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第2話

 自分がよく知る人物の濡れ場というものは、見ていてなかなか気恥ずかしいものである。  普段の人柄を知っていると、余計にそう思うもの。穏やかで落ち着いている人間が、ガツガツと肉欲に溺れているさまを直視できず、つい目をそらしてしまった。 「この女優さん、めちゃくちゃ胸のかたちがいいんだよなぁ。ちょっと見惚れちゃったよ」  今まさに、その胸のかたちがいい女優と、自分が絡み合っているシーンを見ながら、久秀はしみじみ呟く。 「見てのとおり、俺めちゃくちゃ頑張ってんのにさ、この子カットかかったらシレっとしてるんだよね。いやぁ、プロ意識高いわ」  呑気にビール缶を飲み干して、久秀はおかわりもってくるねと席を立った。本人がいなくなって、ラスティは詰めていた息を吐く。  数か月ぶりのオフで時間が出来たので、一人映画祭を開催しようとレンタルビデオ屋に来た時のことだ。  子ども向けから話題の作品まで、いろんなものを見ようと物色していたところ、任侠もののコーナーで見慣れた顔を見つけた。DVDのパッケージには衣服がはだけた清純そうな女性と、無精ひげの男が絡み合っていた。その男に見覚えがあったのだ。 「久秀さんや」  見知った顔が女性と並んでいる絵がおかしくて、からかうつもりで久秀にパッケージの画像を送りつけた。すると返事は意外にもすぐに返ってきた。 『それ、うちにあるから一緒に見よう』  それっきり返事は来なかったが、十九時頃に稽古が終わったと連絡があり、ラスティは久秀の家を訪れた。  久秀の家に来るのは初めてではない。これまで何回か来たことがある。1LDKでお風呂とトイレは別。入ってすぐにバニラのいいにおいがする。彼が愛飲する煙草のにおいだ。  ビールやらチューハイやらおつまみやらを、しこたま買い込んでのDVDの鑑賞会である。  パッケージからある程度予想はしていたが、セクシーなシーンが多めの純愛ラブストーリーだ。  入れ墨の彫師の男が、任侠一家の一人娘と恋に落ちる。愛の証として、娘の体に墨を入れていくのだが、その度に濃厚な濡れ場がある。アダルトビデオではないので、露骨なシーンはさすがにないが、それが余計に一種のいやらしさを出しており、いたたまれない気持ちになったのだ。  ラスティはリモコンを操作し、DVDを一時停止する。これ以上は耐えられない。 「はは、坊ちゃんには刺激が強すぎましたか?」 「やかましいわ」  冷やかしながら、追加のビールを持ってきた久秀に蹴りをいれる。そういった動画と比べたら、この作品の絡みなぞ大したことはないのだが、問題は誰が関わっているかである。 「なんか、うまく言えへんのやけど、めっちゃ気まずい」  素直に思ったことをいうと、久秀は声をたてて笑った。 「お前そんなに繊細なやつだったっけ? 意外だなぁ」  隣に座ってわしゃわしゃとラスティの頭を撫でまわす。 「こういうシーンでドキドキせえへんの」 「好きでもない相手としたところで、なんとも思わないよ」  久秀はなんでもないことのように言って、ビールのプルタブを上げひと口飲んだ。そして、ラスティのオレンジ色の髪を優しく撫でる。 「なぁ、キスしてみない?」 「はぁ?」  突然の爆弾発言に、ラスティは素っ頓狂な声を上げる。酔っているのかいないのか、久秀の顔からは読み取れない。いたって普段通りの彼だ。 「アンタ、酔ってんの」 「あー、そうだな。酔ってるよ」  また普段通りの声で言って、撫でていた手を髪から頬に降ろす。ゴツゴツした手のひらの感触に、ラスティの体が跳ねた。久秀の顔が近付いてくる。顎を持ち上げられ、ふにっと柔らかいものが唇に押し当てられた。  一瞬の触れ合い。それが離れると、久秀はふっと笑う。胸がドキっと高鳴った。 「顔、真っ赤だな」  久秀の低い声が耳元で囁かれる。恥ずかしくなり距離を取ろうとすると、腕を掴まれてしまった。 「ドキドキした?」 「そ、そりゃビックリするわ」 「そっか」  久秀はラスティの腕を離すと、そのままぎゅうと抱きしめてきた。  ドクンドクンと心臓が鳴る音が聞こえる。自分のものなのか、久秀のものなのかわからない。 「もう一回、いいか」 「……うん」  今度はゆっくりと顔を近づけられる。至近距離で見つめ合う。  ラスティは目を閉じ、受け入れる体勢を取った。  再び、柔らかなものを感じる。しかし、それは先ほどよりも少し長く感じた。  ちゅっというリップ音と共に離れて行ったそれに名残惜しさを感じながらも、目を開けると、真剣なまなざしの久秀がいた。 「俺、お前のこと好きだわ。付き合ってくれない?」  唐突に言われた言葉に、ラスティはパチクリと瞬きをする。 「……はぇ?」 「はぇ? じゃなくて『はい』か『いいえ』かどっちだよ」 「いや、急すぎて思考回路が追い付かへんけど……」 「ま、そうだろうな」  そう言って、久秀はまたキスをしてきた。今度は遠慮なく舌を絡めてくる。  ディープキスなど初めてではないのだが、ラスティはそれどころではない。  キスよりも、久秀の言葉が耳から離れない。予想をしなかったそれに戸惑っているのだ。 『好きだわ、付き合ってくれない?』と久秀は言った。  今までそういうことを匂わせるような態度を全く見せてこなかっただけに、衝撃が大きい。  そもそも、久秀はモテる。女性経験だってあるだろう。その彼が、なぜ自分を選ぶ必要があるのだろうか。  疑問ばかりが浮かんできて、ぐるぐると頭の中を巡る。 「ちょ、ちょっと待って」  なんとか、久秀を引き剥がし、呼吸を整える。 「なんで急に……」 「ずっと一緒にいるし、嫌いじゃないし、一緒にいて楽しいし、気が楽だし」  指折り数えながら、理由を挙げていく。どれもこれも、自分が言われても嬉しい言葉ばかりで、ますます混乱してしまう。 「それが理由じゃ、不満?」  小首を傾げて聞いてくる久秀に、何も言えなくなってしまう。 「いや、でも……いきなりすぎるやろ……」 「そうか? 結構前から好きだったんだけどなぁ」  好きという言葉にどきりとする。今更だが、意識して顔が熱くなる。 「あのさ、こういうこと聞くのはアレやねんけど……勃つんか?」 「そりゃあ、男だからな」  さも当然のことかのように、久秀は言う。なにを疑問に思う必要があるのか、といった風である。 「やなくて! その、オレはおっぱいないし、筋肉あるし、女の子みたいに柔らかくないやん。それで抱きたいと思うんかなって」 「あぁ、そこか。俺はどっちもいけるから問題ない」 「は!?」  さらりと告げられ、思わず大きな声が出てしまう。 「いや、それ、初耳なんやけど」 「言ってないからなぁ」  色めき立つラスティにも、久秀はのほほんとしている。  そんな彼に、ラスティはため息をついた。 「……てっきりノーマルなんやと思ってた」 「アメリカにいた時は、彼氏と彼女いたことあるし。あっちじゃ、珍しくもなかったぜ」  久秀曰く、アメリカで修行していたとき、芸の肥やしとして男女両方と肉体関係を持ったらしい。  その時は、本当に性欲処理の意味合いが強かったようで、恋人同士の甘いものとは違うものだったそうだ。  体が反応するのは、どちらかと言えば女なのだが、男でもいいなと思った相手には反応をみせるらしい。 「正直、お前を抱いてもいいかなぁ、って思うくらいには惚れてるよ」 「なっ!」  本日三度目の爆弾発言に、ラスティは絶句する。 「ただ、お前のこと大事にしたい気持ちもあるんだよなぁ。まだ若いのに、俺みたいなオッサンに捕まってほしくないっていうかさ」 「なに言うてんの」 「そんなわけだから、ちょっと考えておいてくれる?」  そう言って、久秀は立ち上がる。もう寝るつもりなのだろう。 「ほら、今日は泊まるんだろ? 早く風呂入ってこいよ」 久秀はそう言い残して寝室へ消えていった。  残されたラスティは、ソファの上で膝を抱えて丸くなる。 (マジで何なん)  突然の告白に、頭を抱えたくなった。  今までそういった素振りを見せなかっただけに、どうしたらいいのかわからない。  そもそも、久秀は自分に恋愛感情を抱いているのだろうか。  今日までの言動を思い返しても、冗談めいたものしか出てこない。  好きだとか愛しているだとかいう言葉も聞いたことがない。  自分の勘違いなのではないか。そんな考えが頭を過る。  しかし、真実であればいいなと期待する自分がいる。彼と女優の濡れ場を見て、キスをされて、抱いてもいいと言われて、想像しなかったと言えば嘘になってしまう。  本当に彼が自分を愛してくれているのなら、そういった関係になることもやぶさかではないのだ。  でも酒の席の言葉だ。酔っているからあんなことを言ったのだと、思ってしまうのもまた事実であった。 「勘弁してくれ……」  久秀の言動一つ一つに振り回されるのが、今はただ辛かった。

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