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22-1.届かない手紙

 砂浜にたどり着いたロキは街並みを見上げた。  神殿以外の場所で人の生活の気配を感じるのは初めてだ。  運命の女神ウルズは、海辺はダメだと言っていた。だからここよりもっと内陸へ行かなければならないだろう。フェンリルは相変わらず眠っていて、オメガの赤ん坊も不思議と鳴き声もあげず、元気な様子だ。  ロキ自身も今はオメガの性や不老を失い、ただの人だ。そういえば、ウルズが別れ際に少しおまけをしておいたと言っていたのは、海を渡る間にあまり疲弊しなかったことの関係あるかもしれない。  とはいえ人間で考えると普通はこんなに長時間飲まず食わずでは命に関わるはずだ。ここらあたりでせめて何か食べるものを手に入れた方が良いだろう。 「おや、あんた!」  突然声をかけられ、街を見上げていたロキは振り返った。海を眺めるが、そこにはただ穏やかな波が寄せては引いていくばかりで誰の姿も見られない。 「あんた、ちょっとあんた! こっちだよ!」  風の音で間違えたようだが、どうやら声は砂浜の上からしているようだ。ロキは視線を滑らせそちらを見ると、黒いローブをすっぽりと羽織り、海風から身を守るかのように肩を窄めた女性の姿があった。  老婆というほどではないが、若くもない。口元や目元に皺がよりところどころにシミが落ちている。ローブからのぞいた前髪には白髪が混ざっていた。 「あんった、びしょ濡れじゃないかいっ! 赤ん坊抱えてこんなところでこんな時間にいったいどうしたんだいっ!」  女性は怒っているのか心配しているのかよくわからないほどに声を張り上げた。  波の音と海風で掻き消えることを見越してのことだったが、ロキにはしっかりとその声が届き、あまりのボリュームに目が覚めるような心地になった。 「あ、いや……宿を……いや、この子に食事をあげられるところを探していて」  それを聞くと女性はヨタヨタとロキに歩み寄った。少し風に煽られているふうでもあるようだが、どうやら足があまり良くないようだ。 「あんら、まだ歯もないし、普通の食事じゃだめよ!母乳かミルクでないと!」 「ミ、ミルク……?」  ロキは戸惑いながら、腕の中の赤ん坊を見下ろした。不安げなロキの様子を見た女性は、フンと息を吐くと「ついてきなっ」と強引にロキの腕を掴んだ。  段々畑のように家を並べるこの街の、海から数えて三段目の道まで登り、その東側から三番目の赤い屋根の家の隣の小道を入って、右に行って左の突き当たり、日の当たらないその細い道でひっそりと水晶玉の絵柄の釣り看板が下がった家があった。  女性はそこまでえっちらおっちらロキを誘い、ガラガラとドアベルの鳴る扉を開いた。 「あー、まっとくれ、そんなびしょ濡れの足で入ったら行けないよ、とりあえずこの子を預かろうかね」 「あ、いやっ……」  ロキが止める間もなく、女性はロキの腕から赤子を抱き上げた。泣き出すかと思ったが、赤子は未だ落ち着いた様子だ。  家の中は店でもやっているのか、待合の椅子が壁際に並べられ、奥には大仰なテーブルを挟んで向かい合わせに椅子が一脚ずつ置かれている。  テーブルの上には水晶玉やらタロットカード、壁には占星術にまつわる張り紙やら、よくわからない薬草類やら尖ったツノが束ねて吊るしてあった。 「占いを生業にしててね、あたしのことは占いババアとでも呼んで」  室内を見渡していたロキに占いババアと名乗った女性は得意げにウィンクしてみせた。 「おーい、ルラー? 起きておくれよ、手伝っておくれ」  占いババアは、部屋の奥にあった階段の上に向かって大声を張り上げた。

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