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第10話
「早く頼むねぇ。喬木先生」
と促されて震える手でエンジンキーを回し、感覚のない足をアクセルペダルに乗せるのだった。
「サイドブレーキ外さなきゃ」
と手を出す加藤である。隣に乗せて正解だった。
真柴駅前で加藤駅長を降ろした。
車中しつこく事故の被害者がどこの病院に運び込まれたか尋ねたのだが、
「知らないよぉ」
とそっけなく回答されただけだった。
考えてもみれば当たり前である。
事故が起きたのはこの路線ではなく、はるか埼玉県を走る弁慶西線なのだ。
真柴駅長の知ったことではないだろう。
では、どこにどう尋ねれば、松吉とその師匠の入院先がわかるのだろう。
とにかく一人になった車を都心に向ける。
スマホのスケジュール帳には、直己の予定の他に、松吉や弦蔵師匠の予定も書き込んである。
師匠の予定もあるのは松吉がお供でついて行くこともあるからだ(今回のように)。
本来、今日の昼間は弦蔵師匠は埼玉県のホールで独演会だった。松吉が開口一番を務めると聞いていた。
夜は東京に戻って池袋の寄席である。そこへの移動中に事故に遭ったのだろう。
では池袋に行けば二人の情報も得られるだろう。
ようやく明確な目的を得て、首都高速道路を目指して畑の中の一本道を急ぐのだった。
〝重体〟なんぞ冗談ではない。
もし松吉の身に何かあれば最期の会話があの電話での一人エッチだ。
末後の言葉が「イクッ‼」って、あり得ないだろう。
などと走れば走る程に縁起でもない事ばかりが頭に浮かぶ。
池袋駅前をぐるぐる回って空いているコインパーキングに車を入れてから、池袋演芸場を探してまたさまよった。
噂によれば池袋演芸場とはコアな落語マニアの聖地であり、それにふさわしい謎めいた場所にあるらしい。
何しろ駅前交番に尋ねても、
「寄席? そんなの池袋にはないですよ」
という答えが返って来るのだ。
方向音痴の松吉の気持ちが少しわかった気がする。
ようやく見つけた寄席はビルの地下二階なのだった。騙された気分で極小エレベーターに乗って地下に降りる。
扉が開いた途端に、目の前に強面の男が立っていた。
錦鯉のアロハシャツを着てハンチングを被っているのは、音羽亭弦蔵師匠その人だった。
例の油膜ぎらぎらスーツも余裕で着こなしそうな風体である。
「え?」と直己があんぐり口を開けているうちに、エレベーターの扉が閉まって箱は上に昇ってしまう。
上階で呼び出しボタンを押されたらしい。
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