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6-4.
女性の家にたどり着くと、ロキはフェンを外で待たせ、自分は家の中へと上がり込んだ。女性の家は物が多いが、掃除はきちんと行き届いているようだ。ほどよく生活感があって落ち着くなとロキは思った。
壁沿いにキッチンがあり、その近くの円形のダイニングテーブルに椅子が二脚少し歪な間隔で並べられている。
女性はロキにそのうちの一脚に座るように促すと、自分は部屋の奥へと入って行った。
少しの間待っていると、キュルキュルと車輪の回る音がして、奥から車椅子に座った老婆が現れた。その車椅子は先ほどの女性が押している。
老婆を乗せた車椅子は、歪に並んだ二脚の椅子のちょうど欠けた場所にすっぽりと収まった。きっと、そこが定位置なのだ。女性と老婆、そして女性の夫の三人で食卓を囲む姿が想像できる。
老婆の瞳は薄茶色でどこか濁っていて、濃いシワの刻まれた唇はぼんやりと開かれていた。その様子に、ロキは既視感を覚えつつ、傍に立っている女性に目配せをした。
女性は小さく笑って頷くと、ゆっくりと腰を屈めて老婆の耳元に口を寄せた。
「おばあちゃん! お客さまよ! おばあちゃんに会いに来てくれたんだって!」
大きな声で言われて、老婆は微かに意識を取り戻したかのように顔を上げてロキを見た。
ロキは席を立つと、老婆の前にしゃがみ込んでその膝の上で手を握った。
「俺のじいちゃんが、ウテナの占いババア……あんたのことを話してた、多分知り合いなんだと思うんだけど……」
ロキは老婆の表情を覗き込んだ。ぼんやりとロキを見つめていたその表情が、ゆっくりと眉を上げていく。老婆は右手を上げて、傍の女性に席を外すようにと指し示した。
女性は久しぶりに意識を取り戻したらしい老婆の動きに驚きを見せていたが、すぐに指示に従って、奥の部屋へと下がって行った。
「あの……覚えてる? じいちゃんのこと……あの、ごめん。俺、じいちゃんの名前知らなくて……」
老婆の濁った虹彩が揺れ動いた。シワの寄った乾いた手のひらが、ロキの手を握り返す。
「俺、今からじいちゃんのこと迎えに行くんだ。ちょっといろいろあって、じいちゃん……ミッドガルドの外に行っちゃって……」
ロキは自らそれを口にした後、これを話してこの老婆にどうして欲しかったのかわからなくなった。ただ爺を知る他の誰かに自分のやろうとしていることを聞いて欲しかったのかもしれない。
老婆はゆっくりとテーブルの上を向いた。
ロキがその視線を追うと、さっき女性がロキのために入れてくれた水の入ったグラスに、ロキの姿が映っている。
「よ……く……げ……れた」
「え?」
乾いた唇が吐息を吐くように何か言うので、ロキは耳を寄せて聞き返した。老婆はもう一度口を開く。その言葉は、先ほどよりもはっきりとしていた。
「夜が来る。予言は曲げられた」
ーーガシャンッ!
突然老婆がテーブルの上のグラスを払い、床の上に水とガラス片が散らばった。
音に驚いたのか、外で「バゥフゥンッ!」とフェンが吠えるのが聞こえた。
女性が慌てて部屋の奥から飛び出して、怪我はないかと老婆に尋ねているが、老婆はただぼんやりと中空を眺めるばかりだ。
「ごめんなさいね、びっくりしたでしょ? 普段はこんなふうに物を壊したりはしないんだけど」
「い、いえ、大丈夫」
女性は手伝おうとするロキの動きを制して、テキパキと破片と溢れた水を片付けた。そして再度、老婆に怪我がないことを入念に確かめている。
「ねえ、もしかして、あなたあの時の子なのかしら?」
老婆の無事を確認すると、女性はロキにそう尋ねた。突然の問いに、ロキは何のことかと眉を上げて瞬いた。
「おばあちゃんの昔の知り合い……私うっすら覚えてるのよ、すごく小さかった時だけど」
「ほ、ほんと?」
ロキが聞き返すと、女性はコクリと頷いた。
「うん、なんだか不思議な印象のお兄さんだったな。ちょっと儚げで綺麗な人でね、で、その人が赤ん坊連れてたのを凄く鮮明に覚えてる! その赤ん坊が育っていればあなたぐらいの歳だなって思うのだけど」
期待をはらんだ女性に申し訳なく思いながらもロキは首を横に振った。
「いや、それは、たぶん別人かな。俺が占いババアの話を聞いたのは……じいちゃんで、白髪頭でシワシワの老人だから……」
女性の話だと、歳の頃が合わない。ロキが赤ん坊の頃だとしても、爺はおそらく「お兄さん」と呼ばれるような年齢ではないだろう。
「そうなの……じゃあ、きっと私が生まれる前の話なのかな。おばあちゃんのこの町以外の知り合いなんて、私が知る限りだとそのお兄さんと赤ん坊だけだから」
ロキは女性に小さく笑顔を返しながら、また老婆の手を握った。世話好きなこの人は、きっと優しい人なのだろう。
「会えてよかった」
そう告げて、ロキは玄関扉の方へ向かった。
ドアを開けもう一度だけ、家の中を振り返る。女性は老婆の車椅子を押して、見送ってくれた。ロキは頭を下げて、玄関扉を開く。明るい海街の光が少し眩しい。目を窄めると、背後で声がした。
「ロキ……」
ロキは驚き振り返った。
名乗っていなかったはずだ。しかし、その名を読んだのは、車椅子に座る占いババアだったのだ。老婆の表情にはうっすらと意思のこもった優しい笑顔が浮かんでいる。
「ロキ、また……いつでもおいで」
潮気をはらんだ風がロキの髪をさらった。
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