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第3話

 高野久秀はラスティより十歳上の四十二歳。黒の革ジャンと少しうねった髪がトレードマーク。本場ブロードウェイミュージカルの経験者で、英語も堪能。歌やダンスより芝居で魅せる役者である。  幼いころから、地元の児童劇団に所属したり、中学高校と演劇部に所属したりするほど根っからの芝居好きで、大きくなったら役者になるのが夢だった。  高校卒業と同時に、本格的に芝居を学ぶためにアメリカに渡った。そして、ミュージカルのメッカであるブロードウェイで十二年間修業をし、三十路を機に日本に再び戻ってきた。  ラスティと出会ったのも、今の事務所に所属して間もない頃であった。  久秀は同じ事務所の先輩である雨粒虎雄とダブルキャストだったので、日本に帰ってきて初めての舞台であっても不安はなかった。だが、初共演する二十歳のラスティアス・ライジェルは芝居経験がないらしい。  なんとなく心配になったのだ。もちろん、これが失礼なことだというのは分かっている。それでも、稽古場に入った段階で、不安を全面に出しているラスティの支えになればと思ったのだ。  あえてラスティの挨拶を真似てみれば、休憩時間に声をかけられた。 「えっと、高野さんでしたっけ? あれなんやったんですか」 「こんな偶然あるんだね。運命ってやつかな」 「なんすか、それ」  緊張が抜けたように笑うラスティ。きっとこれが素の彼の笑顔なのだろう。少しでも緊張が取れてよかったと久秀も笑顔を返した。  稽古が本格的に始まると、芝居未経験なラスティはすぐ壁にぶつかった。セリフは覚えられても、感情が伴わず、棒読みになってしまうのだ。芝居初心者によくあることなので、久秀はラスティの相談に真摯に応えた。時に優しく、時に厳しく。  それが功を奏したのか、ラスティの芝居技術は稽古初日に比べると、メキメキと上達した。その成長を見るもの嬉しかったし、なにより褒められるたびに報告してくる彼の健気さに、庇護欲とは違う感情が芽生えているのを実感した。  そして、公演初日。案の定、ラスティは舞台袖で不安そうに久秀に助けを求めた。 「高野さん、どないしましょう。もう始まってまう」 「大丈夫。俺も不安だから」 「すんません。オレ、セリフ飛んだり出トチったりするかもしれへん」 「うーん。そういう意味で言ったんじゃないんだけどなぁ」  泣きそうな顔で弱音を口にするラスティに、久秀は苦笑してから彼の肩をポンッと叩いた。 「一個アドバイスをしよう。まず舞台に出たら、客席を見てやれ。キミほどの色男が出たら空気が変わるから」 「それが不安なんです」 「下を向いているから不安になるんだ。堂々と前を向くこと。舞台上で自我は絶対に出すな。舞台に立っている以上、そこにいるのはラスティアス・ライジェルじゃない」  正面から彼の顔を見つめる。空色の瞳が不安に揺れているが、それでもなんとか立ち上がろうという意志が見えていた。 「キミのボスは誰だ? この俺だろ。しおらしくついてきたらいい」  首輪の鎖をグッと引っ張る。むろん、それはラスティの衣装の一部だ。  久秀の役とラスティの演じる役は主従関係を結んでいる。久秀は自身のセリフを交えて、ラスティに発破をかけた。  何度も稽古場で聞いたそのセリフに、先ほどまでの緊張がほどけていく。 「はい、高野さん。ついていきます」 「その意気だ。楽しんでいこう」  力強くうなずくラスティに久秀は、もう一度ポンと肩をたたいた。  初日から千穐楽までの七日間。ラスティは毎日成長していった。お客様から感想を直接聞いたり、アンケート用紙に書かれた感想に目を通したりしたことが、彼の成長の一端を担っていたのだろう。  千穐楽のカーテンコールで感極まって泣いてしまったラスティに、お客様はあたたかい拍手を送ってくれた。  久秀はラスティと目を見合わせてハイタッチをしながらハケていった。  お客様のお見送りをして、帰り支度をする際、ラスティがカーテンコール以上に顔をくしゃくしゃにしてやってきた。 「高野さんっ、ほんとうに、ありがとうございました!」 「おいおい。なに泣いてるんだよ。せっかくの色男が台無しだぜ」  タオルを渡して、背中をさすってやる。 「オレ、高野さんがおらへんかったら、ここまで、やれへんかったとおもう。ほんま、おおきに」 「やめろやめろ。俺は何もしてないよ。ライジェルくんの実力だって。初舞台でここまで成長したのは、キミが頑張ったからだよ。休憩中も休まず練習して、ダメ出しも積極的に聞きに行ったから。君の努力の結果だ。よく頑張ったね」 「う、うえぇぇん! 高野さぁん!」 「だから泣くなって」  ついには声を上げて泣いてしまったラスティを、久秀は苦笑しながら抱きしめた。  絡みが多いということもあり、一緒にいる時間が長かったラスティ。わからないことがあればすぐに質問をしてきたラスティ。不安なとき褒められて嬉しかったとき、ラスティは何かにつけて久秀の傍によってきた。  子犬のように無邪気に懐いてくるこの後輩に抱いていた庇護欲は、いつしか『好き』という感情にすり替わっていた。  共演するたびに彼は、自分を頼ってきてくれた。  お互いの呼び方が変わってからもそれは変わらず、休日に一緒に出掛けるようになっても、ラスティは常に久秀を立てるようなふるまいをする。  ラスティが己に向けている感情は『尊敬』という名前だろう。  初共演の時に助け舟を出したから、彼は自分を慕ってくれている。  共演をしていなくても、彼はなにかあれば連絡をしてきたし、それに応えるのも好きだった。  ――アイツが頼っているのは俺だけ。  もともと強い独占欲がそうした優越感を抱かせた。  そして、自分は察しがいい。  ラスティがロミオとジュリエットの時以来、こちらに恋愛感情を抱くようになったというのはすぐに分かった。  しかし、自分は彼ほど素直ではないのだ。好きだと伝えても信じてもらえないのではないかと思ったし、下手に関係を壊すことも嫌だった。  と、同時に待つことも嫌いだった。  だから、なにかきっかけを探した。酒の席でもいい、出かけた後でもいい。そういう雰囲気を作ることに関しては、久秀はずば抜けて上手いのだ。  他の誰かのものになってしまうぐらいなら、自分のものに。そうした気持ちが久秀の中にはあった。  そんなときだ。ラスティから一通のメッセージが届いた。  かつて久秀が出演した映像作品のDVDを見つけたと、画像付きで送ってきたのだ。  おそらくからかうつもりなのだろう。表も裏も女優と絡んだ写真が使われているのだから、濡れ場の一つや二つあることぐらい彼もわかっている。そこに深い意味はない。  だから、こちらもそれに乗ってやろうと思った。 『うちにあるから一緒に見よう』  稽古中だったのでそんな短いメッセージしか送れなかったが、久秀に従順な彼はおとなしく返信を待っていることだろう。  なので、稽古が終わってすぐに連絡を入れて、その日のうちにDVDの観賞会となった。  最初のうちはラスティも面白がっていた。  久秀が登場するたびに、厳ついだの本物だの好き勝手言っていたが、いざ濡れ場に差し掛かると急に静かになる。酒のせいもあるのかもしれないが、頬を赤くしてどこか落ち着きがない。  そんな姿を見て、興奮しないほうがおかしい。  今すぐにでも、彼をどうこうしてやりたいという気持ちが湧いた。  ふつふつと湧く情欲をごまかすように軽口を叩いても、いつもとは違う雰囲気をまとうラスティから目を話すことが出来なかった。 「こういうシーンでドキドキせえへんの」 「好きでもない相手としたところで、なんとも思わないよ」  可愛らしいことを訊いてくるラスティに、本心で答える。  ビールを一口飲んで、そしてほとんど無意識に、 「なぁ、キスしてみない?」  そんな言葉が飛び出てしまった。  口に出してしまってからやってしまったと後悔したが、ラスティは驚きの声を上げるだけで拒絶しなかった。  酔っていると言い訳して、ラスティの頬に触れ顎を掬い上げ、キスをした。  ラスティの唇は想像以上にやわらかく、瑞々しい。 「ドキドキした?」  離れてからそう問えば、彼はびっくりしたと答えた。ここでも拒絶はしなかった。  抱きしめて、もう一度キスをさせてくれとねだると、彼は頷いた。  ラスティアス・ライジェルは良くも悪くも素直な男だ。嫌なことは嫌だときっぱり言う。  しかし、それをしてこなかったということは、少なくとも嫌われてはいないはずだ。  なら、言うなら今しかない。 「俺、お前のこと好きだわ。付き合ってくれない?」  ラスティは空色の瞳を丸くして大きく瞬きをする。  戸惑う彼に構わず、三度目のキスをしてやる。今度は戯れではなく、舌を差し入れてやった。  奥に引っ込みそうになるラスティの舌を捕らえる。必死にしがみついてくる彼のいじらしさに、下半身が熱くなる。  ――このまま組み敷いて最後までしてやりたい。  邪な感情が鎌首をもたげたとき、ラスティが腕を突っ張って逃げた。  なんで、どうしてと混乱するラスティに一つ一つ丁寧に理由を述べてやる。  そのどれもがまごうことなき本心だ。  性的に興奮するのかと聞かれたときは言葉で伝えるだけにした。なんなら見せてやりたかったがさすがに怯えさせてしまうかと思い堪えたのだ。  抱きたい、とはっきり言葉にすると、さすがのラスティも絶句して言葉が出ないようだった。  抱きたいけれど、大切にしたいのも本当の気持ち。  だから、考えておいてと彼に逃げ道を作ってやった。  結局、その日のうちにラスティに返事は貰えなかったが、久秀は大満足していた。  彼からの返事を待つと決めたものの、諦めるつもりはない。  彼を逃がすつもりなど毛頭ない。  高野久秀はとにかく執着心と独占欲の強い男なのである。

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