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12-9.
ニーズヘッグは翼をさらに翻し、水面を大きく揺り動かした。
逃げるように岸辺にかけていくガルムが見える。その先に、台車の上からヘルがこちらを見つめている。
「ヘル!」
翼の音に紛れない様にと、ロキは声を張り上げた。
――ヘルは立ち上がれませんでした。だから、下界に投げられました
鴉はそう言っていた。
「君は落とされたんだろ⁈ 今なら俺たちと上に戻れる!」
そう言って、ロキはヘルのいる方向へと手を伸ばした。
ニーズヘッグはむず痒そうに前足をかいていて今にも飛び立ってしまいそうだ。間に合うかわからない、飛び降りて歩けないヘルを抱き抱えに行くべきか。
しかしヘルは首を振った。
「行かないわ」
その唇がそう動いた。
ガルムがヘルの元に辿り着き、飛沫から守るようにヘルの体に抱きついた。ヘルの腕が、そのガルムの背中に回されている。
「あたし、真っ黒いのが好きなのよ!」
ヘルがそう叫んだのとほぼ同時に、ニーズヘッグの体がゆらりと揺れた。内臓が浮かび上がる。
「飛ぶ!」
ロキは無意識に言葉を発した。
メリメリと木を割く様な音が鳴り、ニーズヘッグの体が浮かび上がった。足元の泉が遠のいていく。
「と、飛ん……だ?」
「いや、違う……これ……」
バキバキメリメリ、音が何度も連なって、その度にニーズヘッグの体は大きく揺れる。
「飛んでるんじゃなくて、木登りしてる!」
「飛ばないのかよっ!」
左右の手足を交互に動かし、ニーズヘッグはユグドラシルに鋭い爪を突き立てる。
最初が助走であったかの様に、その動きはどんどん速度を早めていく。
舌を噛みそうだと思ったロキとフェンはニーズヘッグの首にしがみついたままぐっと口を結んだ。
やがて冥界の闇が尽き、目の前に光が広がった。目が眩み、ロキは強く目を瞑る。そして、爪が幹を突き刺す音が止み、代わりにバサバサと翼がはためく音がした。
痛いほどの風が顔に吹き付け、「今度こそ飛んでる!」とロキは思うが、あまりの風圧に喋ることも目を開くこともできなかった。
自分を支えるフェンの腕に力が入る。フェンが隣にいるということだけが、全ての不安を払拭した。
かなりの長い時間を経て、なんとか瞼を持ち上げる頃には、冥界はどこにも見当たらず、ニーズヘッグの体から見下ろした遥か下に、大きな水たまりに浮かぶ島が見えた。
「あれ、ミッドガルドか?」
ドラゴンはなおも翼をはためかせ、さらに高度をあげていく。その体はロキが暮らした中層よりもさらに上、ユグドラシルが枝葉を伸ばす神々の暮らす上層へと向かっていた。
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