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21-3.
黄昏は過ぎ去っているどころか、フェンリルを神殿に誘うとされていたもう一人のオメガが、まだ赤子の姿をしている。
「ウルズ! 教えてくれ! 俺が……オメガが神殿から逃げ出してから、いったい、どれくらいの時間が経った?!」
ロキが尋ねると、ウルズはすぐに「百年だ」と答えた。
「百年……、黄昏は……来たのか? オーディンは、ヘルは? 神殿はどうなってる?!」
矢継ぎ早に尋ねるロキに、ウルズは眉を寄せて顎を上げた。
「おいおいおい、さっきは赤子を黙らせた代わりに答えてやったが、本来私に答えを求めて問うのなら、それなりの対価が必要だ」
ロキは押し黙り、自分の姿に目を下ろした。
赤子を抱え、肩からはフェンリルの入った袋を下げている。傍のヨルムと目を合わせ、お互いどうしたものかと首を振った。
「渡せるものがない」
そう言ったロキを、またウルズは指差した。
「その髪をよこせ、綺麗な髪だ」
ウルズはうっとりと目を細めた。
ロキがこくりと頷くと、どこからか取り出した小刀を、ウルズがロキの足元に放り投げる。
ロキは赤子の体をヨルムの背中に預けると、その小刀を拾い上げ、自らの背後で結んだ髪を切り落とした。
その髪の束をウルズに向けて投げ渡すと、運命の女神は嬉々として懐にロキの髪を仕舞い込んだ。
「黄昏はまだ来ていない。オーディンはお前が裏切ったと知り激怒している。ヘルは冥界に落とされた。神殿はミーミルの虚言を信じて、新しいオメガを探している」
ウルズはロキのした質問に対して、淡々と答えを紡いだ。
「俺はオーディンを裏切ってなんかいない!」
ロキは声を荒げた。
ミーミルはやはり、神殿の神々と同じく、オーディンにも嘘を吹き込んだのだ。バルドルのものである黄昏の予言を奪い自分のものとして、さらには内容を捻じ曲げた。
神々を黄昏と言う破滅に導くのがミーミルの目的だ。新しいオメガを探すように仕向けているのも、その為だろう。
「ウルズ! お願いだ、あなたがミーミルの虚言を知っているのなら、神殿に掛け合ってくれないか!」
ロキの必死の訴えにウルズは大きな欠伸を返した。
「いやだね。神殿なんかと関わりたくない。何のために上層から離れたこの場所に居を構えたと思ってるんだ」
その答えに、ロキはぐっと奥歯を噛んだ。神とは元来、奔放で気まぐれなものが多いのだ。
「ウルズ……俺は……オーディンを失いたくない……でも、この子を殺すことなんてできないんだ……どうしたら……俺はどうしたらいい?」
フェンリルの入った袋を抱え、ロキは縋るように訴えた。
ウルズは片手を伸ばし上向けた手のひらの指先を、何かを求めるかのように、くいくいと揺らしてみせる。
「何を、差し出せばいい?」
ロキは尋ねた。
「お前の、その特異な力を貰おうか」
ウルズは悪戯に笑んだ。
「特異な力?」
「オメガの香りと、鶫の羽が欲しい。それがあれば、気軽に飛び立ち、いかなる獣も惑わせられる。欲望のまま、思う存分楽しめるだろう?」
ロキは迷わず頷いた。
ウルズはロキに水面に手をつけるようにと指し示した。言われるがまま、ロキが両手を水に浸すと、水面が揺れ、波紋がウルズへと伸びていく。
ロキは立ち上がり、自らの手のひらを上向け、目を落とした。オメガの性を、鶫の羽を失ったようだ。
「簡単だ、そいつを殺せ」
ウルズがヨルムを指差したので、ロキは思わず眉を歪めた。しかし、直後また「アーアー」と鴉のように赤子が鳴いて、ウルズはその子を指差したのだと気がついた。
ロキはヨルムの背中からその赤ん坊を抱き上げる。不思議とロキの腕に収まると、また赤ん坊は泣くのをやめた。
ムチムチの四肢を必死に動かすその姿から、ロキは目を逸らした。
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