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第4話 彩羽湖
「ああ、翁。そんな! 僕がやりますよ」
フリーがさっそく使い物にならないので、ニケが率先して荷物を運ぶ。
そして気づく。首都にそんな長居するわけではないのに、なんだこの荷物の量は?
「ん?」
ニケは「あれ?」と首を傾げる。確か昨日、フリーとわきあいあいと準備をして、荷物は少なめにしようと、お互い鞄ひとつと風呂敷ひとつにまとまったはずなのに……?
鞄がみっつ以上あるのはどうして?
「お、翁。なんか荷物増えてないですか?」
戸惑うニケの声に、白衣の背がぎくりと跳ねる。
「翁……? ま、まさか」
キミカゲは勢いよく振り返った。
「べ、別に私も一緒に行こうなんて考えてないよ?」
「……」
ニケの表情がスッと冷める。襟首掴んでフリーを立たせると、キミカゲをビシッと指差した。
「捕まえろ!」
「そ、そんな。ニケ君!」
車の中に逃げ込もうとした翁だったが、フリーが捕らえる方が早かった。百八十センチに抱き上げられ、車から引きはがされる。
「ああ~ん」
「キミカゲさん……」
じたばた暴れる年齢不詳児に苦笑するしかない。ニケの前で下ろすと、おじいちゃんはニケに抱きついた。
「だって。寂しいんだもん。ニケ君たちがいなくなったくすりばこが……やけに空っぽに感じてしまって。夜とかホントにさみしいんだってぇ~」
「むう……」
どうしてこういつも、出発前がごたついてしまうのだろうか。もうクリュにお茶を出さなければいけないほど待たせてしまっているのだが。
幸いにも気が長い方なのか、クリュは車の屋根に登ったり、白髪をジロジロ見たりと、出発を催促する気配はない。
フリーにキミカゲの荷物だけ下ろすように伝え、ぎゅっとおじいちゃんを抱きしめる。
「翁が居なくなったら街のみんな不安がりますから。知ってます? 翁が里帰りしている間、治安がちょっとだけ乱れたんですよ。治安良三点セットの翁と竜がいなかったですからね。神使殿だけでしたから」
キミカゲは拗ねたような顔をする。
「あ、あの子(アキチカ)がいれば十分じゃないか……」
「そんなに寂しいのなら、オキンさんやアキチカさんのところに行けばよいのでは?」
フリーの言葉に、クリュはうげっという顔をした。父親が荒れると分かっているのだろう。
おじいちゃんは観念したようにニケから離れた。これ以上出発時間を遅らせてはいけないと思ったのか。何故その気遣いを他でも発揮できない?
「はあ。他の宿を参考にって、自分で提案しておいてこの体たらく……。情けないね。本当に申し訳ない」
「気にしなくていいですよ」
肩を落とすおじいちゃんを、立たせようとしたフリーがひょいと持ち上げ……後ろに倒れた。
「うわっ」
「ひぇっ?」
「おおい!」
倒れるならひとりで倒れてくれ!
キミカゲの心配だけしているニケだが、ふたりに怪我はなかった。クリュが受け止めてくれていたのだ。
「なにをやってるですか? 車の入り口はこちらです、よっ」
言いながら、フリーだけを車内に放り込む。
「おわー?」
ついでにニケも放り込む。
「わううっ?」
扉を閉めると、放心しているキミカゲに一礼する。
「御前失礼」
「あ、ああ。気をつけてね。頼んだよ」
こうして(ようやく)車輪は動き出す。馬四頭以上でなんとか動く、ブラックリグナムバイタ(世界一硬い木)制の竜車はゆっくりと街を出る。
放り投げられ、中でこんがらがっていたふたりは、備え付けてある座席に座る。もっとも、やわらかすぎる座席に半分埋まるように腰掛けているのはニケだけで、フリーは床で正座させられていた。
本来ならばもっとガタガタと揺れるのだが、竜車はすごく静かだ。
ニケの赤い目が、大して変わらない高さにある白いつむじを見下ろす。
「まーたほっぺに見惚れてやがったな? なんか言い残すことはあるけ?」
慈悲深く訊ねてやると、フリーはキメ顔で頷く。
「ニケに勝るとも劣らない至高のほっぺだった……。触れなかったのが残念だ。くっ!」
「くっ! じゃねえんだわ。このあんぽんたんが」
「あん……ぽんかん?」
「黙れ」
「はい」
ニケは呆れ切った顔で窓の外に視線をやる。窓枠にはなんとガラスがはめ込んであり、仕切られているのに窓の外の景色がはっきりと伺えた。
「え?」
外の景色は、紅葉街内ではなかった。
ガラスにへばりつく。
「いつの間に紅葉街を出ていたんだ? そんなに速度出てたのか?」
首都へ伸びる街道を走っている。途中、乗り合い馬車とすれ違うが、すれ違う人全員が口を開けている。普通の馬車が丸ごと入ってしまうでかい車が走っているのだから当然か。
「ほへー」
馬の全力疾走以上の速度は出ているだろうか。それなのにこの無音と快適さ。一体、この車一台でいくらするんだろう。金持ちは色々と桁が違う。一般の人が一生働いても一台買えないであろう品だ。
お金持ち(オキン)の持ち物にため息をついて感動していると、ふと気配を感じた。
「おあっ!」
背後を見るとフリーが後ろから外を覗き込んでいた。……いや、違うな。こやつが無音で近くに居るときは、たいてい僕のほっぺを見たい時だ。
正解である。
現にフリーは珍しいガラスや外の景色には目もくれず、ガラスに押し当てられているニケのほっぺをガン見していた。
こういう時のこやつの目が怖い。慣れねーなぁ~。
「……」
ニケは座席を指差す。
「まあ、なんだ。座れ」
「うん」
素直に座ったフリーの膝に座る。さっきからやわらかな椅子よりフリーの膝に座りたかった、なんて言ったら調子に乗るから言わない。
白い手が頭を撫でてくる。ニケは遠慮なくフリーにもたれた。
「お前さんの浮気癖は治らんな。なら、僕も浮気してやるぞ?」
自分がされたら目を覚ますだろう。ふふんと踏ん反りがえっていたニケだが……背後から返事がない。
「?」
ち、ちらっと顔だけ後ろに向けると、フリーの口元が笑っていた。正直、今まで見たフリーのどんな表情よりも背筋が凍った。
「……」
「俺はニケを束縛するつもりはないから。ニケの好きにしていいよ?」
ニケは顔を前に戻す。その顔は汗でびっしょりと濡れていた。
「僕の浮気相手が変死体で見つかりそうだから、やめといてやろう」
「えー?」
くすくすと笑い声が聞こえる。ニケは身体ごと後ろを向くと、フリーにしがみついた。フリーはすぐ他のほっぺにふらふらするが、別に自分の側から離れてしまうわけではない。
フリーはこういう奴だ。いちいちヤキモチを焼いていたらキリがない。
彼の腕が当然のようにニケを抱きしめる。
車は今、船の墓場近くを走っているようで、ニケは窓上から垂れ下がっている布(カーテン)をシャッと閉めた。
車内がうっすらと暗くなるが、天井の四方に設置してあるダイヤ型の石が仄かな光を放つ。赤い色が混じる光は、フリーの髪や着物をピンクに染める。
「船の墓場を通り過ぎたらこの布、開けるように」
「はい」
意地でも外を見ないと、顔をフリーの胸元に押し付ける。フリーな特に何もせず、ただ黒い髪や背中を撫で続けた。暇つぶしに書物など持ってきてはいるが、撫でるのを放棄して読む気にはならない。
それから一時間は走っただろうか。
竜車が時間をかけ、ゆるりと停止した。急に止まると中の者が壁に叩きつけられるので、配慮したのだろう。
扉を開け、クリュが入ってくる。
「休憩にするです。外に出てほしいです。ほらほらほら」
そう言って外に投げ出される。
「ふげー?」
曇り空だった。ニケを抱いたまま上体を起こす。
「ニケ。休憩だって」
「んあ……?」
赤い目をこしこしと擦る。よほど安眠できたようで、フリーの着物が涎でべちょべちょになっていた。
地面に下りると、両手をあげて背伸びする。
「ふあ~ぁ。……ここはどの辺だ?」
寝ぼけ眼のニケに、答えたのはクリュだった。
「彩羽(いろは)湖です」
「もうそんなとこまで来ていたのか~。……えっ? もうそんなところまで⁉」
馬の足でも一日以上はかかる、目の前に広がる大きな湖。一時間で着いた。
アキチカが仕える豊穣の女神・染紅大河乃秋神(身体は羽梨という女性)が沐浴を行ったとされる湖で、この湖の水は作物を病から守るという言い伝えがあり、地元の人から大切にされている。
「でも数年前からこの湖、ちょっと変なんです」
「というと?」
同じ高さにある金瞳がニケを映す。
「夜になると湖の中心がぼんやりと青く光る。とかいう話が、まことしやかにささやかれているです!」
クリュは手首を幽霊のように垂れ下げる。
「きっと、近くで死んだ者の怨念です! 霊は水場に集まるというですから」
「ごっば!」
ニケが頭突きする勢いで抱きついてきたため、涎を拭き終えたフリーはひっくり返る。
「……?」
クリュはそのままの体勢でぽかんとする。
「……もしかして、怖い話苦手です?」
白髪にしがみつく赤犬族に近寄るも、小刻みに震えるだけでニケはうんともすんとも言わなかった。
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