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第3話

「あら、彼は落語家さんだったのね」  同じテーブルの招待客に言われても頷くばかりである。  ただ息を飲んで松吉の一挙手一投足を見つめている。  噺は大工の八つぁんが長屋のご隠居さんを訪ねて来るところから始まる。  婚礼の仲人を頼まれたので、その作法を教わりに来たのである。  噺の中でご祝儀として謡の〝高砂や〟を一くさり披露するところがある。 「高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて」  松吉の朗々とした声に直己の心は天にも昇らんばかりである。  今すぐに松吉を抱き締めキスの嵐を浴びせたい! 「早くぎゅーしてチューしたい?」  目の前のゲイバーのママ風男性がにやにやと言い当てる。  厳かに咳払いをする喬木医院の院長喬木直己である。  だが落語の後、松吉は油膜スーツに着替えて宴席に戻って来た。 「ごめん。昼席の前座が一人病欠だって、急に呼び出された」  とザックを背負うと会場を出て行こうとする。 「寄席に行くのか? 車で送るよ」 「梅吉は最後まで居てあげて。エステルさんがブーケトスで、私らに花束をくれるって」  とのことだった。  牧田(まきた)エステル(日本人である)は直己の友人だったはずだが、いつの間にか松吉の方が親しくなっている。  一人取り残された直己は胸キュンした分、心が急降下するのだった。  花嫁のブーケを助手席に乗せて帰路につく梅吉こと直己である。  こんな物もらってどうするんだ?  車で行ったからアルコールも入っていない。華燭の典の華やかさが消えれば一人心は沈み込む。  帰りも松吉と一緒だと思えばこそシラフも我慢できたのに。  直己は決して大酒呑みではないが多少は嗜む。  だが完全下戸の松吉とつきあうようになってから吞む機会が減った。  少しでもアルコールを摂取すれば倒れてしまう松吉である。  実は酒の匂いも苦手だったと知ったのはつい最近のことである。  松吉とデートの前に気分を盛り上げようと軽く一杯ひっかけて出かけた時である。  逆に松吉は盛り下がったらしい。  キスを始めるなり手で口を塞がれたのだ。 「梅吉、悪いけど……めっちゃ酒臭い……こっちまで酔っ払いそう」  と思い切り渋面をしている。これまでは我慢していたらしい。  気づかなかった自分を大いに反省して、以来身体を重ねる時にはシラフを心掛けている。  それだけ本音を晒せる仲になったのだろうが、喜ぶべきか嘆くべきかはわからない。  そもそも直己は自身の感情に疎いのだ。

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