3 / 14
夢見る俺たちのオメガバース (3)
玄関の扉が閉まる音を聞き届けてから、俺はうーんと両腕を伸ばした。
食欲がなくてご飯は食べられなかったけど、りんごジュースを飲んだらちょっと元気が出てきた気がする。
そのまま机の上を手探りしてみると、指先が折りたたみ携帯をかすった。
ポチポチとボタンを押して『さとうせんぱい』を呼び出し、左手の親指を動かして文字を入力する。
本当は電話して声を聞きたいけど、きっとこの時間は登校準備で忙しいだろうし、もしかしたらもう家を出て駅に向かってる途中かもしれない。
だから、せめてメールをーー
TO:さとうせんぱい
件名:今日やすみます
本文:
「あっ!」
しまった。
まだ本文入れてないのに……!
慌ててメールを打ち直していると、携帯電話自体がブルブルと震え始めた。
縦長の液晶画面に映し出されていたのは、
『さとうせんぱい』
これ、電話だ……!
「も、もしもし!」
『理人? おはよう。休むってどうした? 大丈夫……?』
大好きな人の大好きな声が、優しく鼓膜を揺らす。
機械を通して音の質は変わっていても、その穏やかな響きはまったく変わらない。
佐藤先輩の声だ。
佐藤先輩が、俺を呼ぶ声。
鼓膜を弾いた優しさが、音のさざ波となって俺の中に降りてくる。
弱っていた心をあっという間に包み込み、守ってくれる。
そのことが、
どうしようもなく、
嬉しい。
「佐藤先輩……っ」
うっかり語尾が震えてしまって、俺は何度も咳払いで誤魔化した。
いくら体調が悪いからって、これじゃあまるで小さな子供だ。
ただでさえ俺のほうが年下で、たった一年なのにどうしても埋められない差があって、早く、早く追いつきたいと思っているのに。
でも、俺がどんなに虚勢を張ったって、先輩にはいつだって何だってお見通しなんだ。
電話の向こう側で、先輩の吐息がかすかに笑った。
『もしかして、風邪引いた?』
「……はい。微熱、あって……」
『咽喉は? 痛い?』
「大丈夫です」
『鼻水は? 頭痛とか』
「それも、大丈夫。ただ……」
『ただ?』
「熱い……」
ものすごく、身体が熱かった。
特に目の裏が、なにかが燃えてるみたいに熱い。
単に熱が上がってきただけなのかもしれないけど、なにかがおかしい。
身体の中に芽生えた何かがじわじわと広がりはじめて、不快なような、そうでないような感覚を与えてくる。
『もしかして、熱、上がってきた?』
「うん、たぶん……」
『とにかく、あったかくして。しっかり休むんだよ。お父さんとお母さんは?』
「仕事、行った」
『そっか。飲み物と食べ物はある?』
「ある」
けど、
「……」
『理人?』
「う、ううん。なんでもない」
ひとりは寂しいーーでも、泣き言は言えない。
だから、頑張って言葉を飲み込んだのに、
『ひとりで寂しい?』
「……え」
なんで。
「……どうして、わかるの」
いつもそうだ。
佐藤先輩にはすぐに見抜かれてしまう。
どんなに隠そうとしても、
どんなにちっぽけな思いも、
『理人のことならなんでも分かるよ』
いつだって、
どこだって、
先輩は、俺のほしい言葉をくれるんだ。
『授業終わったら、アイス持ってお見舞い行くから』
「……佐藤先輩」
『ん?』
「すき」
「……」
「……」
「……あ」
あ。
あ、ああ、あああ、ま、間違えた!
や、ち、違わないーーけど、違う!
今言いたかったことはそれじゃなくて、
「あ、ありがとーー」
『俺も好きだよ』
「……」
ちゃんと水分取って、汗をかいたら面倒くさがらずに着替えるようにーーそう言い残して、電話は切れた。
耳の中を漂う余韻が、ため息になって口から溢れる。
頭がふわふわする。
ほっぺがかっかする。
でも、わかる。
これは、熱のせいじゃない。
〝好き〟
佐藤先輩と出会うまで、知らなかった。
たった二文字の言葉に、こんなにもすごいパワーがあったなんて。
嬉しくて、幸せで、でも幸せすぎるから、ちょっとだけ怖いーーそんな気持ちが、あったなんて。
こんな自分が、いたなんて。
こんなの、まるで恋する乙女だ。
恥ずかしい。
どうにもたまらなくなってきて、俺は布団をすっぽりと被った。
ともだちにシェアしよう!