5 / 57
第5話 道中
十分後。
風に当たりながら湖を三人でぼうっと見ている。暇なのでフリーにもう一度舞を見せてと頼もうかな~、と悩んでいるとクリュが立ち上がった。
「それでは出発するです。さっさと乗り込むです」
ぽいっと放り投げられる。慣れてきたのかニケはくるんと一回転すると椅子に着地し、フリーは床にべちゃっと倒れた。
「また、一時間後に休憩を取るです」
「? 別に、そんなこまめに休憩を取ってくれなくてもいいよ? 車の中快適だし」
どういう理屈か、車の中は気温が低い。なので、暑い外に出るよりもずっと車に乗っていたいくらいだ。
フリーの言葉に、クリュはダメダメと首を振る。
「座りっぱなしは血の流れがなんたらかんたらで、身体に悪いとキミカゲ様が仰ってましたです」
お盆の里帰りの時、一時間経つとキミカゲがなんか喚き出したので竜車を止めた。「血流が~」とか言いながら屋根にいるオキンとペポラを引きずり降ろす。キミカゲの腕力程度で引きずり降ろされるお二人ではないが、悟り切った顔でふたりは屋根から下りて軽い運動を始めたのである。
ついでに車外に出された泥沼は木陰で蹲っていた。クリュも呼ばれ、一時間おきに皆でラジオ体操(ラジオ無し)をする羽目に……。
思い出しただけでうんざりした顔をするクリュに、フリーは苦笑を返す。
「き……キミカゲさんは身体のことを思って言ってるだけだと思うよ?」
「別に竜は座りっぱなしだからって体に影響ないです……はあ」
盛大にため息を吐くので、ごぅっと音と共にフリーの髪は一瞬オールバックになった。ニケは迷惑そうに髪を押さえている。今のを「攻撃してやる」という意志の元放てばドラゴンブレスになるので、気をつけてほしい。車諸共吹っ飛ぶ。
(ま、まあ。皆で体操をするのは楽しかったです……)
「ん?」
「何でもないです。では、発進するです」
前方にヒトがいないか指差し確認して、また車は動き出す。「毎度御乗車、ありがとう~ございます~。当車は~次~、桃百(もももも)村~、桃百村で泊り~ましゅ」と、上機嫌なクリュの声が聞こえてくる。何者かになり切っているようで、独特な口調が面白い。ニケとフリーは頬を膨らませて笑いを堪えた。
湖を超えて林道に差し掛かる。
細い木がすごい勢いで後方に流れていくのを時折見ながら、書物を読んでいた。
フリーの右腕にニケがぴったりと引っ付いており、頁をめくるたびに頬が動く。
「んふふふふふっ」
「え? 急に笑い出すな」
「ニケが可愛くて……ごめん」
キミカゲの本棚から拝借してきた書物。「薬を塗る時に使うから、薬指」や「毒を飲んで生きた子と薬を飲んで死んだ子」など、一風変わったタイトルの本が多い。中には強烈に後味の悪い物語もあり、それを読んだ日は具合が悪くなり、キミカゲの布団でニケを抱きしめて寝た。暑いうえに狭そうだったがキミカゲは文句を言ってこなかった。それどころか、三人で一緒の布団で寝るのが嬉しかったのか、やたら鬱展開の物語を勧めてくるようになった。だから、精神面の配慮をさぁ。
嫌な記憶を飛ばすように頭を振るい、ニケの鼻をちょんちょんとつつく。
「ニケは首都に行ったことあるの?」
「うん? あるけど記憶にない」
「……どういうこと?」
あ、これ、踏み込んだら駄目な話題だったか? フリーが内心冷や汗を流していると、ニケは指先を舐めだす。
ぺろぺろ。
ぎゅわあああああ可愛っっおあっ。
「いや。僕が生まれて間もない頃。つっても一歳くらいの時か? 家族で首都旅行に行ったみたいなんだ。子育てでへろへろになっていた母さんが「家にこもりっぱなしで心が」ってオトンのこと天井にぶつけてたから」
……どういう状況?
天井にぶつけるって何? その場面が全く想像できない。
「えっと。DV(家庭内暴力)?」
「いや。オトンは強い女性が好きだったようだ」
って、姉ちゃんが言ってた。
(では、ニケも強い女性を好きになるのかな?)
強い女性と考え、レナの顔が浮かぶ。
「だから僕は全く覚えてない。物心つく前だったし」
「ふーん。……ものごころ?」
「あーーーっ」
ニケは頭を抱えた。くっそ! 最近油断してた。物心ってなんだ。知ってるけど説明できない。
ニケが考え込み構ってくれなくて暇になったのか、黒い三角耳をつついてみる。耳は面白いようにぴぴんと揺れた。
「こりゃ! 気安く耳に触るな」
「じゃあ、どうやったら触って良いの? 触るねって一声かけたらいい?」
触らないという選択肢がないフリーを見て、ぷくっと頬を膨らませる。
「触るな」
フリーだからまあいいっちゃいいけど、くすぐったいのは嫌。
「え? はっ? はあっはあっ。う、嘘でしょ……? つ―――ッ!」
心肺停止したフリーが椅子から転げ落ちた。
「触るなっつったくらいで死ぬな阿呆!」
べしっと白髪をはたく。翁の元に引き返そうかと思ったじゃないか。
二分後、現世に戻ってきたフリーは椅子に座りなおす。
「ご、ごめん。なんか胸に、た、耐えきれない衝撃が襲ってきて、目の前が真っ暗に……」
「僕は尻尾平気だけど、耳は敏感なの。びっくりするだろ! お前さんだって耳触られたらイヤだろ?」
といって、フリーの(ヒスイ戦で怪我しなかった方)耳を引っ張ってみる。
ぐいぐい。
フリーは幸せそうな顔をしただけだった。
「なんだ、お前さんは平気なのか」
「なんでそんな不服そうなの? 俺はねー、首が苦手かな。触られるとあひいぃっ」
小さな手が容赦なく首筋に触れてきた。フリーは面白いくらいに飛び上がる。
「おおっ……。お前さんにも苦手なところがあるのか。ふふんっ。これで僕の気持ちが理解できるだろう? 僕の耳を触ったら、お前さんの首絞めるからな」
「俺だけ極刑になっているんですが?」
落とした書物を拾い、汚れや折れ目が出来ていないか確認する。
すると、車が停止した。
「?」
休憩にはまだ早いはず。
フリーが扉を開けて外を見ようとする前に、クリュが扉を開けた。
「おっ……と、クリュさん。どうかしました?」
「道が塞がっとるです」
外に出てみる。むあっとした灼熱空気の中、小雨がぱらつていた。
十分に幅のある林道。クリュが指さす方を見ると、大きな何かが道を塞いでいた。
「なんですかね。あれ」
見たことも無いようで、ニケは首を傾げている。
「あれは九天九天(きゅうてんきゅうてん)です。九つの天を覆うほど巨大になると言われている、神獣の一体です」
なにか、すごいことを言われた気がした。神獣! 神獣? 神獣ってこんな何もない場所に落ちているものなの?
一歩後退る。
「えーっと。道を変えた方がいいのかな?」
小山が道を塞いでいるようにしか見えないが、生物なのか。よく見れば手足っぽい突起もある。太りすぎたアザラシに見えなくもない。
くあっとクリュはあくびをする。
「いえ。怒らせない限り無害な生物なので、このまま轢いて行くです」
「それ、怒るんとちゃいますか?」
「こんなとこで寝てる方が悪いです。そんなわけで、車がガッタンとなると思いますので、しっかり掴まっててくださいです」
「クリュさん? ちょっと?」
竜は基本、怖いもの知らずだ。怖いものがないのだから仕方ない。
喋る荷物(フリーたち)を車内にポイ投げ、車を引いたまま生物の上を歩いていく。かなりの重量が体の上を歩いているのに、球体アザラシは身じろぎもしない。竜車ほどある鼻ちょうちんを膨らませ、爆睡している。
こうしてたいしたトラブルもなく、車は桃百(もももも)村へ到着するのだった。
ともだちにシェアしよう!