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12-2.
辺りが暗いせいで一瞬消えたかと思ったが、ガルムはその姿を四足の動物に変えていた。鼻が尖って三角耳が立っている。ブカブカだった黒い服はその体を包んだままだが、それでも衣服から覗く全身の毛が真っ黒だということが見て取れた。手も足も細かったが、それは犬……否、大きな犬歯を携えた狼の姿だ。
「んもぅっ! 痛いじゃない! 落とさないでよ!」
ガルムが姿を変えた瞬間地面に取り落とされた少女は腕を振り上げ怒っている。その仕草に、ロキは違和感を覚えた。
「立ち上がれないのか……?」
ロキは呟いた。
ーーヘルは立ち上がれませんでシタ だから下界に投げられまシタ
「あんた……もしかして、オーディンの器?」
記憶は薄らいでいるが、確か鴉の口にした名前は、この少女と同じヘルではなかっただろうか。
少女はロキの問いかけに顔を上げた。その両手はだっこをせがむ子供のように前方に差し出されている。衝動的に狼になってしまったらしいガルムが人に姿を戻し、また少女の体を抱き上げた。
「だったら何よ」
不機嫌に口を尖らせたヘルの態度はおそらく肯定を意味するのだろう。
ヘルはガルムに横抱きにされながら、両腕をぎゅうとガルムの首に絡めている。ガルムは嬉しそうに表情を緩めていた。
「あ、待って。 白いイヌ?」
急に何か思い出したかのように、カッとヘルが目を見開いた。真っ黒なヘルの瞳がフェンの姿を観察するように動いている。
「もしかして、あなたフェンリル?」
ヘルがいうと、ガルムが「ふぇぇ!」と声を上げた。
「そうやって呼ぶ人もいたけど、今はフェンリルじゃなくて、フェンだよ」
フェンはチラリと一瞬ロキを振り返ってからそう答えた。
「やっぱり! やぁーーーぱりっ! そうなのねっ! あるわ! 面影がある! この真っ白い毛並みと、あとは……え、えっと……そうね、とにかくこの真っ白い毛並みよ!」
ヘルはガルムの腕の中で体を揺らした。ガルムがその意図を汲んだように、フェンの近くまで歩み寄る。
せがむように両手を前に突き出したヘルに応えて、フェンが膝を屈めると、ヘルは確かめるように両手でフェンの髪に触れた。
「フェンはヘルのこと覚えてないのか?」
ロキが尋ねると、フェンはうんと頷いた。
「仕方ないわよ、あなたうんと小さかったもの! もうほんとに、こぉんなに小さかったんだから!」
ヘルは人差し指と親指で途切れた円を作ってみせた。流石にそんなに小さかったわけはないだろう。
「えっ、まってまって、てか、冥界 に来たってことは、もしかしてあんた死んだの?」
ロキとフェンはヘルの言葉に同時に息を飲んだ。
「えー! あんた死んだの! ウケるー!」
そう言ってヘルは胸元で手をバシバシ叩きながら、天を仰いで爆笑した。
「えー? 何で死んだの? 死因は? まさか、この前のオーディンが投げたグングニルに当たったとか? それとも凍死? それか、ドワーフに素揚げにされた? てかあんたいったいどこにいたのよ?」
矢継ぎ早なヘルの問いかけに、フェンは助けを求めるように眉を下げ、ロキの腕を掴んで引き寄せた。
「俺たち、死んだ記憶がないんだ」
ロキが言うと、ヘルはピタリと笑うのをやめた。
そしてガルムと視線を合わせた後で、またロキとフェンに向けられたヘルの視線は、わずかに同情の色をはらんでいた。
「あー、受け入れられない系ね」
ヘルの言葉に、フェンがぶるぶると首を振った。
「そうじゃない! 本当に死んでないんだ! 大きな穴に飛び込んでここまで落ちてきちゃった! ロキと行きたいところがあるから、戻る方法教えて!」
フェンが言うと、言葉の途中でヘルがピクリと体を揺らした。
「ロキ?」
その黒い瞳がフェンの隣のロキに向いた。
「あなた、ロキって言うの?」
「そうだけど……」
「そう……そうなの……ね」
ヘルの黒いまつ毛が物憂げに伏せた。
「あんたたちはきっと冥界の穴に堕ちたんだわ」
「それって死んでないってことだよね⁈」
フェンが言うと、ヘルは少し間を置いて頷いた。
「そうね、正規のルート……つまり、肉体が死んで|冥界《ここ》にきたわけじゃないから、正式にはまだ死んでない」
「正式には?」
ロキは聞き返した。
すると、ヘルはガルムにしがみついたまま、その首だけで道を塞ぐ大きな門を指し示した。いつのまにか門の前にできた死人の列はさらに長くなっている。
「正式な冥界は、この門の先なの」
「ヘルちゃんはここの門番でえらぁい人なんだよぉ!」
ガルムがニヤニヤしながら体を揺らす。
「じゃあつまり、ここで引き返せば、上に戻れるってことだよな? どこかに出口があるのか?」
「ないわ」
「「ないっ⁈」」
ロキとフェンはヘルの言葉に二人同時に声を上げた。
「今は無いが正しいわね」
ヘルは言い方を変えたが、意味としては大きくは変わらない。
「ど、どう言うこと?」
「俺たち、帰れないと困るんだ!」
「困るっていわれてもねぇ?」
必死に訴えるロキとフェンに対して、ヘルは軽薄な調子で肩をすくめ、その後長くなった死人の列を見て、うんざりしたように息を吐いた。
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