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夢見る俺たちのオメガバース (3)

 玄関の扉が閉まる音を聞き届けてから、俺はうーんと両腕を伸ばした。  食欲がなくてご飯は食べられなかったけど、りんごジュースを飲んだらちょっと元気が出てきた気がする。  そのまま机の上を手探りしてみると、指先が折りたたみ携帯をかすった。  ポチポチとボタンを押して『さとうせんぱい』を呼び出し、左手の親指を動かして文字を入力する。  本当は電話して声を聞きたいけど、きっとこの時間は登校準備で忙しいだろうし、もしかしたらもう家を出て駅に向かってる途中かもしれない。  だから、せめてメールをーー TO:さとうせんぱい 件名:今日やすみます 本文:    「あっ!」  しまった。  まだ本文入れてないのに……!  慌ててメールを打ち直していると、携帯電話自体がブルブルと震え始めた。  縦長の液晶画面に映し出されていたのは、 『さとうせんぱい』  これ、電話だ……! 「も、もしもし!」 『理人? おはよう。休むってどうした? 大丈夫……?』  大好きな人の大好きな声が、優しく鼓膜を揺らす。  機械を通して音の質は変わっていても、その穏やかな響きはまったく変わらない。  佐藤先輩の声だ。  佐藤先輩が、俺を呼ぶ声。  鼓膜を弾いた優しさが、音のさざ波となって俺の中に降りてくる。  弱っていた心をあっという間に包み込み、守ってくれる。  そのことが、  どうしようもなく、  嬉しい。 「佐藤先輩……っ」  うっかり語尾が震えてしまって、俺は何度も咳払いで誤魔化した。  いくら体調が悪いからって、これじゃあまるで小さな子供だ。  ただでさえ俺のほうが年下で、たった一年なのにどうしても埋められない差があって、早く、早く追いつきたいと思っているのに。  でも、俺がどんなに虚勢を張ったって、先輩にはいつだって何だってお見通しなんだ。  電話の向こう側で、先輩の吐息がかすかに笑った。 『もしかして、風邪引いた?』 「……はい。微熱、あって……」 『咽喉は? 痛い?』 「大丈夫です」 『鼻水は? 頭痛とか』 「それも、大丈夫。ただ……」 『ただ?』 「熱い……」    ものすごく、身体が熱かった。  特に目の裏が、なにかが燃えてるみたいに熱い。  単に熱が上がってきただけなのかもしれないけど、なにかがおかしい。  身体の中に芽生えた何かがじわじわと広がりはじめて、不快なような、そうでないような感覚を与えてくる。 『もしかして、熱、上がってきた?』 「うん、たぶん……」 『とにかく、あったかくして。しっかり休むんだよ。お父さんとお母さんは?』 「仕事、行った」 『そっか。飲み物と食べ物はある?』 「ある」  けど、 「……」 『理人?』 「う、ううん。なんでもない」  ひとりは寂しいーーでも、泣き言は言えない。  だから、頑張って言葉を飲み込んだのに、 『ひとりで寂しい?』 「……え」  なんで。 「……どうして、わかるの」  いつもそうだ。  佐藤先輩にはすぐに見抜かれてしまう。  どんなに隠そうとしても、  どんなにちっぽけな思いも、 『理人のことならなんでも分かるよ』  いつだって、  どこだって、  先輩は、俺のほしい言葉をくれるんだ。 『授業終わったら、アイス持ってお見舞い行くから』 「……佐藤先輩」 『ん?』 「すき」 「……」 「……」 「……あ」  あ。  あ、ああ、あああ、ま、間違えた!  や、ち、違わないーーけど、違う!  今言いたかったことはそれじゃなくて、 「あ、ありがとーー」 『俺も好きだよ』 「……」  ちゃんと水分取って、汗をかいたら面倒くさがらずに着替えるようにーーそう言い残して、電話は切れた。  耳の中を漂う余韻が、ため息になって口から溢れる。  頭がふわふわする。  ほっぺがかっかする。  でも、わかる。  これは、熱のせいじゃない。 〝好き〟  佐藤先輩と出会うまで、知らなかった。  たった二文字の言葉に、こんなにもすごいパワーがあったなんて。  嬉しくて、幸せで、でも幸せすぎるから、ちょっとだけ怖いーーそんな気持ちが、あったなんて。  こんな自分が、いたなんて。  こんなの、まるで恋する乙女だ。  恥ずかしい。  どうにもたまらなくなってきて、俺は布団をすっぽりと被った。

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