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※新車・ウィズ・ヴェラスコ その1
車が立体駐車場の専用スペースへ滑り込みざま、ハリーは運転席ごとヴェラスコを征服せんとばかりにのしかかってくる。
暖房で上せたとは言い訳ができないほと熱を持った体を抱き留め、尻を撫で回していた時からそんな予感はしていた。無論、予感と期待は比例しない。くんずほぐれつしながらスラックスを脱がして現れた剥き出しの尻に、ヴェラスコは失望も露わに呟いた。
「今日は下着を履いていないんですね」
「このご時世、何事もタイム・パフォーマンス重視さ」
ハンドルを蹴飛ばしてクラクションを鳴らさないよう、注意深い身じろぎで、ハリーは上半身を起こした。
「どうせこうなることは目に見えてたからな。何せ、近頃の君の目つきと言ったら……」
何が君の目つき、だ。お互い様にも程があるじゃないか。憤慨を表に出すことは、けれど許されないのだろう。そう、これはお互い様。自らの罪は、一度認めたが最後、撤回が出来ない。
ここのところ唯一ポジティブだと思える気晴らしと言えば、新車のプジョーについての自慢話。流石に「この助手席に張られたレザーのなんて滑らかなこと!」なんて嘯くのは、苦々しい記憶を封じ込める為にもしなかったが。
ニボ山に埋められている絶倫議員並にいやらしい視線をハリーに向けていたのだとしたら、全く忸怩たる話だった。
そりゃあ、性欲に駆られた人間が願望の対象をエロい目で見るのは当然のこと。しかも相手は元街のスター弁護士で、己の華々しい経歴と頭脳、そしてたっぷりの魅力をバネに市長へのし上がってしまった男だ。注目されるのが大好きと来ている。
今日一日続く出張も、外面を意識したものばかりだった。朝一番に高速鉄道へ乗り込んで州外に赴き、イエズス会が開設した慢性疾患専門の病院を視察。大急ぎで市内へ戻る道すがらコンパートメントの中でブラックスーツに着替え、先日脳梗塞で生命維持装置を外された学校法人理事長を偲ぶ会に出席。堅苦しいランチを摂った後は再びお召替えをし、公営住宅の建設現場へ赴いて記者達の質疑に応じる。チャイナタウンの図書館へ足を運んで職員達の要望を聞き届けてから、片親家庭の子供達に対する奨学金の支援者たちとディナー。どう言う偶然か、昼も夜もメインディッシュに舌平目が出たので、ハリーは市庁舎へと帰る車内で盛んに「明日は肉が食いたい、それも凄く分厚い肉が」と訴えていた。
「マクドナルドに寄ります?」
「今から? 冗談だろう」
食べた分だけ運動すればいいんだと、普段から残業中にでも平気でアイスクリームを抱え食いする癖して。ハリーはわざとらしく怖気を震って見せる。ゴードンから随行を引き継いだのは図書館での打ち合わせ以降だったが、恐らくこの写真うつりが良い市長は、朝からずっと、欲求不満だったのだろう。それともまさか人員交代のタイミングで、下着を脱いだのか?
夜の11時。暗黙の了解で、市長とその周辺職員が固まってスペースを占有している立体駐車場の3階奥には、もう殆ど車がない。目立つ姿と言えば、並んで停められたエリオットのボルボとゴードンのクライスラーが、厳然と存在を主張している程度のもの。彼らへ居並び、ぴかぴかと輝くプジョー508に気を取られていたのは、持ち主だけではない。
「近いうちに絶対、君の新車にマーキングしてやろうと思ってた」との挑発が疎ましいと思っていた訳ではない。けれど、「まるで犬ですね」とぼやいたきり、漫然と尻を両手で揉み続ける時間は、明らかにハリーのプライドを傷つけた。
「普段は胸ばっかり弄ってくる癖に」
「あ、すいません」
些か乱暴な手付きでネクタイを外され、ヴェラスコは唇を尖らせる年上の男を見上げた。
「今日は丸一日履いてなかったんですか」
「え?」
「下着を。それとも途中で脱いだ?」
「朝から履いてない……別に珍しい話でも。知ってるだろう」
そうぶっきらぼうに答える時、ハリーの耳は間違いなく羞恥心によって赤らんでいた。
「何でそんなに拘るんだ。もしかして、SMプレイのつもりか?」
「すいませんが、ここのところ頭が疲れてるので、複雑な技巧を凝らす余力がありません」
「ここが元気なら問題ないさ」
ぐっと股間を掴まれて小さく呻きを上げたのは、間違いなくそこが芯を持ち始めていたからだ。
「ハリー、市長室に行きませんか」
「却下する。それとも君は、新車を汚されるのが嫌?」
「それは別に構わないんですけど……っと」
ばたんと勝手にリクライニングを倒され、頭をヘッドレストに強打したヴェラスコが目を白黒させている間に、ハリーは更に手探りする。腰を振るようにして座席をめい一杯後ろへスライドさせ、相手のジャケットを引き剥がし、今やシャツのボタンにまで手を伸ばしてと、手際は呆れるほど良い。
「そんな風にがっつかないで下さいよ」
「何だ、全く」
首からぶら下がったロザリオごと巻き込むよう、たっぷり水気を纏った舌を鎖骨の窪みに這わせる口付けの合間、熱い吐息が肌を滑る。
「やりたくないのか」
「そりゃあ、やりたいですけど、」
アンダーシャツを捲り上げられ、乳首を噛まれれば、すっかり陥落すると目論んだのだろう。その手には乗るものかと、こちらからも喉元にがぶりと歯を立てる。
「っ、あ、あぁ」
ぞくぞくと震える身を反らし、過剰な程感じ入るハリーの耳元へ吹き込んだ息は、自分で思ったよりも熱く湿っていた。
「ねえ、ハリー。明日は下着を履いてきてくれませんか」
コーシャーも完全に無視している不信心者のゴードンが言った時は、与太にしてもアホらしいと真に受けなかった。けれど彼と犬猿の仲で、冗談が苦手なモーですら、真面目腐った顔で「間違いない」と請け合ったものだから、もしかしたら、なんて思ってしまう。
連中曰く、ハリー・ハーロウの下着は、そんじょそこらのメダイより遥かにご利益があるらしい。
最初に奇跡を体現したのはモーだった。執務室で致した後、すっかり伸びているハリーへの罪滅ぼし、二人分の精液で汚れた下着をトイレで洗ってやっている時のことだ。同居している祖母から電話が掛かってきた。恐らく帰りにトイレットペーパーを買ってこいとか、今夜の晩飯はいるのかなどの他愛ない連絡だろう。そう普段ならば無視するのだが、今回に限ってスマートフォンを取った。
もしその時応答していなかったら、彼女は夜更けまで台所の床に転がり、下手したら肋骨骨折由来の呼吸困難で死んでいたかもしれない。
すぐさま救急車を呼んで彼女の命を救うことができただけではなかった。取り敢えず下着を干してから病院へ駆けつけようと、洗濯ばさみを探してデスクを漁っていたら、引き出しの奥からルミノックスの腕時計が出てきた。数ヶ月前に行方が分からなくなって、随分必死に探したが、無くしたと思い落ち込んでいた、父の形見だった。
ゴードンの方はそこまで劇的ではない。けれど、逢瀬の際にハリーがモーテルへ忘れた下着を持って帰った二日後、チアリーダーの選抜に受かったと、次女から興奮した様子のテキストが飛んできた。クレジットカードの誕生日特典で、普段は絶対に行かないだろうスパに足を運んでみたら、凄腕の指圧師がいて、背中の痛みが驚くほど改善したし、先週はパワーボール(宝くじ)で400ドル分当てたという。
何よりもヴェラスコが興味を惹かれたのは、この辣腕ロビイストを手こずらせていたユダヤ・ロビー団体で急な人事異動があり、望み通りの応援を確約することが出来た、という事実だった。
「つまり、君はお守り代わりに僕のパンツが欲しいと、そう言いたいんだな」
「ええ、まあ」
自ら上着を脱ごうとしてた市長の手を押し留め、剰え一度引き下ろしたスラックスのチャックまで上げてしまいながら、ヴェラスコは頷いた。
「僕は別に、宝くじで13億ドル当てたいとか、そんなことは望んでいません。ただ、今抱えている仕事が、少しでも好転すればいい。ボランティアの知能指数が10ずつ上がるとか、ハワード・スティーブンスに隠し子がいたと発覚するとか、そんな慎ましい願いですよ」
「神頼みしなければならないほど、選挙戦の状況は思わしくないのか?」
さながら犬でも相手にするように、ハリーは両手でヴェラスコの頬を包み込み、顔を上げさせた。
「可哀想に、最近寝不足なんだろう。目が腫れてるぞ」
言葉を追いかけるかの如く、瞼に一度口付けが降ってくる。
「それに、瞳孔が開いてる気がする。リタリンの飲み過ぎだ」
「確かに三日ほどまともにベッドへ入っていませんが、これは欲情してるからですよ。他ならぬあなたにね」
不意打ちの睦言で、一瞬相手の動きが止まったのを良いことに、ヴェラスコは体勢を逆転させた。
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