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第23話 秀平の実像
しばらく、一言も交わさなかった。
聖は、低い視点から眺める街の風景が珍しく、ついつい見入ってしまう。
我に戻って鞄を開け、ペンケースにカッターナイフが入っている事を確認する。
ド変態野郎が秀平に危害を加えるつもりなら、刺し違えても止めるつもりだった。
「どこへ行くつもりだ?」
聖が尋ねると、男は事も無げに答えた。
「ホテルさ」
「ホ……アンタ、男も女も見境ないのか?」
焦る聖だったが、車が入っていったのは聖の想像していた様なホテルではなく、星が幾つも付くことで有名な一流ホテルだった。
男が車を止めると、詰め襟の制服を着た東南アジア系のドアマンが二人走って来て、ためらいもせずドアを真上に開ける。
聖が車の降り方がわからずにジタバタしていると、ドアマンは流暢な日本語で言った。
「まず両足を外に出して、それから私の手に掴まってください」
指示通りに動いてドアマンに引っ張ってもらい、ようやく聖は車から脱出できた。乗り降りだけでこれほど苦労するとは、スーパーカーとはままならぬものだと思う。
「ありがとうございます」
礼を言うと、ドアマンは恭しく頭を下げた。
「いらっしゃいませ。鞄をお持ちします」
「いえ、結構なんで」
そうしている内に、男はもうホテルの中に入ろうとしていた。
逃げることも一瞬考えたが、秀平の名が出た以上、覚悟を決めるしかなかった。こんなホテルなら物騒な事は起こるまいという楽観もあった。
聖は男のあとを追ってホテルに入った。
耳がツーンと鳴るほど高い階までエレベータで昇り、連れて行かれたのは高層タワーの天望デッキと同じ様な光景が広がる客室だった。
その無駄な広さと過剰な豪華さに聖が呆れていると、男はカウンターバーの冷蔵庫を開けて、微炭酸ミネラルウォーターの瓶を二つ取り出した。
「これでいいか?」
「……何それ?」
「フランスの水」
「ふーん、どうも」
男は聖に瓶を一本渡すと、自分はソファーにふんぞり返って座り、ゴクゴクと半分ほど飲んだ。
聖もソファーに座るが、想像以上にお尻が沈み込み、後ろにひっくり返りそうになる。
車といい、ソファーといい、金持ちは何でこんなに低い物が好きなのかと思いながら、聖も瓶のキャップを開けた。
「アンタ、大金持ちなんだな」
「アンタはやめてくれ。俺は高輪唯人。別に俺が金持ちなんじゃない。家が資産家なだけさ。ここだって親がビジネスに使っている部屋だし、今日はたまたま空いていたから借りただけだ」
「その資産を、いずれ手にする訳だろ? 顔も良くて、頭もいい。バンドやってて、スーパーカーを乗り回す。女なんて入れ食いの筈だ。なぜ八木に固執する?」
「アイツが沙奈恵だからとしか言いようがない。理屈じゃないんだよ。沙奈恵じゃないとダメなんだ……まあ、俺の話はいい。君らの話をしよう、嘘つきの横澤聖くん」
「……」
聖は鞄を抱きしめる。開ければすぐに取り出せる場所にカッターナイフはあった。
「何が沙奈恵のカレだよ。ただの友達じゃないか。君の恋人は水島秀平だ」
「だから何だ? 言いたいことがあればハッキリ言えよ。オレらは男同士だけど、人から後ろ指差されるようなやましい事は何もない」
「ああ、そうだな。君らは清く正しく愛し合っている。だが、君は恋に目が眩んで周りが見えていない。どれほど彼の輝かしい未来を踏みにじっているか、気付いていないよね」
「えっ? 何のこと?」
意外な言葉に、聖は狼狽える。
「君は中三の時、水島秀平が体操U15インターナショナルの強化選手だったのを知っているか?」
「い、いや……」
「そうだろうな。彼は強化合宿をけり、選考大会にも参加していない。出れば日本代表確実と言われていたのに。なぜだ?」
「……まさか」
「察しはいいな。そのまさかだと思うぞ。カレがその時、何をしていたか……そう、君に勉強を教えていたのさ。全く、俺には理解できないね」
聖はこの時まで、秀平のことを一番理解しているのは自分だと思っていた。
秀平が突然遠くに感じた。
「それだけじゃない。彼には体操の強豪校から幾つもスカウトが来たが、全て断っている。なぜだ?」
「……オレと……T高に行くため?」
「ピンポン! その通り、君のためだ。いいものを見せてやろう」
唯人は、聖に一台のタブレット端末を手渡す。
いきなり秀平の写真だった。スポーツ新聞の記事らしい。
それを送ると、体操協会の広報、地域の情報誌などの記事が貼ってあった。
次も、その次も、全て秀平の記事だった。
その多くに共通したフレーズがあった。
『未来のオリンピック候補』
聖は、それ以上見るのが恐ろしくなってタブレットを閉じた。
「いい出来だろ? 苦労したんだぜ。タブレットごとプレゼントするよ」
しかし、聖は茫然として返事もできない。
「君のカレはバランスが取れた男だ。素晴らしいよ。単なる筋肉バカじゃなく、勉強も頑張っている。ストイックなだけでなく、君という素敵な恋人もできた……」
聖の目が游ぎまくっているので、唯人はアゴを摘んで自分の目としっかり視線を合わせた。
「……だがな、カレの輝かしい未来をブチ壊しているのは、何を隠そうキミ自身だ」
「そんな……知らなかったんだ。秀平がそんなに凄い選手だなんて」
「知らないじゃ済まないよね。こんなこと……」
次に唯人は、自分のスマホを取り出した。
いつ撮られたのか、いつもの神社裏の公園でキスしている聖と秀平の写真だった。
「……最近は外でも堂々とイチャついてるみたいだけど、こんなのが拡散したらどうするつもりだ? そりゃあ、違法な事じゃないさ。でも、こんなのを叩くのが大好きなヤツらが、世の中にはごまんといるのは知っているだろ?」
聖の顔は青ざめ、口をパクパクさせるだけで声にならない。
「それに、体操は所詮点数競技だ。審判の胸先三寸で得点なんか簡単に上下する。騒ぎになりそうな選手は、早いとこ敗退させれば、それ以上炎上しないからな」
唯人は再びミネラルウォーターを飲み、瓶を空にした。
聖も猛烈なノドの乾きを感じ、震える手でミネラルウォーターを飲む。
「結局、体操協会を動かしているのは、頭の硬いオヤジどもだ。そんなヤツらが、同性愛に理解があるかな? 君の恋人は重要な大会にも選抜されなくなり、事実上選手生命を断たれることになる。クククッ……」
唯人は、愉快でたならないという風に笑いを堪える。
「オ、オレは、いったいどうすれば……」
「そうだなぁ、こればかりは自分で考えないとなぁ。しかしまあ、やれる事から始めたらどうだ……」
唯人は、消えていたスマホの画面を再び表示する。さっきのキスしている秀平と聖の写真だ。
「……まずはこれを消してもらうべきだろ。コピーは取っていない。正真正銘、誓ってこの一枚きりだ。だけど、拡散したら大変だぜ」
聖は唯人に頭を下げた。涙がポトポトと膝の上に落ちた。
「お願いします……その写真を消してください」
勝ったとばかりに満足げにうなずく唯人。
「いいとも。もちろん、そのつもりさ。だけど……」
ベルトを外して、チャックを開いた。
「……な、わかってるだろ? いや、男はマジ初めてでさ。でも、聖ならマジで並の女のコより良さげな気がするよ」
聖はフラフラと男の足もとまで這っていく。
唯人の両足の間に身体を入れると訴えた。
「どうか手で勘弁してください。口は、まだ秀平にもしたことが無いんです。初めてのフェラは、好きな人に捧げたいから……」
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