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21-4.

 泉に歩み寄りざぶざぶと水を分ける。膝まで浸かる位置に来てロキは赤ん坊を抱いた腕を伸ばした。  この手を離せば赤子は沈み、息ができずに死ぬだろう。そして、このオメガの子がいなければ、フェンリルは神殿に行くこともなく、オーディンがフェンリルに食われることもなくなるはずだ。 「この手を離せばいい……」  喉奥が震えた。  赤ん坊は暖かく小さい。翡翠の瞳が何の感情もなくただ無垢にロキを見上げている。 「む、無理だ……できない……」  ロキは伸ばした手を納め、赤ん坊を胸に抱き直した。 「だろうな、知っていたぞ。おまえがそう言うって知っていたんだ、私は」  その姿を見たウルズがカタカタと笑っている。 「特別にもう一つ、教えてやろう」  その口ぶりに、ロキはウルズに揶揄われたのだと気がついた。腹が立つが言い返してウルズが口を継ぐんでは大変だ。ここは堪えて、ロキはぐっと喉奥に言葉を押し込んだ。 「オメガを連れて海を渡り、ミッドガルドに隠れるのがいい、海辺はダメだ。ずっと奥、のさらに奥、誰も見向きもしないような場所へ」 「ミッドガルド?」 「人間の住まう地」 「で、でも……いくら隠れても、いずれ気取られてオメガ(この子)も俺たちも、神殿の神々に見つかってしまうんじゃ?」  ロキの問いに、ウルズはピタリと口を継ぐんだ。しばらく待ったが、ウルズは口角を上げニヤニヤと笑うばかり、ロキは観念したようにため息をついた。 「今度は何を差し出せばいい?」  ロキが言うと、ウルズは瞳を見開いた。 「お前の不老をよこせ」 「不老……? だって、あなたも女神なら不老のはずでしょう?」 「私が使うのではない。鶫になって飛び立ち、美しい獣を見つけたらオメガの香りで誑かして不老を与えて囲うのだ!」  無邪気な夢を語るかのような口ぶりに、ロキは返す言葉もなかった。 「わかった」 「ロキッ!」  ロキの言葉を止めるように、ヨルムが不安げに名前を呼んだ。 「大丈夫だ、もともと俺の不老長寿はオーディンに与えられたものだし、それが人間と同じに戻るだけ。それに、老いはするけど、人間の寿命だってすぐに来るわけじゃない」  ロキはそう言って、ヨルムの姿を振り返った。 「おお、不老までもを差し出すか! ではお前に力を与えよう。オーディンや神々から気配を隠す力だ。お前自身がそう望む限り、神殿の奴らはお前やオメガや器たちの居場所を気取ることができない」  ウルズの言葉に、ロキは意を決したように数回頷いた。泉に浸かったロキの足元でまた水面が揺れ動いた。その波紋はロキとウルズの座る岩とを繋ぎ、やがてゆっくりと収まっていった。  力をあけ渡した時と違い、ロキは何かを失ったような気がしなかった。さらには何かを得たような気もしない。しかし、そう言うものだとウルズは言った。 「因みにその力は、お前の生命力に依存しているからな?」  泉から上がろうとしたロキの背中にウルズが言った。 「おまえが死んだり弱ったりしたら、それと同じくその力も失われたり弱ったりすると言うことだ」 「なんだよそれっ! 後出しじゃないかっ!」  ヨルムが言った。  ロキはそのヨルムの頭に手を乗せて、「仕方ない」と穏やかに告げた。 「どちらにしろ、俺たちはウルズに頼るしかなかった。これでいいんだ、ヨルム」  ミッドガルドは、ユグドラシルを背にして、太陽が上り、沈んでいく方向のちょうど真ん中へ向かえばいいとウルズは言った。  そしてその後、ウルズは頑なに口を閉ざし、ただ薄笑みを浮かべ岩の上に鎮座していた。  ロキはウルズに背を向け、フェンリルを入れた袋を肩にかけ、オメガの赤ん坊を抱きしめ、そしてヨルムと共にウルズの示したミッドガルドを目指した。

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