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20-5.

◇  オーディンからオメガであるロキの自室に入ることを許されている者はごく僅かだ。  そのうちの一人が預言者ミーミル。  彼は以前ヴァン神族との友好交渉が滞った際に首を刎ねられて以来、その体からあらゆる感覚が抜け落ちたのだ。そのため性欲がなくオメガの匂いにも反応しない。だから、オーディンはミーミルにロキの部屋への入室を許していた。 「これくらいの量でたりるかな?」  ロキとミーミルは窓辺にテーブルを挟んで向かい合っていた。  ミーミルは味がわからない。  彼が来る時に、ロキは敢えてお茶やお菓子を用意しないようにしていた。水の入ったグラスだけが置かれたテーブルの上に、ミーミルが薬の瓶を滑らせた。 「うん、不在は5日間程度らしいから、このくらいで足りると思う」  明日、オーディンがヴァン神族の領土、ヴァナヘイムに赴くことになっている。その間、神殿で過ごすロキは、オーディンに抱かれないことで強く出てしまうオメガの香りを抑えるための薬をミーミルに調合してもらったのだ。 「オーディンは君を連れて行かないんだね? この頃はヴァン神族との関係が上手くいっているとはいえ、君を危険に晒したくないんだろうか」  そう言いながら、ミーミルは金の髪の間にのぞいた自らの首の縫い目を撫でて、微笑を浮かべた。 「いく先がヴァナヘイムだからと言うだけじゃないよ。オーディンは俺が神殿の外にでるのを嫌がる」  ロキは窓の外に目をやりながら、苦笑した。  自身の最古の記憶から、ロキはずっとこの神殿の中で過ごしている。  外の世界のことは、本で読んだり、オーディンやバルドル、トールから聞いて知ってはいるが、実際に目にしたことがあるのはこの神殿から眺められる範囲だ。鶫になって飛ぶことが許されている範囲もこの神殿の周辺だけと狭いのだ。 「失うことを恐れているんだね」  ミーミルが言った。 「オメガは俺だけだからね。まだオーディンが満足のいく器を創れていないし」 「何を言ってるんだ。それだけではない、ということは、君自身もわかってるだろう? オーディンは君を愛しているんだ」  ミーミルは水の入ったグラスを持ち上げ、唇を濡らす程度に口をつけた。 「本人の口からは一回も聞いたことないけどね」  ロキは苦笑し、手のひらを上向け肩を持ち上げる仕草をした。  ちょうどその時、誰かが部屋の戸を鳴らした。ロキが「はい」と返事をすると、部屋の戸を開けたのはバルドルだった。 「ああ! すまない! 邪魔をしたか!」  相変わらず声量でバルドルが言う。 「いや、要件はすんだよ。僕はもういく」  そう言って、ミーミルは椅子から立ち上がった。  ロキはミーミルに礼を告げると、彼を見送るように扉の前まで付き添った。 「ここは、開けておくね」  そう言って、目を細めたミーミルは部屋の扉を開いたまま、立ち去っていった。  バルドルは本来ロキの部屋への入室を許されていないが、部屋の扉を開けたまま短時間であれば、オーディンの許容範囲であることは、以前実証済みだった。 「どうしたの、何かあった?」  ロキはそう言いながら、バルドルに窓際の椅子を勧めたが、バルドルは立ったままでいいと腕組みしながら首を振った。  いつもは溌剌とした笑みを浮かべるバルドルが、珍しく深刻な表情だ。 「ロキ、実はな……夢を見るんだ」 「え?」  脈略なく切り出された話に、ロキは眉を上げた。 「何度も見る。同じ夢を何度もだ」 「あっ、そ、それって……」  ロキはハッと息を漏らした。

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