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第4話
久秀から告白をされてから数週間後。
いまだにあの時の唇と舌の感触が残っている。夢にも出たほどだ。
そして同時に、あのDVDの濡れ場をも思い出す。女優に迫る「男」の顔をした久秀を。
あのまま抵抗しなければ、なし崩しに『そういうこと』になっていたのだろうか。
ソファの上に押し倒されて、キスをされて、舌を絡められて、その舌が首筋をなぞり、上半身から下半身をたどり。
というような内容の夢をよく見るようになった。そのあとは決まって夢精していて、汚れた下着を洗いながら自己嫌悪に陥るのだった。
それだけだったらまだ可愛いほうである。夢の内容はどうであれ、健全な成人男性ならよくあることだ。
久秀からの告白に動揺したのかどうか自分でもわからないが、あのあと件のDVDをわざわざ注文し、定期的に見てはマスターベーションのおかずにしているのだから、訳が分からなくなる。
しかし、このマスターベーションが問題なのだ。
DVDを見始めると、久秀のセリフにいちいち反応してしまっていた。
「ラスティ」
そんなとき、久秀から呼ばれる自分の名を反芻しては興奮し、良いようにされている女優と己を重ねて致すのだ。
一度で終わりならまだいい(よくない)が、その背徳感にハマっているのか、何度も何度もDVDを見直してしまう。そしてまた興奮のループだ。
こんな変態的な性癖はないと言い聞かせても、身体が言う事を聞かない。
あの部屋でこのDVDを見てドキドキしたのは本当だ。でもそれは、生理現象の一つ。濡れ場を見れば誰だってドキドキする。キスされたのも酒のせいだし、好きだと言われたのもきっとからかわれただけ。
あの人はそういうところがあるから。
そう思うとなぜか、胸がちくりと痛む。
自分のこの気持ちもきっと、尊敬する先輩に対する親愛の感情だ。決して、恋愛のそれではない。
そう言い聞かせても、この背徳行為は収まらないし、夢も同じものの繰り返し。
じゃあ、なんで自分は男同士の性行為のやり方を調べているんだ!
やり方を調べたものだから、見る夢がどんどんリアルになっていく。
最近見たのはこんな夢だった。
「ラスティ」
と呼ばれて振り返る自分の唇を奪った久秀は、そのままラスティをソファに押し倒すと服の上から身体のラインを撫でてくる。その手は次第に胸元へと滑り降り、突起を探り当てると指先で軽く弾いた。
「ぁっ、あっ……あかん」
言葉とは裏腹に体は久秀の愛撫に反応し快感を貪り始めるが、彼の唇によって言葉すら封じられてしまった。
首筋から鎖骨の辺りまで執拗に舌で舐められると、くすぐったさとそれを上回る快感に襲われる。
久秀の指は器用にラスティのネクタイを抜き取り、ボタンを外していく。その指先が胸の飾りを摘むと、電流が走るような感覚に襲われ、体が大袈裟に跳ねた。その反応を楽しそうに見つめる久秀は「可愛い」と言って笑うのだ。そしてラスティの下半身をまさぐり、既に勃ち上がりかけた性器に触れるとゆっくりとしたストロークを繰り返す。先端からはとろとろと先走りが流れて止まらない。
「あ……ん……ぅあ……」
声を殺すなと言われ、唇を開けばすぐさま舌が侵入してくる。歯列をなぞられ上あごを擦られる感触は今まで経験した事が無く、未知の快感に頭が蕩けていく。
そのあいだも下肢への刺激は絶えず、次第に高みへと追い詰められたラスティの性器からは先走りが止めどなく溢れ、ついには射精感を覚え始めていた。それを悟った久秀は再びラスティの頭を優しく撫でると、ラストスパートをかけるように動きを加速させたのだ。
「んっ、んぅ……ぁっ、ああぁあっ!」
限界を訴える声は久秀が塞いでしまったためくぐもった声となり、白濁は勢いよく吐き出された。
その最中も久秀の動きは止まることなく続き、達したばかりの身体は更なる悦を求めて貪欲に彼のものを欲してしまうのだ。その頃にはすっかり理性など無くして、ラスティ自身も己の欲望に従って自ら足を開いていた。
「あっ……ああ……んぅ」
「欲しいか?」
そんな問いかけと共に秘孔を撫でられ背筋が粟立つ。早く欲しいとねだるように腰を揺らすと久秀は笑い混じりに「いい子だ」と言ったあと、ゆっくりと熱い楔を侵入させていく。久秀のものが入ってくる瞬間は圧迫感を感じたものだが、それも一瞬のこと。全てを受け入れた後に訪れたのは凄まじいほどの悦楽と多幸感だった。
「動くよ。ラスティ」
余裕の無い声でそう告げると律動を始める久秀に対し、ラスティもただ喘ぐことしか出来なかった。
何度も突き上げられたせいで、結合部分は熱く融けてしまったのではないかとすら感じる程に激しく穿かれ、あまりの快楽に気が遠くなる程だ。
それでも身体は素直に反応して更なる熱を求めているのだから、困ったものである。そんな思考回路も次第に焼き切れたように何も考えられなくなる。
ただ目の前には余裕のない表情の男がいる。それが嬉しくて愛おしくて仕方ないのだと言う事だけは分かった。
「あっぁ……あぁ……んっ……あぁああ」
意味の無い言葉しか口に出来ないが彼はそれでも良かったのだろう。何度も口付けを落とし、ラスティ、ラスティと名を呼んだ。
その度に胸が高鳴り、きゅうと締め付ければ彼は切なげに吐息を零したあとラスティの中を満たす熱を吐き出すのだ。
それに釣られてラスティもまた何度目かの絶頂を迎えると意識を手放し――
というような内容だった。気分は最悪、以外のほかでもない。
そのたびに、調べなければよかったと後悔する。そして、夢の中でとはいえ、尊敬する先輩であり兄貴分であり親友でもある相手との、性行為に申し訳なさすら感じてしまう。
それが目下、ラスティの大きな悩みの種であった。
「はぁ」
大きなため息が漏れる。今朝もそんな夢を見て、一枚下着を汚してしまったことを思い出してしまう、
「ため息をつくと幸せが逃げるそうですよ」
ラスティの正面の席に座り、迷惑そうに眉をひそめているのは、彼と同じ事務所の演劇ユニットに所属する俳優であり、高校時代からの友人でもある一稀靖だった。
「どうしたんです。いつものアナタらしくもない」
そう言いながら靖はビールを傾ける。
「悩みがあるなら聴いてやってもいいですよ」
などと申し出ているが、本心では面白がっているのが見え見えだった。
「悩みというか、なんというか……」
言い淀み視線を逸らすと彼は「あぁ」と何かを察したような声をあげた。そして意地の悪い笑みを浮かべると一言。
「もしかして好きな女性でもできたとか?」
それとも相手を妊娠させたんですか、と続けるものだからたまらない。
「アホぬかせ! そんなわけあるか!」
ついつい大声になってしまった。すると靖は興味深げに目を細め、ラスティを真っ直ぐに見つめた。
「そんなにムキになるなんて怪しいですね」
深紅のカラーコンタクトの入った瞳に、好奇心が色濃く宿る。こうなった靖はとにかくしつこく、こちらが口を割るまでは追及がやむことはないだろう。
観念して、渋々と話を切り出すことにした。
「お前のそういうところ、ほんま嫌いやわ」
ため息交じりにそう言うと、靖はおかしそうに笑った。
「それはそれは、お褒めに預かり光栄です」
別に褒めてはいないのだが、いちいち否定するのも面倒くさい。
やっぱり一人で飲めばよかったなと考えながら酒を飲むが、それすらこの友人には見透かされているようで癪だった。しかしだからといって逃げだそうものなら、またしつこく問われることになるだろう。
そうなれば更に厄介なことになるのは明らかである。
そんなラスティの心のうちなど知る由もなく、靖は愉快そうに笑っている。
「それで、その悩みとはなんです?」
グラスを傾けながら問いかけられ、ラスティはまたため息を大きくついた。
「なぁ、高野久秀さんってわかるか?」
「高野さん? 共演したことはないですけど、アナタとよく共演されてる、あの背の高い方ですよね」
なにを突然、と靖は訝しむように眉をひそめる。
高野久秀という役者とは靖は共演したことがない。しかし、ラスティの舞台を見に行くたびに共演している印象が強いので、靖も彼がどういう役者かは知っていた。背が高く堀の深い顔立ちをしていて、そして抜群に芝居が上手い。
ラスティの舞台を見に行ったとき、一度だけ挨拶をしたことがあるが、人懐っこい笑顔で好意的に対応してくれたのを覚えている。
少なくとも靖の中では『良い人』の印象が強いのだが、その彼がどうしたというのだろうか。
「どうしたんです? もしかしてイジワルされてるとかですか?」
「イジワル……」
靖としては何気なく言ったつもりだった。他意などあろうはずもない。それもそうだ、何も知らないのだから。しかし、ラスティはその言葉になぜか反応し、あろうことか頬を少し赤く染めている。
これにはさすがの靖も面喰ってしまう。なぜ、そんな顔をするのか。
「えっ……なに、もしかして、そういう話?」
靖は動揺しながら問いかけるが、ラスティからは返事が無い。そして無言のままグラスを口に運ぶ。
これはかなりの重症だと、直感的に理解した靖は、思わず居住まいを正し真顔になった。
芸能界という闇を生きる存在に同性同士というのは珍しいことでは決してないが、それはあくまでも秘密裏に行われるものであるというのが定説だった。少なくとも、こんな堂々とした暴露話など聞いた覚えがない。
それにラスティは何か隠している。それが気になって仕方が無かった。
靖にとっては大切な友人だ。そんな男が思い悩んでいるというのならば黙ってはいられない。たとえそれが同性愛の話だったとしてもだ。
「とりあえず、聴かせてくれません?」
そんな靖の真剣な眼差しにラスティは観念したように頭をガシガシと掻きむしると、大きなため息と共に口を開いたのだった。
「実はな、オレ……久秀さんの夢をよくみんねん」
思わず飲みかけていたビールを吹き出すところだった。それを堪えられたことは素直に自分を褒めてやりたいと思う靖だった。
しかし、そんなことを気にしている場合ではない。靖はどうにか平静を装いつつ聞き返す。
「それで……?」
「久秀さんとシてる夢」
瞬間、ビールの泡が消えたような気がした。否、それは錯覚などではなく事実である。
好きとか愛してるではなく、そういう行為に及んでいる夢を見ているのだと、この友人は言うのだ。話が飛躍しすぎである。
ひとまず靖はビールを飲み干し、おかわりを注文した。自分の分とラスティの分の二杯。
ここが個室の居酒屋でよかった。こんな話を誰かに聞かれては大変なことになる。
届いたビールを飲みながら、靖はどうしたものかと考えあぐねる。どこまで踏み込んでいいのかがわからないのだ。ひとまず、どうしてそういう夢と高野久秀が関係しているのか聞くべきだろうか。
さすがに黙ったまま、というのは彼を不安にさせるので、意を決して靖は口を開いた。
「ちょっとどういう反応していいかわからないんで、順を追って話してくれます?」
変に気を遣うよりはストレートに聞いたほうがいいだろう。
ラスティは小さくうなずいて、ビールを一口飲んでから、とつとつと話し始めた。
最初は尊敬していたこと。でもロミオとジュリエットの公演のあとぐらいから惹かれ始めたこと。彼の出演しているDVDを一緒に見たときに「好きだから、付き合ってくれ」と言われてキスをされたことなど。
くわえて最近の自慰事情まで包み隠さず話してくれたものだから、靖はますますどうしたらいいかわからなくなり、またビールを注文した。今度は大ジョッキで。
「もしかして今日、飯に誘ってくれたのもその話をするために?」
「だって、靖ならわかるかなって」
「ああ……」
そう言われてしまっては、靖も頷くことしかできない。
実はこの一稀靖も同性の『そういう相手』がいる。
相手は東風亭京楽という今人気の落語家である。落語家らしからぬチャラい見た目と喋り方で若者を中心に人気を博しており、そんな彼と靖は良い仲なのだ。
靖が髪をパープルアッシュに染めているから京楽も襟足を同じ色に染めているし、アウターコンクに開けられた真っ赤なピアスもおそろいだ。
しかし、恋人同士というわけではない。セフレともまた違う。ちょっと口では説明しにくい関係なのだと、靖は語っている。
そんなわけである意味、経験豊富な靖なので、多少は理解してくれるだろうという心づもりで今回食事に誘ったのだと、ラスティはまた素直に話してくれた。
靖は頭を抱えて隠すことなくため息をつく。とくに理由のないため息だが、胸のうちにたまったものを吐き出し考えをまとめるには十分だった。
チラっとラスティを見ると、かわいそうなぐらいに不安そうな顔をしている。消沈していると言ってもいい。ぐるぐると余計なことを考えているのは明白で、こうなった彼の機嫌を取るのはなかなかに難しいのだ。
こんな時に、靖と同じ演劇ユニットのメンバーか、ふたりの共通の友人でもあるカフェのマスターでもいればいいのかもしれないが、女性に生々しい話を聞かせるのはなにかと問題になりそうだ。もっとも彼女なら気にしないと思うが。
靖も靖でぐるぐると考えを巡らせて、ビールを片付けていく。酔いが回ってきて、思考もまとまらないが、それでもなんとか言葉を絞りだした。
「アナタは高野さんとどうなりたいんですか?」
結局はそれに行きつく。ラスティが話を聞いてもらいたいだけというのは、なんとなくわかった。
こうしたほうがいい、ああしたほうがいい、という意見を求めていないということぐらい、これだけ長く一緒にいるのだからそれもわかる。
ただ、ラスティは不安を共有したかっただけ。
ラスティは押し黙って皿に乗った焼き鳥を見つめている。
「夢のように高野さんとセックスしたいですか?」
今度は直接的な言葉を投げかけてみた。ラスティの肩が揺れる。
そして、今にも泣きそうな顔でこちらを見つめてきた。唇がかすかに開いたかと思うと、すぐに閉じられる。
これは、これ以上聞いてもダメだ。
靖はそう結論づけて、そうですかと答えた。
皿の上の焼き鳥は、かぴかぴに乾いていた。
「それじゃあ、お疲れ。おやすみなさい」
「ああ……おやすみ」
靖は遠ざかっていくラスティの背中を見送る。
オレンジのその姿が見えなくなってから、大きなため息をついた。
「疲れた」
ラスティの暴露に神経をすり減らしていたのか、今になって自分がそうとう酔っていることに気が付く。
最初はからかってやるつもりだったが、どうもそういう雰囲気ではなくて、真面目に受け答えをしてしまった。
答えを欲する話ならまだ気が楽だった。しかし、当の本人はただ話を聞いてほしかっただけ。これほどのストレスはない。
友人だからおとなしく話を聞いていたが、これが全く親しくもない相手だったら、靖はとっくにキレていた。
どうでもいいことや答えのないことに時間を取られるのが、靖はとにかく嫌いなのだ。
この暴露をどう受け止めて処理していいのか。さすがに酔っぱらった頭では答えを出すことができない。
靖はスマートフォンを操作して、誰かに電話をかけた。果たして、相手はすぐに通話に応じた。
『おー、せっちゃんどうした?』
「今、六本木の駅にいるんで迎えにきてください。それじゃ」
『えっ、ちょっと、まって』
言いたいことだけを言うと靖はすぐに電話を切る。相手は今頃、大慌てだろうし突然のことに驚いていることだろう。
そんなこと知ったことではなかった。今度は靖が誰かに話を聞いてほしくなったのだ。
電話の相手が迎えにくるまでの間、靖はコンビニで買った缶チューハイを飲みながら、また大きなため息をついたのだった。
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