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11-2.

 僅かに見える岸に向かって、ロキは必死に泳いだ。   フェンも、バシャバシャと前足をかいて後ろをついてくる。  岸に辿り着き、息を整えてから、ロキはフェンの様子を確かめた。フェンはぶるぶると体を振るって、ずぶ濡れの白い体毛から水を飛ばしていた。怪我はしていないようで、ロキはほっと胸を撫で下ろした。 「なんだ、ここ……」  ロキは衣服の裾を絞り、周囲を見渡した。  落ちたのは地底湖か何かだろうか。  この周辺だけところどころで青白い火が灯されていている。しかし、少し先に視線を上げるとそこには真っ暗闇が続いていて、ここがどの程度の広さの空間なのか把握できない。 「とにかく出口を探そう」  ロキが声をかけるとフェンはコクリと頷いた。  また耳を澄ませて風の音を辿ろうとするが、何故か音が聞こえなくなっていた。代わりに、キコキコと既視感のある音がしている。  ロキは記憶を辿った。すぐに思い至ったのは、村でよく聞いた油をさしていない車輪の擦れる音だった。その音が徐々に近づいてきていることに気がつき、ロキはそちらに目を向ける。  小さな青い炎がゆらゆら揺れている。それがもう少し近づいてきてから、その炎の下に誰かがいるのがみえた。  男が一人台車を引いている。揺れる炎は台車に取り付けられたカンテラに灯されたもののようだ。小さな炎だったので、男の顔が見えたのはかなり近くまで来てからだった。 「はぁーーーーーあ、勝手に動かないでよぉ」  男はロキとフェンを見つけると、うんざりしたようにそう言った。男の長年光を浴びていないような青白い顔の下には、まるで筆で書いたような濃いくまが落ちている。真っ黒な髪は干からびたようにバサバサで、骨ばった輪郭で頬はこけ、黒いローブの袖から伸びる手首も握れば折れそうなほどに細かった。 「死神⁈」 「フゥンッ⁈」  ロキの言葉に、フェンが驚いたように鼻を鳴らす。 「あー、いいから乗ってくれるかぁ? 列まで運ばにゃならんのよぉ」  青白い顔の男はぐっと目を細め、心底面倒だといった様子だ。男が親指を立てて指し示した台車の上には大きな箱が乗っている。  ロキが回り込んで確認すると、その箱は側面に縦格子が施されていた。まるで獣の檻のようだ。フェンが、小さく唸って後ずさった。 「おまえ、お前だよ、人間の方」 「え? 俺?」  青白い顔の男が指差したのはロキだった。そしてその後に、「ふむ」とフェンに目を向ける。 「うーん、そっちのイッヌはヘルちゃんの足に良さそうだな……よし、お前もついて来い」  そう言って、青白い顔の男はギイと檻の扉を開く。 「い、いや、待ってくれ! 俺たちは間違えてここに落ちてきたんだ」  ロキは両手を胸の前で振りながら青白い顔の男に訴えた。 「あー、まだ受け入れられない系ねぇ? うーん、めんどくさいなーぁ……」  青白い顔の男はまたうんざりした様子でため息をつく。 「う、受け入れられないって? な、なに、え? こ、ここは……?」  頭に浮かんだこの場所の名を、ロキは必死で否定した。しかし、すぐに青白い顔の男がその答えを口にした。 「冥界だよ」  ロキが息を飲んだ瞬間、男の袖から青白い光が伸びた。その光は飛びつくようにロキの首に纏わりつくと、首輪のように円を作った。 「えっ⁈ な、なにこれ!」 「はぁやぁくぅのぉってぇ~!」  苛立ちを込めた声で青白い顔の男が指を立てると、ロキの首が引っ張られた。どうやら首にまとわりついた光のせいだ。息苦しさからロキはそれに従うように、台車の方へと進むしかない。 「あー、まった。服びしょ濡れじゃないの、俺の車汚さないで?」  ずぶ濡れのロキに気がついたのか、青白い顔の男は「めんどくせぇなぁ」と呟きながら、荷台の隅に置いてあった袋の中から真っ黒な布を取り出した。 「脱いでこれ着て」  手渡されたのはただの布ではなく、貫頭衣と緩い作りの下履き、布を縫い合わせたような簡素な靴だった。  ロキは言われるがまま濡れた衣服を脱いでそれに着替える。全身真っ黒なせいで、暗闇に紛れてしまいそうだ。

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