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第59話 昭和は長い

 懐かしがっているが、63年も続いた昭和には それぞれのチョイスがある。  ざっくり言っても戦前と戦後。今は令和。戦後80年が過ぎた。  もちろんディアボラに来るマダムたちは戦後も戦後、ずっと最近の世代だ。  一口にディスコと言っても、微妙な時代の差や、地域性がある。  ディスコ全盛期の六本木や赤坂は外国人が多かった。  そして少し格下だがその分、乱立するディスコは新宿に多かった。ブームが去るとそのほとんどはサパークラブ等に業態を変えた。  それぞれに特色があって、六本木でも溜池方面はサーファーが多かった。ポーズだけの陸サーファーだ。西麻布の方は、黒人が多かった。みんな踊りが上手い。  赤坂は、芸能人が多くてミーハーがそれに集まって来た。  新宿はある意味、昔のゴーゴー喫茶とかの名残りで筋金入りのダンスマンがたくさんいた。ステップを自ら作り出し、流行らせる、かっこいい人たちがいた。  それに交じって北関東あたりから出て来た初心者も多かった。  モード系のおしゃれなディスコ以外のブームはすぐに去った。  生き残ったディスコは場所を湾岸に移動しておしゃれなモード系に拍車がかかった。音楽もユーロ系。おとなしくなった。  ディアボラの今回のコンセプトは、70年代、主にモータウンレコードのソウルミュージックだ。  シュープリームスやスリーディグリーズ、J.B.ジェームス・ブラウン、マービン・ゲイやスモーキー・ロビンソンとミラクルズ。  テンプテーションズやフォー・トップス、ジャクソン・ファイブ、上げればキリがない。  モータウンはヒップホップのスタンダード。 ディアボラのホストたちは、みんな生まれる前だから、逆に新鮮なようだ。 「全然古臭く無いよ。 ボクはこんなノリ、嫌いじゃ無いよ。」  顔がアメリカンそのもののショーンは、美形でマダムたちに受けがいい。  ショーンはマダムに呼ばれると、必ずヘルプのホストを立てて、自分が更にそのホストのヘルプになる。本指名は譲ってサポートに徹する。それで先輩ホストたちは、一回同席するとショーンを好きになってしまう。根っからの人たらしなのだ。 「ボク、ホストは天職かも。」 楽しそうに働いている。美貌のダンサーとか言われている。

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