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第22話 ニケ復活

 スミの家で夜を明かしたが、ニケが目覚める気配はない。  着替えるとこもせず眠ることもせず、ただ小さな手を握るフリーに家主は居心地悪そうに頭部を掻く。  帰ってきた白い子はフラフラだった。『百合華』か『ジャバウォック』、そのどちらかに暴行されたのだろう。傷だらけで、話しかけても空返事だ。だから無謀だと言ったのに……。  ただ転びまくっただけだと知らないスミは、昨日の残りのご飯に水をかけ、刻んだ人参の葉を乗せた茶漬けモドキと牧草をフリーに差し出す。 「ほら。食べな」 「……」 「食べなくてもいいよ? 君が倒れたらニケごと外に放り出すし」 「……ありがとうございます。スミさん」  疲れ切っている様子ながら、茶漬けを豪快に流し込む。 (お腹減ってたんか)  しかしフリーは牧草には手をつけなかった。勿体ないのでスミがもさもさと齧る。  「助けてくれないとホクトさんとお見合いをセッティングしますよ」とえげつない脅しをされたので協力してはいるが、迷惑なことこの上ない。助けを求める側が脅してくるって、どういうことなの。  こうなればニケが「操縦士」に打ち勝ち、早めに出て行ってくれることを願うだけだ。 「神使様に魔払いを頼んでも良いけど、大金取られるしな」 「え? 無料ではしてくれないのですか?」 「? 君さあ。薬師のとこで暮らしているんじゃないの? お金取ってるでしょ?」 「あ……」  うつむくフリーにでかいため息をつく。  図体の割に女々しいなぁと思えば脅してくるし、単身アジトに乗り込むし、なんなのこの子。妹とニケに友人は選べと教えておかないと。 「スミさん。お金持ってます?」  咽そうになった。牧草が。 「まさか自分の金を当てにしてる? 自分が金持ってると思ってる?」  金などないと言いたげにバシバシと自身の胸を叩く。 「明日食うものにも困るって程じゃないけど、いや、たまに困るけど。貧乏人よ?」 「蓄えないんですか? スミさん」  お気に入りの椅子(木箱)から下りると、汚い床に座っているフリーの胸元をつつく。 「あっても、貸しません」 「神使ってどのくらい請求してくるんですか? 魔払いでしたっけ? 一回いくらくらいです?」  真っすぐ見つめてくる瞳から目を逸らす。 「あー……。さあ? 自分は頼んだことないから聞いた話になるけど、給料一か月分くらい? 同族の美女相手には格安で引き受けたとかも聞くから、値段設定はしてないと思う」 「そうですか。い、一か月分……」  腕を組んで思案の海に浸かるフリーに、スミはからかうように口の端を吊り上げる。 「手っ取り早くお金を作れる方法もあるけどね?」 「えっ?」  スミは腕を伸ばすと、背中に流れている白髪を掴んで目の前に持ってくる。 「この雪みたいな髪を売ればいいんじゃん?」 「……髪?」  髪がお金になる理由が分からない。 (よく見ると透明なんだな)  白い髪を物珍しそうに眺めた後、スミは自身の頭上を指差す。 「自分みたいに毛は白いけど髪は白くない、というヒトは、悔しいんだ。白髪は生き物としての価値が高いって言うか……。国によっては神格化されているところもあるし? 毛が白いんだから髪も白かったらって、思うヒトが大半さ。思わないヒトもいるけどね、そりゃ」 「俺的にはその素晴らしいうさ耳の方が価値がありますけど……ッ」  きつめに髪を引っ張られ、フリーは片目を閉じる。  スミは撫でたり頬ずりしたりすると、何を思ったのか白い髪の束に唇を落とす。 「……ん……」  なんだか身体が小刻みに震える。味わったことのない感覚だ。ニケとイヤレスが膝に乗ってくれたときの衝動に近いかもしれない。  ニケがこんな状態でなければ襲い掛かっていた。そしてうさ耳をめちゃくちゃ触りまくっていただろう。ふあふあと見せかけて、白いうさ耳はちくちくしているかもしれないのだ。早急に確かめたい。  うずうずと動き出そうとする右手を、左手(理性)が折る勢いで掴んで止める。 「……」  危機察知能力天下一と自負するだけあり、スミは一瞬、狼の巣に入ってしまったように腰を浮かしかけた。フリーは一切顔に出していないのに、うさ耳を狙っているのに勘づかれたか。ここにいたのがミナミなら一も二もなく追いかけっこが始まっていたのだろうが、スミが逃げ出すことはなかった。  「命」の危機ではないと思ったのかなんなのか。 「それに、身体を売るって手もあるよ」  髪から手を放し、フリーの身体をあちこちぺたぺたと触る。 「でも、臓器は売るなって……」 「春の方だよ。臓器ってあのね」  「はる」と変換できる漢字と疑問符が飛び交いまくっているであろうフリーの両肩に手を置き、体重をかけて押し倒す。  身体を強化していないフリーの腹筋ではゆっくりと倒れるということが出来ず、後頭部を割と強めにぶつけた。 「いったいよ! スミさん……?」 「白髪が相手してくれるって言うなら、結構吹っ掛けても買ってくれる変態はいるかもな?」  珍品を見るように舌なめずりをし、迷いなく顔を近づける。  唇同士が重なり合う寸前で、大きな手が割って入ってきた。手のひらにキスをしたスミが、不満そうにフリーに目をやる。 「なに?」 「こっちの台詞なんですけど?」  頭部が痛むのでひとまず押しのけようと胸元を押すが、スミはどいてくれない。ぐっと力を込めてみたり腕を引っ張ったりしてみるも変化なし。 「あ、あれ?」  自称最弱の種族にさえ力負けしている現実に、フリーは思ったよりショックを受けた。  スミもかわいそうなものを見る目になる。 「え……? え? 何の種族だっけ? 貧弱過ぎない?」  涙ぐみぷるぷると震え出す。腹を蹴り上げてやればさすがに退くだろうが、ニケの知り合いを蹴っちゃって良いものか。  自分より弱いという点が気に入ったのか、じわぁと、猫が獲物をいたぶるときに似た笑みを広げる。  スミの指が着物の上から胸をくすぐる。痛みはなかったがぞわぞわと背中に鳥肌が立った。悪寒とも違う、これは?  説明のできない気持ち悪さに、フリーは手首を掴む。 「ちょ、ちょっと。やめてなんか、き、気持ち悪い」 「ふーん?」  抗議など聞こえていない、いや、聞く気など無い様子。  自由な片方の手でフリーの顎を掴むと、自分とは形の違う耳に噛みつく。 「な、えっ?」  幸いなことに甘噛み程度であったが、ぴりっとした痛みは走った。  ……するとここで、なんだか無性に腹が立ってきた。  腹の底から、這うように怒りが込み上げてくる。なぜこんなに嫌な気持ちになるのだろうか? と自分でも不思議に思う。これがニケなら、フリーはむかついたりしていないはずだ。むしろ喜んでいる気がする。  では、スミとニケ。何が違うのか。  いや、ニケでなくても、キミカゲやリーンではどうか? もちろん彼らがこんなことをしないとはわかっている。想像してみるも、嫌な気はしない。  考え事に脳を割いているとスミが頬を擦り付けてくる。嫌ではなかったが、もちもち成分が足らない気がした。  スミに腹が立つ理由は。 「うーん……? そんなに親しくないからかなぁ?」 「うん?」  では、クリュなら? 親しくはない。むしろ思いっきり嫌われた相手であるが、クリュがもしこんなことをしてきたら、フリーは涙を流してお礼を言っているだろう。親しさは関係……あるだろうが、そこまでは無い気がする。  では? 「うう~ん?」 「さっきからなに……?」 「あー。考えが纏まらないっ。どいて!」  足の裏で腹を押し、身体を横に倒すとスミはころんと床に転がった。ニケほどの力は無くて助かったが、スミはむすっとした目で睨んでくる。倒れたまま。 「脅された上に協力までしてやっているんだから、このくらいはしても良いじゃん?」  そうだ。彼はある意味被害者だ。フリーたちの事情に巻き込まれているのだから。そうとわかっているのに、どうしてこんなにムカッとしたのだろう。 「!」  怒りを察知したスミが素早く飛び退いて距離を開ける。彼を捕まえようとした手が空を切る。それに彼は嘲笑う。 「捕まえられると思ってるのか? ふにゃふにゃしてると思いきや、気が短……」  言葉の途中で、頬を引きつらせた。  危機察知がガンガン警鐘を鳴らしている。  不発弾の近くにいるかのような不安感が、どしっと心臓に伸し掛かる。  フリーはのそりと起き上がる。長い髪で表情は窺えない。  今こそ逃げ出したいのに、出口の反対方向に飛び退いてしまった。外に出るにはその前にいるフリーを突破しなければならない。 (あの白い子そんな素早くないし、余裕でしょ)  強がって笑うも、足が動かない。爆発寸前の気に包まれ、呼吸が早くなる。  表情のないフリーがこちらを見る。  窮地、だった。  そのとき。 「――ニケっ?」 「え?」  空間を満たしていた怒気が霧散する。 「ニケの声が聞こえた!」 「え? 何?」  隣の部屋――辛うじて室内と呼べる寝室――に飛び込むと、モヤから逃げおおせたニケが目を覚ましていた。

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