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第15話

 そうして月日が経ち、久秀から退院する、との連絡を受けたラスティは思わず歓喜の声をあげそうになった。しかし今、自分がいるのは舞台の稽古場であることを思い出しなんとか堪える。  退院当日に迎えに行きたかったのだが、あいにくその日は舞台公演の真っ最中だ。  久秀にそのことを伝えると、舞台に集中してほしいと返信が入る。稽古中もお見舞いは不要だ、と追加でメッセージが入り、少しだけ寂しくなった。  晴れて恋人同士になったのだから、少しぐらいワガママを言いたかったのだが、こと芝居において一切の妥協をしない久秀にそれは通用しない。  なのでお見舞いに行けないぶん、ラスティは久秀に稽古であったことを報告するようにしている。  そのたびに久秀は褒めてくれたりアドバイスをくれたり窘めたりしてくれる。  その当たり前のことが、ラスティは嬉しかった。  舞台の初日を明日に控えた夜。ラスティは久秀に電話をした。 「久秀さん、どうしよう。急に不安になってきた」 「なにが不安なんだ。お前ならできるよ」  電話越しに久秀が困ったように笑う。ラスティがわざとそんな言い方をしているのを見抜いたからだ。 「久秀さん、オレ、セリフ間違うかもしれへん。出トチるかも」 「大丈夫。お前はそんなヘマはしない。自信もっていいよ」 「久秀さぁん」 「お前ねぇ……」  とうとう呆れた声を出した久秀に、ラスティはふふっと笑った。 「ごめん」 「まったく。困ったやつだな」  これで対面していれば、久秀は頭を撫でてくれていたことだろう。 「まぁ、思ったより余裕そうでよかったよ。でも、ケガだけはするなよ」 「……うん」  久秀の優しい声に、ラスティは泣きそうになる。あの日も久秀はこうして声をかけてくれた。それに素直に応じなかった自分を悔んでしまう。もしも、あの時、彼のアドバイスを受けていれば、久秀も大けがをしなかったのに。  無言になってしまったラスティに久秀は、やれやれといったようにため息をついた。 「ラスティ。何度も言ってるけど、あれは事故だ。お前の過失じゃない」 「うん」 「俺が勝手にしたことだ。俺が段取りを間違えて、勝手に落ちてケガしただけ。もう済んだことなんだから、気に病む必要なんてないんだよ」  言い聞かせるような口調で久秀は言う。そんな久秀の優しさに、じわりと涙が滲んできた。  しかし、ここで泣くと久秀を困らせてしまう。ラスティは涙を拭って、また「うん」と返事をした。 「なにがお前をそこまで不安にさせてるのか知らないけどさ。明日は初日なのに、俺のことばっかり考えてるのはよくないぜ。目の前のことに集中しないと」 「はい」  ついに窘められてしまい、ラスティは居住まいを正す。久秀の言う通りだった。  稽古中はそうでもなかったのだが、こうして初日を前日に控えているというのに、気がそぞろなのは自分でもどうかしていると思う。  久秀の退院が近いから、気持ちが浮ついているのかもしれない。しかし、それと同じくらいに、気持ちが沈んでいく。  原因も分からず、ついウジウジしてしまう。  気分が上がったり下がったり。今日はとくにそれがひどかった。 「なぁ、お前。本当はもう少し休んだほうがよかったんじゃないか? 社長さんがカウンセリングも手配してくれるっていうんだろ。一度、利用してみたら?」  真面目にそう言われてしまっては、ラスティも反論ができなくなってしまう。 「ごめん」 「いや、別に謝らなくていいけど」  どうしたもんかな、と電話口で久秀が呟くのが聞こえた。  しばらく久秀は考えこんでいたが、やがて小さくため息を吐いた。 「んー、じゃあさ、ラスティ。俺が退院したらなにしたい?」 「えっ」 「だから、俺が退院したあとの話。なにかしたいことある? リハビリがてらデートとかしようよ」  急に話が変わったものだから、ラスティは面食らう。どう答えたらいいものが分からず、困惑してしまう。  久秀としたいこと。それはラスティの中にいくらでもあるが、そのどれも口に出すのは恥ずかしかった。 「ほら、なんかあるだろ。どっか行きたいとか食べたいものとかさ」  急かすように久秀が促すので、ラスティは考えてみる。そしてようやく口を開いた。 「……その、お家で一緒にゴロゴロしたい……かな」 「はぁ?」  ラスティの答えに久秀が素っ頓狂な声を上げる。だが、その声はどこか嬉しそうでもあった。 「……そんなことでいいのか? 俺の体なら気にしなくていいんだぞ。むしろ動けって言われてるぐらいだからな」  骨はほぼくっ付いている。さすがにまだ走ることはできないが、普通に歩くぐらいならできるようになった。 「うん。……それがええねん」 「そうか」  ぽつんと沈黙が訪れる。なんとなく、ラスティが何かを伝えたい何かを言いたい、でもそれをためらっている、というのを久秀は察する。  分かりやすいなぁとこっそり笑って、ラスティから口を開くのを待った。 「ひ、さひで、さん」 「はいはい」  上ずった声が呼んでくる。そして、一瞬沈黙。 「あのさ……」  ためらいがちにラスティは言葉を続ける。深呼吸をして、さらに続けた。 「久秀さんが退院したら、そんで、オレのスケジュールに空きがあったらさ……。久秀さんの部屋で……その、イチャイチャしたい、です」  最後の方は蚊の鳴くような声だったが、久秀にはちゃんと聞こえていた。 「イチャイチャってどういうことがしたいんだ?」  そう訊き返してやると、電話の向こうでラスティが小さく悲鳴をあげる。可愛らしいうぶなその反応に、久秀はイジワルをしてみたくなった。 「イチャイチャつってもさ、いろいろあるよな。俺の思うイチャイチャと、お前の思うイチャイチャって違うかもしれない」  クックッとからかうように笑う久秀に、ラスティはますます赤面してしまう。  本当はもう少しからかってもよかったが、これで過去にやりすぎてこじれてしまったことを思い出し、久秀はグッと自制した。  さて、このうぶな恋人はどんな返事をしてくるだろうか。少し楽しみでもあった。怒るならそれでもいい。緊張が解けてよかったね、と宥めればいいだけのこと。  久秀がそんなことを考えていると、ラスティが口を開いた。 「ひ、久秀さんと……キスしたい」 「おお、いくらでもしよう」 「あと……その、えっと……だ、抱いてほしい」 「……それはハグってこと?」  またイジワルしたい気持ちが湧いてきて、そう聞き返してやると、ラスティは「ひえっ」と奇声を上げる。  そんなラスティの反応に久秀は我慢できずに噴き出してしまった。 「ハハッ、ラスティ。お前ほんと可愛いやつだな」 「なんやのそれ! 久秀さんのいけず!」  電話の向こうで頬をふくらませて怒っている姿がありありと目に浮かぶ。そんな姿を想像し、思わずニヤけてしまうが、なんとか収めた。 「ごめん、ごめん。からかいすぎたな」 「……久秀さんのアホ」  ラスティは拗ねた声でそう言う。そんな様子も可愛いなぁと思うあたり、自分も相当だな、と久秀は思った。 「それで、どうしたいって?」  再度、久秀が問うと、ラスティは一つ咳払いをした。 「久秀さんと……エッチがしたい」 「……そうか」  電話の向こうで久秀が押し黙る。もしかしてマズイことでも言っただろうか。ラスティは不安に駆られたが、どうもそうではなかったようだ。 「お前、それがどういう意味か分かって言ってる?」 「こ、子どもやないんやから分かってるって!」  久秀の言葉にラスティはすぐに反論する。この期におよんでからかってくるつもりなのだろうか。ラスティはムッとした。 「男同士のセックスなんて、女と違ってすぐにできるもんじゃないよ。いろいろ準備と覚悟ってもんがいるんだ」 「分かってるって! ちゃんと調べたもん!」 「調べてたって……。そうか、わかった」  久秀なりに気遣ったつもりだったが、ラスティから予想外の返事が返っていたので、もはや頷くことしかできなかった。 「久秀さんは……オレとそういうことするの、イヤ?」  おずおずとそう訊いてくるラスティ。その不安そうな声に、久秀はまたも胸が締め付けられる思いだった。 「嫌なわけないだろ」  すぐに否定してから、言葉を続ける。 「俺は……お前を抱きたい。夢や妄想のなかのお前じゃなくて、ラスティアス・ライジェルを抱きたい」  直接的なその言葉に、ラスティは赤面する。そして、自分と同じく、久秀もそういう妄想をしていた事実に心臓がドキドキと暴れてしまう。 「オレも、現実の久秀さんに抱かれたい」  久秀の息を呑む音が聞こえた。そして、はぁと大きなため息。 「ごめん……ちょっと、勃ったかも」 「なっ!」  別の意味でぎょっとなるラスティ。電話の向こうから、はぁはぁという息遣いが聞こえてくる。 「あほ! ケガ人がなにやってんねん!」 「いや、うん、マジでごめん……想像したら興奮しちゃって」 「サイッテー!」  そう叫びながらも、ラスティはドキドキが止まらない。自分だって久秀に抱かれるところを想像して抜いてしまうことだってあるのだ。そんなことを言ったらどんな反応をするだろう。 「ラスティ」  熱を帯びた声と、ぬるぬるとした水音。電話の向こうで久秀がマスターベーションをしている。それを想像 してしまって、自分の股間が熱くなるのを実感した。 「オレも……」  自分の股間に手を伸ばして、パジャマの上からなぞるように撫でる。すでにそこは硬く張り詰めていた。 「久秀さんのこと考えながら……してる」 「俺もお前のこと考えてしてるよ」  電話の向こうで、久秀が乱れている。その息遣いにラスティも頭がくらくらとした。 「好きだ……ラスティ」  はぁはぁという吐息の合間に、愛を囁かれてラスティは腰が砕けそうになる。 「オレも……好き」 「愛してるよ」  そんな殺し文句に、ラスティの理性が限界を迎えた。ズボンと下着を脱いで下半身を露わにする。  そして、すでに先走りで濡れている自分のものをしごき始めた。久秀がしているように、先端や裏筋を重点的に。 「ぁ……あっ」  電話越しの久秀も限界が近いようで、ラスティの喘ぎに重なって粘着質な音が聞こえてきた。  彼も自分とキスをして、自分の裸を想像してマスターベーションをしている。そう思うとさらに興奮してきてしまう。 「久秀さん……」  愛しい人の名前を呼ぶと、背中にぞくぞくしたものが走った。そして握ったものを一層激しく上下に動かした。 「イきそう?」  吐息混じりの声で訊かれ、ラスティは何度も頷く。そしてその瞬間を迎えるために、手の動きをさらに早めた。 「あッ……だめっ、久秀さん……ああっ!」 「ん……くっ」  ほぼ同時に二人は達した。ベッドに倒れ込んだラスティがしばらく肩で息をしていると、久秀もようやく呼吸を整えていた。 「久秀さん……」  ラスティは甘えた声で呼びかける。まだまだ熱い肌と吐息が、彼がどれほどまでに興奮していたかを物語っていた。 「好き」 「俺も好きだよ、ラスティ」  久秀はそう返すと、ちゅっとリップ音を電話越しに響かせた。 「愛してる」  そしてもう一度、愛の言葉を囁くのだった。

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