとかの?」 「はい。俺、まだ免許も持ってないし、実家にも車がなかったから、ドライブスルーって体験したことがなくて」 「お安い御用だよ。那央君さえよかったら、今日の夕方でも行ってみる?」  二人で昼食の片付けをした後、夕方まで配信サービスの映画を見た。  ようやく腹も空き始めた頃、外は暗くなりかけていた。雅也の車で近くのハンバーガーショップのドライブスルーに行くことにした。 「軽自動車だから、狭くてごめんな。もし気分が悪くなったらすぐ止めるからね」 「ありがとうございます…雅也さんのそういうお気遣いが、すごく安心できます」 「店はすぐそこだから、何がいいか決めておいて」  5分ほどでハンバーガーショップに着くと店の駐車場の脇を通ってメニューボードのマイクに向かって注文をした。その先の窓口に車を寄せて注文品を受け取ると、那央は嬉しそうに、雅也と店員を見ていた。 「どう?ドライブスルー初体験は」 「うん。面白かった」 「ねぇ。この先に面白いというか素敵なとこがあるんだけど、行ってみない?」 「絶対行きたいです。どんなところなんですか?」 「それは、行ってのお楽しみ」  雅也は含み笑いをした。  10分ほど走り、公園に着くと路肩に車を停めた。雅也はすぐそこなんだけど、と言って公園の奥の鬱蒼とした茂みに向かった。さっきのドライブスルーで買ったドリンクを飲みながら進んで行くと、奥の方で子供の声が聞こえた。雅也は辺りをキョロキョロしている那央の手を掴んだ。 「こっち。今日は出てるみたい」  那央も雅也の手をしっかりと掴み直すと、あっと小さな声を出した。 「早速、那央君にお出迎えか」  那央のドリンクを持った手の辺りに、一粒の光がゆらゆらと飛んできた。 「雅也さん…蛍…ねぇ蛍だよ」 「子供の声が聞こえたから、その先の疏水に行くともっと見られるよ。ここは毎年蛍が出るんだ。暗いから足下気をつけて」  疏水の際まで行くと、たくさんの蛍が明滅を繰り返し、幻想的な光が舞い飛んでいた。 「雅也さん…俺初めて…」 「ちょっと感動するだろ?」  雅也は蛍をうっとりと眺めている那央を見ながら、恋人同士であれば、このシチュエーションではキスになるんだろうなと思ってしまった。

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