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第5話

 直己はダークスーツの白いネクタイを引き抜くと、二階の自室に黒いネクタイを取りに上がった。  昨日、祝儀袋に名を書いた筆ペンはまだ座敷の座卓に出しっぱなしである。今度は不祝儀袋を取り出して薄墨で署名するのだった。  山川老人は元は喬木医院の患者だった。痛風の悪化に伴い人工透析が必要となり、隣町の本城総合病院に紹介したのだ。  その後、時々喬木医院の待合室に顔を見せて、診察というか暇つぶしに来ている清川の婆様や豊川の婆様と世間話をすることもあった。  けれど急激に腎不全が悪化し亡くなったとのことだった。  八十オーバーではあるが今時、天寿と言うのも憚られる享年ではあった。  萬福寺を訪れた直己に、 「喬木……いえ喬木先生」  と真っ先に挨拶をしたのは黒いワンピースの女性だった。 「今日はお出かけと伺っていたのに、わざわざご足労ありがとうございます」  丁寧に頭を下げるこの女性は、山川爺様の孫娘である。  直己の高校の同級生の山川奈保美(やまかわなおみ)だった。漢字は違うが同じ〝なおみ〟である。  今は都心に住んでIT企業で働いていると聞いている。  ちなみに喪主はその両親つまり山川老人の長男夫妻であった。  清川の婆様と豊川の婆様は通夜ぶるまいの席で割烹着をつけて働いていた。 「あれまあ、先生。祝儀と不祝儀がぶっちがったなえ」  と清川さんにお茶を出される。 「若先生、診察室でもネクタイをした方がカッコイイよ。いっつも白衣の下にTシャツなんか着てるんだから」  と言うのは豊川さん。  二人とも祖父の代から喬木医院に通っているから、直己などほんの小僧扱いである。  渋茶を飲みつつかっぱ巻きなどを摘んで、早々にその場を辞した。  弔問客らが興味津々で直己を見ては袖引き合っていることに気づいたからである。  今や忘れかけていたが春先に直己に関する悪い噂が町中に出回ったのだ。  真柴中学校の校医でもあった喬木医師は同性愛者であり、嫌がる男子中学生を監禁して猥褻行為に及んだと。  この噂の中で唯一真実なのは、直己が同性愛者ということだけである。  他は根も葉もないデマなのに人々は飽きもせず口の端にのせている。  うんざりしながら玄関に向かった。  靴箱に入りきらない靴がずらりと並んでいる玄関先では、真柴駅長の加藤が上がり框にうずくまっていた。  こちらも直己の同級生である。 「喬木へんへ〜。足がおかしいんふよ〜。診てくらはい。靴がれんれん合わないん」  と加藤駅長が履こうとしているのは、誰の物だか右足だけを揃えたサイズも違う靴である。  かなり酔っ払っているらしい。 「いや、加藤の靴はこれだろう」  それらしき靴を揃えて履かせると、車に乗せて家まで送る。

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