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第14話 ファーストキス

 美術部に戻ると、八木女史は不機嫌そうに一人で後片付けをしていた。 「ほかの人は?」  尋ねても、女史は聖の方を見ようともしない。 「打ち上げに行ったわ。片付けなんて明日でいいのだけど、ヘタなアニソンを聴かされるのはゴメンだから」  女史が大した理由もなく不機嫌になるのはよくある事だが、本当はみんなとカラオケに行きたかったのではないかと、聖は何となく思った。 「制服、ありがとう。本当にクリーニングに出さなくていいの?」 「モデルを頼んだのはコッチだし、部費から出るから心配しないで。こんなこと気遣うなんて、聖くんらしくない……いや、これが本当の姿か」 「本当の姿?」 「そう。いつも無理して乱暴な言葉使ったり、外股で偉そうに歩いたり……あ、あれはバレエの影響か。で、秀平くんとは上手くいったの? 私の指示通りにやったのかしら?」  聖は、頬を染めてうつむく。 「うん。そしたら……付き合おう、って……」 「えっ?」  八木女史は手を止め、ようやく聖の方を見た。 「マジ?」  聖は、一度だけしっかりとうなずいた。  女史は、両の拳を天に突き上げ、全身で喜びを表す。 「やったあ!」 「やったぁ?」 「やったのよ! 私、とうとう見つけたの。リアルなBLカップルを」 「そんな、未確認生物みたいな言い方しないでよ……」  しかし、女史は聖の主張など聞いていない。 「これから楽しませてもらうわ。ああ、心配いらないから。私が男同士の恋愛を手取り足取りアドバイスして、あ、げ、る」 「さよなら、恋人未満ちゃん」  八木女史は、そう言いながら聖からウィッグを取り、メイクを落とした。 「こんにちは、恋人くん。じゃあ私、部室に戻っているから」  上機嫌の女史が更衣室を出て行く。  聖は一人になり、女子の制服を脱ぐと、さっきまでの高揚感が嘘のように消え去っていた。  自分の制服を着て鏡の前に立つ。  普通の男だ。  男に戻った自分を見たら、秀平も現実に戻り、付き合うと言った事を撤回するのではないか?  そう思うと、聖はとてつもない恐怖に襲われた。  慌てて美術部へ走る。  勢いよく駆け込んできた聖に、八木女史は驚いた。 「どうしたの? ゴキブリでも出た?」 「あの……一緒に帰ろうって約束してるんだけど、男のカッコに戻ったら、なんだか秀平の前に立つのが怖くて」 「はぁ? 何で?」 「だって、この姿だよ。普通に男だし……秀平だって冷静になって、さっきのは無し、なんて言われたらオレ……」  女史は、呆れ顔で腕を組む。 「ヘタレねぇ。あのね、聖くんがモデルで出て来た時、秀平くん言っていたわ。女装した聖くんもステキだけど、普段の姿が一番魅力的だって」  大嘘である。  本当は女装した聖を、秀平は一時間、口も利かずに見惚れていた。 「秀平がそんな事を?」 「ええ。だから、迷わず行きなさい、カレのもとへ。行けばわかるさ、愛とは決して後悔しないことだから」 「どっかで聞いた言葉ばかりだけど、よくわかったよ。ありがとう、女史」  部室を飛び出して行く聖を見送りながら、女史は呟いた。 「ヘタレ受けには、嘘も方便よね」  秀平が校門の前に立つと、そこにはもう文化祭の名残を残す物は何も無かった。  看板もポスターも、全て撤去されている。 「作るのは何週間もかかるけど、壊すのは一瞬だな」  秀平はポツリと呟く。  クラスメイトが二人通り過ぎる。  一人が秀平に右手を挙げた。 「よお秀平、お疲れ。まだ帰んないのか?」 「お疲れ。聖くん待ってんだ」 「アレ、そういや今日見てないな。来てた?」 「ちゃんと来てるよ」  もう一人が言った。 「お前、スゲェ美人と歩いてたろ。今度紹介しろよ」 「やだよ。断わる」 「ちぇっ、ケチくせぇなぁ」  昨日までと何かが変わった訳ではない。  秀平の隣にはいつも聖がいて、それが日常で、今日も同じだ。  なのに、恋人宣言した途端、今まで思いもしなかった独占欲が秀平の中に生まれていた。  男がみんな聖を狙っているように見える。  なぜ今まで何も思わなかったのだろう。聖ほど可愛ければ、男でも構わないという節操のない野郎は沢山いるに決まっている。  自分のように、だ。  女だって油断できない。  ジェンダーレス男子が女のコに人気があると何かで読んだ。  女子バスケのキャプテンなんて、並の男子より男らしいし、聖に興味を持っているらしい。  秀平は、世界が一瞬で一変した事に、戸惑いや不安で一杯だった。  昨日と同じように聖を待っているだけなのに、なぜこんなにドキドキするのだろう。  小走りでやって来る聖の姿が見えた時、秀平は自分でも信じられないほど胸がときめいた。 「ゴメンね、たくさん待った?」  息を弾ませている聖を直視できない。 「いや、全然……」  秀平は言いながら、聖の荷物を取り上げる。文化祭で使用した台所用品の類いだ。 「悪いよ、そんなに重くないし」 「いいから。ボク、聖くんのカレだし、カレらしい事したいから」  秀平の言葉が嬉しくて、聖はニヤケ顔を隠そうとうつむく。そして、空いた手の指で秀平の肘の辺りを摘まみ、二人は歩いた。 「……秀平」 「ん?」 「あのさ、オレが男の姿に戻って、興醒めしてない?」 「えっ? 全く、全然。聖くんはさ……」 「えっ?」 「男の姿に戻ったら、ボクのこと醒めちゃったの?」 「ううん」 「じゃあ何?」 「好き。秀平が好き」 「僕もだよ。聖くんが大好き」  二人は、しばらく黙って歩き続けた。  いつもなら左右に別れる交差点で聖は言った。 「もう少し一緒にいたい……」 「神社裏の公園に行く?」 「うん」  長い階段を登ると神社があり、その裏手は地区の避難場所になっている。普段は公園として解放されているが、ここが人で一杯になるのは年に一回、花火大会の時だけだ。  たまに絵を描いている人がいるが、陽が沈んだ今は誰もいない。  二人は、何となく一番隅のベンチに座る。 「きれいだね」  そう言いながら、聖は秀平にもたれた。  空と海は漆黒となり、その狭間に紅色の一本の線が走っている。  街の灯りが、眼に見えて増えていく。 「うん、きれいだ」  だが秀平は、夜景ではなく、聖を見つめていた。  それに気付いた聖が、秀平の胸に顔を埋める。 「恥ずかしい……ヘンだよね。昨日までバカ話ばかりして騒いでいたのに」 「ヘンじゃないよ。恋って、突然落ちるものらしいから」  二人は、お互いの心臓の鼓動を感じていた。  聖が顔を上げて眼を閉じる。 「いいよ……」  最初は唇が触れ合うだけのキス。  そして、唇の感触を確かめるようなキス。  一度顔を離して見つめ合ったあと、二人はお互いの舌を求めて何度も何度も絡めあった。  歯と歯が当り、カチカチと小さな音がした。

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