161 / 181

21-2.

 ここは中層だ。太陽や月の光は届かない。であればこの光はバルドルによるものだが、冥界に落ちた彼は新たな光を送ることができないだろう。この残光が尽きれば、中層に朝は来ない。  しかし、光が残っていると言うことは、そこまでの年月は経っていないのだろうか。   ――アァーアァー!  ロキの思考を遮るように、鴉が声を張り上げた。  細めた目を開く。すると目の前に、残光を反射しながらゆらゆらと煌めく泉が広がっていた。  泉の中心には二つの岩が寄り添うように落ちていて、その上部には青々とした苔が蔓延っていた。水面に浮かんだ睡蓮の濡れた花弁や丸い葉に、水滴の粒が光っている。  鴉の声は泉の手前で聞こえていた。草や木からこぼれ落ちた蔦で覆われたその場所に、ロキはゆっくりと歩み寄り膝をついた。 「鴉じゃない……」  ロキは言った。  草をかきわけた窪みの中に仰向けに横たわっていたのは、ムチムチとした手足をばたつかせ、亜麻色の癖毛を生やした赤ん坊だったのだ。 「かっわいい……食べちゃいたいっ……」  傍でヨルムが呟いた。  その巨体で言われるといよいよ本気に聞こえるな、と苦笑しつつロキはその赤子に恐る恐る手を伸ばした。  驚くことに、ロキが抱き上げた途端その赤子はピタリと泣くのをやめた。そして、パチリと開いた翡翠の双眸でじっとロキを見上げると、紅葉のように小さな手を必死に伸ばして頬を撫でた。 「ああ、助かった。うるさくてうるさくて、いっそ殺してしまおうかと思ってたんだよ」  予想もしなかった方向からのその声に、ロキは驚き顔を上げた。見ると泉の中心にあった二つの岩の上に、いつの間にが一人の少年が膝を立てて腰掛けている。  少年はクリーム色の薄布を緩やかに纏っており、肩や首筋の皮膚が顕になっている。赤ん坊と同じ亜麻色の髪の毛は手入れをしていないのか、あっちこっちにツンツンと毛先を向けていた。 「だ、誰⁈ そこで何をしている」  咄嗟にそう尋ねたロキに、少年はやや不機嫌そうに口角を上げた。 「誰? だと? 全く、私の領域に足を踏み入れ、呑気に眠っていたくせに、随分と不躾なやつだな?」 「え?」 「私が気がついていないとでも思っているのか?」  少年はうんざりした様子で手を払う仕草をして見せた。 「領域……って、ここはいったい?」  ロキはまた少年に問いかける。今度少年は、どこか得意げな笑みを作った。 「ここは私、運命の女神ウルズの泉」  そう言って、ウルズと名乗った少年が髪をかき上げた。衣服の胸元がさらにはだけ、そこからわずかな膨らみが見える。アルトな声がウルズを少年かと思わせたが、その体は女神というだけあって女性の形をしているようだ。 「お前、オメガだな? ヴァルハラから逃げ出した、大罪人」  ウルズはロキを指差した。ロキは息を呑み、一歩後ずさる。 「そして、そっちも、オメガだ」  ウルズの指先が僅かに動く、示す方法を辿るとそれはロキが胸に抱いた赤ん坊を指差していた。 「お、オメガ⁈ この子が⁈」  ロキは驚愕し、声を上げた。

ともだちにシェアしよう!