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23-4.

 このまま地面に真っ逆さま、となったらどうしようとロキは思ったが、幸いニーズベッグは翼を広げ風を集めて上昇した。その視線の先にはユグドラシルが見えている。  この世界を貫き煌々と輝くはずの大樹は、今は光を失い枯木のように周囲の空気を澱ませていた。 「オーディン! 何する気だ! どこまで飛ぶの!」  風の音でかき消えそうで、ロキは声を張り上げた。 「察しが悪いな、チビ」  オーディンはロキの耳元で言うと、体の前に腕を回した。その手には、手のひらに収まりきらないほどに光を放つ鉱石がある。 「これ、いったいなんなのっ! さっき夢でバルドルが俺にこれを握らせたんだっ!」  問いながらも、ロキはそれが何か気がつきはじめていた。  冥界でバルドルに懐いていたニーズヘッグ。  バルドルは冥界で黄昏の続きを予言したと言っていた。  全てうまくいくとも。  これはきっとそのために、バルドルがニーズヘッグに預けたものだ。ロキがニーズヘッグをつれて上層に上がることも、こうなることもきっとバルドルは見ていた。であれば、これはきっと…… 「バルドルが残した光だ。これでユグドラシルに光を取り戻す」  オーディンが言った。  ユグドラシルに光が戻れば、光の神(バルドル)を失う前のように、また中層に朝が来て春が訪れる。  まるでオーディンの言葉を「そうだ」と肯定するかのように、ニーズヘッグはまた咆哮し、さらに力強く翼をはためかせた。  息苦しいほどに上昇を続けるとニーズヘッグは、やがてユグドラシルの近くまで辿り着き、幹に沿って地面に直角にその体を向ける。  だめだ落ちると思ったロキの体を、オーディンが片腕で抱え込み、もう一方の腕でニーズヘッグの首にしがみついている。長くは持たない、そう思ったが、オーディンの腕の力が尽きるより先に、ニーズヘッグはユグドラシルが枝葉を広げるその高さまで辿り着いた。 「オーディン、どうすんのっ⁉︎ な、なんか特別な呪文とかっ⁈」  少し期待をしながら、ロキはオーディンの顔を見上げた。  オーディンは口の端を持ち上げて笑うと、一瞬だけその左眼がロキを見下ろした。 「そんなものはない」  その言葉の直後、オーディンはニーズヘッグにしがみついていた手を離し、大きく腕を振りかぶった。 「物理だ‼︎」  ロキはかろうじてニーズヘッグの羽の付け根を掴んだが、振りかぶったオーディンは支えを失いそのまま中空に投げ出された。しかしその手からは、バルドルの光がユグドラシルに向けて真っ直ぐに放たれていた。  ロキは腕を伸ばした。  しかしオーディンの体には届かない。逆さまに落ちていくその体を追いかけるかのように、ロキはニーズヘッグから手を離した。  ユグドラシルの幹に光の筋が走っていく。それと同じ速度でロキとオーディンは落ちていた。  ロキが伸ばした指先は、もう少しでオーディンの伸ばした指先に届きそうだ。  強い風圧でオーディンの眼帯が外れた。逆立つ黒髪の間から見えた右目は、ミーミルの偽りの予言で奪われたはずだった。  しかし今、オーディンのその瞼が開き、光を取り戻した薄いブルーの双眸がロキを……否、それより背後にいる誰かを見上げ、口元が微かにその名を呼んで微笑んだ。  ロキはオーディンの手を掴んだ。  空中で必死にその体を抱き寄せる。風圧を避けるように、オーディンの体を抱え込んで目を瞑った。  もう神に祈るしかない。しかし、残念ながら最高神は自分と共に落ちている。そんな思考が巡った直後、息が止まるほどの衝撃に体がうち当たった。 「うぐっ!」  ロキは呻いたが、それは地面に衝突したものではない。仮に地面に衝突したのであれば生きてはいないだろう。恐る恐る目を開けると、ニーズヘッグの翼が映る。どうやら、ニーズヘッグが二人の体を受け止めたようだ。

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