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みんなの友達おまわりさん

 「本当はこんなこと言いたくないんだがな」と、呼び出した側であるドルレアックの方がうんざり顔。ここで殊勝に同情の素振りを見せて恩を売る。 「良いんですよ、署長。捜査への協力は市民の義務ですから」  四度目の事情聴取はこちらの供述の為ではなく、他者の行動の整合性を確認するものだった。時計の針を合わせる役目は己にある。署長室まで運ばれてきた紙コップ入りのコーヒーを啜りながら、ヴェラスコはにっこり笑顔を浮かべて見せた。 「それに、警官を怖がるのは疾しい事のある人間だけです」  人権派弁護士として鳴らし、不当逮捕されたり不利益を被る少数派の為に生涯を捧げてきた両親が聞いたら、失望し首を振ることだろう。ヴェラスコ自身、ローファームにいた頃は散々と煮湯を飲まされてきた。  苦痛は学びを与える。自らが秘密を隠す、少なくとも敢えて口にしないよう立ち回る身となって以来、理解したことがあった。地位を手にした立場で鷹揚に振る舞うという稀有な状況でのみ、官憲は傅かせる事が出来る。  デイヴ・マレイの秘書がリマインダー上でまめにスケジュール管理をしていたおかげで、記録上における最後の接触者は己と言うことになっている。幸い、マレイは目的地を誰にも告げていなかったので、馬鹿げた逢瀬の場所すら現時点で明らかになっていない。エリオットがしれっとした顔で「あの日君は半休を取ったんじゃなかったっけ」と嘯き、彼に渡されるまま提出した総合感冒薬のレシートと欠勤簿を突き合わせた捜査官達の飲み込みの良さは、いっそ警察機構への不信感を亢進させる。 「あんたも元弁護士だからよく知ってるだろうが」 「ええ。それはもう。マレイ議員のご家族の裁判について、古巣で取り扱うことになりましたしね。マレイ・コーポレートの秘書、控訴するそうですよ」 「愛人が3人も名乗りを挙げた議員は前代未聞だ」 「表沙汰になった議員は、でしょう」  場を和ませるつもりだったのだが、ドルレアックはにこりとも顔を綻ばせなかった。 「ハリーは選挙戦にかかり切りだろう」 「そうでもありませんよ。今度の市営バスのストライキについては頭を悩ませています。また近々話したいと、リージョンで」  州で一番高い会費を取るカントリークラブの名の方が、この警察署長にとって、幾らか慰めになったようだった。  警官でカトリックの癖に、彼はハリーへかなり甘い。思春期の頃、頻繁に自殺未遂を起こした挙句、レズビアンだとカミングアウトした娘がいるからだろうか。デスク上の、女性二人がウェディングドレス姿で幸せを表明する写真へ視線を落とすと、ドルレアックは太鼓腹を揺すり溜息をついた。 「公然の事実なのでこう言っても許されるだろうが、デイヴは恐らく死んでるよ。建設を働きかけていた東区のショッピング・センターについて、マレイ・コーポレートはかなり危険な橋を渡ろうとしていたようだ。旧ユーゴスラビア統一親善記念協会とかいう組織が」 「ユーゴスラビアですか」  こちらは本心でぽかんとしながら、ヴェラスコは相手を見つめ返した。全く、弁護士をやっていた頃は法廷こそが魑魅魍魎の世界だと思っていたが、一度広い世界へ飛び出してみるとどうだろう。 「ユーゴスラビアか。君は何か知ってるかい、エル」 「セルビア系の団体かな」 「いや、恐らく多民族の連合組織だ」  言葉を交わすハリーとエリオットに、30インチテレビのUSBポートを探していたゴードンが嘴をいれる。市長室に設置されたそれが電源を入れられることは滅多になく、触れられるのは気のいい秘書が偶にダスターで埃を取ってやる時くらい。そのモーはたった今、ハリーの為のコーヒーを手に部屋へ戻ってきた。  運良く側近が全員庁舎にいるので、今朝納品された選挙用の広報CMを見てみようという話になった。既にENDTへは手を回し、ゴールデンタイムから夜の10時、朝のニュースの合間など、一番いい時間枠を幾つか買い取ってある。放送は明後日からだが、エリオットが大口献金者とバンドラー(多額献金集金者)へ事前に見せる為、今日のミーティングに持って行くと言う。 「前回のCMは嫌いだったんだ。何だか目が腫れていたし」 「今回は大丈夫ですよ。わざわざ服飾コーディネーターまで雇ったじゃないですか」  唇を尖らせるハリーに、この件の担当であるゴードンは胸を張ってみせる。 「それに、ハリー。忘れちゃいませんかね。この街の人間は基本的に保守的です。あまり奇を衒ったものは敬遠球を投げられますよ」  スイッチが入れられ、まずは歌で言うところのイントロ。昨年取り替えたばかりなのにまた故障を連発している、26番通りの魔の信号で渋滞を起こす車の列。続いて、スクラムを組んだ警察が群衆を押し返す映像に、ナレーションが被せられる『激動と変化の時代』    一時停止ボタンを押し、ヴェラスコは声を張り上げた。 「勘弁してくれよ。今この時期に、警察を敵に回すような映像」  眼鏡の奥で眼を眇めたエリオットは、映像を仔細改め、顎を撫でる。 「これは、三ヶ月前の給食センターの待遇改善デモかな」 「開始して4秒の中の、たった2秒のカットでいちゃもん付けようってのか。文句は最後まで見てから言え!」  威勢ではゴードンも負けてはいない。ひったくろうとしてくるので、ヴェラスコは咄嗟に手にしていたリモコンを背後へ隠した。 「そうでなくても、ドルレアックはマレイの件や、今度の市営バスのストでピリピリしてるんだ。警察の横暴なんてテーマを匂わせたら、あっさりスティーブンスに鞍替えする」 「あーっ、そうだった! ストの件、また話をしないと」  頭を抱え、天井を仰いだハリーのワイシャツは、今朝身につけていたものから着替えられていた。いちゃついていた相手は、恐らくモーだろうか。自らの席に着いて、停止されたままテレビ画像を見つめる横顔は、普段に増して精彩を欠いている。 「ヴェラ、今日彼に会ったんだろう」 「近いうちにゴルフ場で会おうとのことです」 「ゴルフか。待てよ、マーマンとブライスと行くのはいつだったかな」 「とにかく、再生しろって」  苛立って爪先を踏み鳴らすゴードンは、益々リモコンを遠ざけるヴェラスコから、エリオットへ向き直った。 「なあエル。あんたこの前、夜中に帰宅中、警察の職務質問に捕まってパトカーに止められてたって言ってただろう。ボルボに乗った、明らかに安全運転してる金持ちでも、黒人なら停止して疑いの目を向けるのが、この街のお巡りだ」 「確かに、他の都市と比べても、有色人種には厳しいと思います」  なんとモーまで参戦してきたのには、ゴードンですらぎょっと目を瞠る。 「去年から、俺の従兄がやってる肉屋が嫌がらせに遭ってると訴えてるんですが、被害届を受理させるまでも苦労しましたし……このデモにだって、幼馴染が参加していたんです」  常日頃、この鈍い秘書を何かとおちょくりに掛かる戦略次官が口を噤む光景なんて、滅多にお目にかかれるものではない。結局、言葉を継いだのは、それまで黙っていたエリオットだった。 「そもそも市民感情的に、警官なんて嫌われて然るべきだろう」 「それでも……」 「何だよ。ポリ公を庇うなんて、お前の親父さんとお袋さんが聞いたら泣き出すぜ」  加勢を得て途端に調子付いたゴードンを、ヴェラスコはきつく睨みつけた。 「分かってるよ、ヴェラ。確かに、警察組合の支持を無くすのは大きな損失だし、今後も注意を払う必要があると思う」  肩に置かれたハリーの手は優しく、胸を鷲掴みにされたような気分になる。 「君には本当に悪いと思ってるよ。マレイの件で矢面に立たされてるし、票数のことでも」  それは折角勝訴で終わった裁判が、控訴審へ持ち込まれると聞かされた時、息巻く後輩を宥めるのと全く同じ触れ方だった。 「これは僕に任せてくれ。彼はゴルフ仲間だし、気のいい性格だ。2秒くらい、お目溢ししてくれるさ」  走らされた目配せに、エリオットも頷いて見せる。 「早いうちにゴルフへ行ったほうがいいね」 「モー、予定を見てくれ」  慌ててパソコンのリマインダーを開いた秘書にも、「ところで従兄の件、どうして僕に相談してくれなかったんだ。すぐポーリーに話を通すよ」などと言って恐縮させている。  ハリー・ハーロウは他人への気遣いを決して忘れない。まるで最高級の娼婦のように、相手の気持ちを見透かしては汲み取り、心の底から寄り添おうとするような気概を見せる。 「まあ、取り敢えず献金者の反応も見て」 「少なくとも市長、あんたは通しで全部見てください、後たった26秒ですよ」  皮肉っぽいゴードンの口調が、少しだけ鬱憤を晴らしてくれたから良いものの。

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