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第13話

「ラスティ……」 「久秀さん」  久しぶりに呼んだその名前。そして久しぶりに呼ばれた名前。  体が、声が、震える。早く抱きしめたい、触れたい。満足に動かない体がもどかしい。  ガサッと紙袋とリュックが落ちる。ラスティがこちらにズンズンと向かってくる。  そして久秀の前までくると、手を振り上げる。しかし、その手はすぐに降ろされて、すとんとイスに腰かけた。 「……大丈夫なんか」 「まぁ、なんとか」  沈黙が訪れる。それでもラスティはこちらをじっと見つめてくる。  ふいにその空色の瞳が揺れて、瞬く間にポロポロと涙が溢れた。 「ラスティ」  たまらず右手を伸ばして、彼の頬を撫でる。 「大丈夫だから」  そう声をかけると、パチンと自分の頬に痛みが走る。ラスティが頬を張ったのだ。 「あほ! 久秀さんのあほ!」 「痛いって、ちょっと、叩くな。俺はケガ人だぞ!」 「うっさい!」  ペチペチと頬を何度も叩かれ、久秀は痛みで顔をしかめた。力こそ入っていないが、叩かれる振動が傷口に伝わり、ずきずきとした痛みになる。 「……なんで庇ったんや」  ラスティが叩いてた手を降ろし、久秀の右手を握った。  その手は微かに震えている。そして、とても冷たくなっていた。 「久秀さんが死んだら、どうしようって思った」 「うん」 「今まで生きてて、こんな怖いことなかった」 「……うん」  握られた手を握り返すと、ラスティは目を真っ赤にしてまた泣いた。大粒の涙が頬を伝って手の甲に落ちる。  自分が不甲斐ないせいで、彼を泣かせてしまったのだから。 「ごめん」  そう謝ると彼は首を大きく横に振った。 「オレも、ごめん。……ごめんなさい」  謝罪を繰り返す彼の姿があまりにも痛々しくて、久秀はたまらず片腕でその体を抱き寄せた。そして震える体を優しく抱きしめる。 「俺もごめん」  そう言って背中をさすると、彼は久秀の胸に顔をうずめて嗚咽を漏らしたのだった。  しばらくそうしていると、ラスティの涙も落ち着いてきたようだ。 「もう大丈夫?」 「うん」  久秀が尋ねると彼は頷いて顔を上げた。目は赤くなっているものの、涙はもう流れていない。 「久秀さん……、ケガは大丈夫なんか?」 「ああ。脳に異常はないし、折れた腕と足もちゃんと治るって。また舞台に立てるようになるってさ」 「そっか」  イスに座り直し、ラスティはほっとため息を漏らす。 「てゆーか、なにお前、北海道行ってたの?」 「うん。社長が……あ、その……」 「いいよ。俺のことは気にしなくて」 「……うん。ちょっと長めのオフをもらったから、社長が北海道でも行ってきたらって」 「なんだよ、それなら俺を誘ってくれてもよかっただろ」  少し拗ねたように久秀は言って、明るく笑う。  久しぶりに見た久秀の笑顔につられて、ラスティも笑顔になる。こうして笑いあったのはいつぶりだろう。当たり前の日常が戻ってきたような気がして、嬉しくなった。 「なぁ、久秀さん」  ふいにラスティが真面目な顔になる。 「オレ、久秀さんに言いたいことある」  ラスティの言葉に何かを察した久秀も真面目な顔になり、ひとつ頷いた。 「俺もお前に言いたいことがあるんだ。……先に俺から言わせてくれる?」 「……うん」  久秀はすぅっと息を吸うと、真剣な眼差しで口を開いた。 「俺は、お前が……お前が好きだ」  ぎゅうっと胸が締め付けられるような気がした。ラスティは俯いて膝の上で拳を握る。 「ラスティ、好きだ。お前の笑った顔も髪も瞳も声もなにもかも。俺だけのものにしたい。俺だけに笑いかけてほしい、俺の名前だけを呼んでほしい。ラスティ、俺はお前の全てが好きだ。お前と一緒に生きたい」  はじかれたようにラスティは顔を上げる。そして、はっとした。  久秀はこれまで見たことがないぐらいに不安そうな顔をしていたからだ。いつも飄々として、泰然自若としている久秀からは想像もつかないような顔だった。 「お前のことになると、どうにも余裕がなくなる。……むりやりに迫ったことは謝る。そして、お前の気持ちも考えずに振り回したことも。本当に悪かった」  久秀が頭を下げる。 「でも、俺は自分の気持ちを偽っては生きたくない。それだけは分かってほしい」  久秀の真っ直ぐな気持ちが伝わってくる。 「好きだ、ラスティ。……これが、俺の本当の気持ちだ」  真摯な言葉にラスティはぎゅうっと胸が締め付けられた。心臓が早鐘のように動く。  ラスティはひとつ深呼吸をしてから、言葉を発するべく口を開いた。 「久秀さんってなんていうか……猪突猛進なとこあるよな。自分本位っちゅーか、自分勝手というか……。全然、オレの気持ちも考えんと突っ走るよな」 「……返す言葉もないよ」  自嘲じみた笑みを久秀は浮かべる。どこかあきらめにも似たその表情に、ラスティは苦笑する。 「むりやりキスしといて、勝手にオレに興奮して……もう変態やで。そんで、キスも告白も忘れてくれって、めちゃくちゃや。挙句の果てにオレを庇って大けがするとか、アホちゃうか」 「面目ない」  しょんぼりと肩を落として久秀はうなだれる。叱られた大型犬のようだ。その様子にラスティは思わず吹き出す。 「笑うなよ」 「ごめん、なんかおかしくて」  クスクス笑うと、久秀も苦笑いする。  そして二人してひとしきり笑いあうと、もう一度真剣な面持ちで向き合う。 「……なんであんなことしたん?」  真面目な口調に戻ると、久秀は少し頬を赤らめて目線を逸らした。 「……独占欲が暴走したというか、なんというか」 「独占欲でそのケガはほんまもんのアホやで」  呆れるラスティに大きな体を小さくして、久秀はごめんと謝った。  そんな久秀の姿に、本当に、自分に対して好意を抱いてくれているのだと理解した。あの時のように強引でもなくて、心からそう思ってくれているのだと。  そう実感すると、ラスティは表情を和らげる。 「久秀さん」 「はい」  久秀の背筋が伸びる。ラスティは髪を掻いてから、自分を奮い立たせるように小さく頷いた。 「久秀さん、オレ……久秀さんのこと……好きです」  その言葉を受けてなにかを言いかける久秀を制して、さらにラスティは言葉を続けた。 「別に同情してるとか、久秀さんがけがしてるとか、関係なくて。なんて言うたらええかわからんけど、その……オレも久秀さんに名前呼ばれたり、大丈夫って言ってもらえたり、優しくされるのはオレだけにしてほしい」 「……うん」 「キスとかオレで興奮してたとか、あんなことされて戸惑ったけど、でもそれ以上にうれしいとか思って。やからオレ……」  そこでラスティは一旦言葉を区切ると、また呼吸を整えてから口を開いた。 「久秀さんのことが好きです。だから……オレと付き合ってください」  そう言ってラスティは頭を下げた。そして恐る恐る顔を上げると、久秀は目を大きく見開いたまま固まっていた。 「久秀さん?」 「……いや、ちょっと待って。気持ちの整理させて」  ラスティが声をかけると、久秀は手のひらを見せて制止した。その顔は真っ赤になっていて、それを見たラスティも頬が熱くなるのを感じる。 「いや……これはヤバいって。マジか……」  しばらくそうしていたかと思うと、久秀は手で顔を覆ってため息を漏らす。そして改めてラスティに向き合った。 「えっと……俺の都合のいい夢とかじゃない?」 「現実やで」 「信じられないっていうか、マジで夢じゃない?」 「折れてるとこ思いっきりどついたろか」  そう言いながら左腕をつつくと、久秀は大げさなくらい痛がってみせる。ラスティはその反応に思わず笑ってしまった。そして久秀の右手を握って、両手で包み込んだ。 「現実やで、久秀さん」 「……ああ」  そう言うと彼は優しく微笑んで、ラスティを抱きしめた。その体は微かに震えている。それがとても愛おしくて、ラスティも彼の背中に腕を回したのだった。 「なぁ、ラスティ」 「なに」  体を少し離して至近距離で見つめあう。 「キスしてもいいか?」  もう断る理由はなかった。ラスティは小さく頷いて目を閉じると、久秀は唇をそっと重ねた。  一度触れるだけのキスをしてから、お互いの存在を確かめるように角度を変えて何度も口づけをする。そして今度は舌を伸ばして絡め合い、くちゅりと音を立てながら吸い付いていく。 「ん……ふ……」  どちらとも分からない吐息が漏れる。粘着質な水音に興奮が高まっていった。  それは相手も同じようで、舌が絡み合うたびに体の奥がじんと痺れていく。ラスティは夢中になって久秀の首に腕を回し、体を密着させた。 「はぁ……んぁ……」  何度も貪るような口づけを交わし、ようやく二人の唇が離れると銀色の糸が伸びた。  しかしすぐに切れて、互いの唾液で濡れた唇は空気に触れてひんやりとした感覚を味わう。 「あほ、がっつきすぎや」  息を切らしながらラスティが言うと、久秀はすまんと一言だけ謝った。そして今度は優しく抱きしめると耳元で囁いた。 「好きだ、ラスティ」  その声がとても心地よくて、ラスティも彼の背中に腕を回した。 「……オレも好きや」  そう答えると彼は嬉しそうに笑って、もう一度キスをした。

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