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夢見る俺たちのオメガバース (11)
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「……」
「おーい」
「……」
「おーい、佐藤くんってば」
「………」
「佐藤くーん」
「…………」
「生きてる~?」
いえ、死んでます。
佐藤英瑠 は、たった今あの世へと旅立ちました。
享年にじゅう……あれ、俺、今いくつだっだっけ……?
っと、それはともかく。
長いようで短い人生だったなあーーでもなくて。
「何なんですか、これ!?」
紙の束を握りしめながらわなわなと全身を震わせる俺の目の前で、宮下 さんはあまりにシレッと言い放った。
「だから、新刊だって言ったじゃん」
「はい!?」
「コンビニ店員×エリートリーマンの×× シリーズの最新刊。って言ってもオメガバースを舞台にしたif設定だから、番外編みたいなものなんだけどね。でも今回は、さらに高校生編ifの特典SS付き豪華版にしたの! 今佐藤くんが読み終わったのが、まさにその特典SS。ちゃんとした小説を書くのは初めてだったけど、それなりに書けてると思わない?」
「……」
「あれ、佐藤くん?」
ああ。
なんてことだ、こんちくしょう。
「情報量が多すぎてついていけないです……!」
頭を抱えた俺の向かい側で、宮下さんがケタケタと笑い声を上げた。
宮下さんは、正式名称を『宮下果梨 』という。
俺が理人さんと一緒に東京に引っ越すまで働いていたコンビニのバイト仲間ーーいや、大先輩だ。
あまりに有能すぎるがために何度も社員になってくれと懇願されていながら、長年の夢があるからと断り続けて早数年。
ついにその夢が叶ったのだと、大興奮の宮下さんからスタンプまみれのLIMEが届いたのが一ヶ月前。
さらに二週間前には理人さんの本社出張が決まり、そんな理人さんにくっついて俺も名古屋 に来れば、『宮下さんの漫画家デビューを祝う会』ができるのではと思いついたのが一週間前。
俺の提案に宮下さんはものすごく喜んでくれて、ちょうど俺に見せたくてたまらないものができあがったところだから会いたいと思っていたのだと、また大量のスタンプと一緒に大興奮のLINEが届いた。
待ち合わせ場所に指定されたのは、『グリーンガーデンカフェ』
ネオ株ーー理人さんが勤める〝ネオジャパン株式会社〟の通称だーーから地下鉄で一駅のところにあり、俺と理人さんにとっては嬉しくも恥ずかしくもある思い出の場所だ。
実は理人さんと、「せっかくだから帰りに寄って行こうか」なんて話していたのだが、まさかその場所でこんなものを読まされることになるなんて。
宮下さんの長年の夢が漫画家としてデビューすることだったこともこれ以上にないくらいの驚きだったけれど、まさかそのジャンルが男同士の恋愛を描くというボーイズラブだったのも今年一番の驚きだった。
てっきり宮下さんが〝俺に見せたくてたまらないもの〟は、そのデビュー作だと思っていたのに。
「まさか、俺と理人さんをモデルにした漫画を描いてるなんて思わないじゃないですか! しかもなんかものすごくエロいし……!」
俺はできるだけ声量を落とし、だができる限り渾身の思いを込めて叫んだ。
平日の昼間とは言えカフェにはそこそこ人が入っているし、客層はほぼ100%女性だ。
せっかく憩いの時間を過ごしている彼女たちに、こんな下世話な話を聞かせるわけにはいかない。
「それに何なんですか、『熟した果実のような』って! 理人さんのフェロモンは、絶対『クリームソーダ』の香りです!」
そうだ。
もしも理人さんがΩで発情したら、絶対その時の香りは『バニラアイスの甘ったるい香りにメロンソーダの弾けるようなポップさが混じり、さくらんぼのようにみずみずしく弾ける尻肉の誘惑に抗えずに俺は……』って、一体何を力説しているんだ、俺は!
だから、そんなことはどうでもよくて!
俺が言いたいのは!
「ちょっと普通に木瀬さんとの絡みが多すぎじゃないですか!?」
「え、そう?」
いや、そうでしょ。
理人さんとの幼馴染設定は、百歩……いや、千歩……いやいや、百万歩譲ってなんとか無理してようやく受け入れるとしても、指突っ込んだりするのはナシだと思う。
かろうじてキスしていないのは救いだけど、がっつり指突っ込んでるし、ぐちょぐちょぬちょぬちょかき混ぜるとか、曲がりなりにも俺と理人さんの話なら、絶対あってはならない展開じゃないのか……!?
「佐藤くんには悪いけど、ストーリー上絶対必要な絡みだったんだよね。どうしても攻めに『こらこら一年坊主』って言わせたくて書き始めたSSだったから……でもさすがにわたしも書いてる時気分が乗らなくて、指だけでやめちゃったんだ。それに安心して。続編では、ちゃんと二人の濃厚お清めセックス書いてるから!」
「は……?」
お清め……何だって?
「まだ最後の校正中なんだけど、イベント会場で新刊買ってくれた人に渡す無配にするつもりなの」
「あ、そう……ですか」
ムハイ……とは。
「それに、最終的には登場人物の名前も変える予定だから」
「え、そうなんですか?」
「そりゃそうだよ。うっかり佐藤くんと神崎さんのことを知ってる人が読んでくれる可能性がないとは限らないでしょ? だから、攻めの名前は加藤 依瑠 、受けは安崎 日佐人 でシリーズずっと統一してきてるの。読者さんたちには、〝よるひさ〟って呼ばれてるよ。あ、当て馬くんは、三瀬 祥生 ね」
「それ、ニアミスすぎでしょ!」
どうせ改名するなら、もっとかけ離れた名前に……ん?
今、シリーズって言わなかったか?
シリーズずっと、って!
「ま、待ってください! もしかして、俺たちをモデルにした本ってこれだけじゃないんですか!?」
宮下さんは、いかにも『今さら何言ってんだ、こいつ』と言わんばかりの目で俺を見てきた。
「二人の××シリーズ、けっこう人気なんだよ。おかげさまで、もうかれこれ五年になるかなあ」
「五年……!?」
それって、俺と理人さんが付き合い始めた頃から書いてるってことじゃないか!
「しょ、肖像権の侵害だ……!」
いや、著作権?
どちらにしても、俺と理人さんが紡いできた大切なメモリーの数々を俺たちに無断で公開するなんて、とんでもない重罪だ。
いくら読み手が知らない人だからって、そんなのフランス革命も真っ青レベルの公開処刑じゃないか。
恥ずかしすぎる……!
「まあまあ、佐藤くん。君たちのxxシリーズのおかげで商業デビューできたようなものだから、これでも二人には本当に感謝してるんだよ?」
それから宮下さんは、俺たちのxxシリーズを出版社に持ち込んだ時の話や、それをきっかけに担当さんがついた話、さらにはデビューまでの険しい道のりまでを、悲喜交交、ノンストップで語った。
正直、話の半分くらいは何のことやらわからなかったけれど、本当に、努力に努力を重ねて掴んだ結果なんだと思う。
その努力の過程に理人さんと二人してうっかり巻き込まれていたのは大誤算だったけれど、宮下さんの輝く笑顔が、俺たちの犠牲は決して無駄ではなかったのだと教えてくれる。
俺は、宮下さんの呼吸が落ち着いたのを見計らって、四角い箱を差し出した。
「改めて、デビューおめでとうございます」
中身は、大きめマグカップと陶器製のコーヒーフィルターのセット。
プレゼントするなら、何か仕事中に気分転換として使えそうなものがいいかも、と選んだものだ。
理人さんは、座り仕事には良い椅子が必須だからと人間工学に基づいてデザインされたワークチェアを推していたけれど、持ち運べないからやめた。
椅子の方は、来年、デビュー一周年記念に送るのもいいかもしれない。
「ありがとう、嬉しい! わたしからも、はい」
「えっ」
「言ったでしょ、感謝の気持ち」
宮下さんは聖母のような穏やかな笑みを浮かべながら、やけにきっちりと包装されたそれを差し出した。
でも俺は、すぐに手を伸ばすことができない。
なんだか普通に平べったいし、大きさがA4っぽいし……妙に嫌な予感しかしない。
「受け取る前に確認しておきたいんですけど……」
「ん?」
「何ですか、これ」
「昨日印刷所から届いたばっかりの新刊! 出来たてほやほやだよ。ちゃんと保管用と佐藤くん用と神崎さん用で3冊入れといたから。あ、特典SSは完成したらLIMEで送るね!」
「いりません!!!」
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